前進できない野党の憂鬱:ジェレミー・コービン労働党首再選
思えば、過去1年間の労働党は権力闘争に明け暮れてきた。EU離脱などという一大事に国が直面している時に、労働党がやっていることといえば党首選である。なんじゃそりゃ。と脱力するのは普通の反応だろう。
「欧州に新たな政治のフォースが覚醒したのは確かだ。次なる彼らのハードルは『運営』だ」と昨年わたしはここに書いたが、このハードルは高すぎたのだろうか。
先週末、英国労働党首選でジェレミー・コービンが圧倒的支持を受けて党首に再選された。驚くことではない。172人の労働党議員がコービンに不信任案を提出したときから、「またコービンが選ばれる」とメディアも巷の人々も言っていた。なぜなら、党というものは議員よりも末端党員のほうが圧倒的に多いのであり、その党員が彼を支持しているからだ。
トップダウンかグラスルーツか
1987年に、左派運動家で学者のヒラリー・ウェインライトが書いた著書『Labour: A Tale of Two Parties』の中で、労働党に昔から存在するという相対する2つの陣営はこう定義されているそうだ。
前者は自分たちはプラグマティズムに重きを置くと言い、後者は自らをアクティヴィストと名乗る(コービンは昨年労働党党首に選ばれた時、就任演説で「私は一人のアクティヴィストだ」と言った)。また、前者は自らをリアリストと呼び、後者は理念を重視する。
現在の労働党では、コービンに不信任案を突き付けた議員たちが前者で、コービン陣営(モメンタムを含む)が後者だ。リアリストを自任する労働党議員の多くは、コービンでは選挙に勝てないと確信している。
政党が選挙に勝つ必要はないのか?
これは根拠のないことではない。労働党員の間での彼の人気は置いといて、MORIの調査によれば、有権者全体でのコービン党首への満足度は、昨年9月の党首就任時で-3。その後、数字が持ち直したこともあったが、現在は-31だ。労働党支持の有権者の間でも、1年前は+31だったが、今は+1だ。
興味深いのは、労働党員だけの調査でも、次の総選挙での労働党の勝算は、「勝てるだろう」が35%、「勝てないだろう」が57%。コービンが60%を超える票を獲得して党首に再選されたことを思えば、彼に投票した人の中にも「勝てるわけない」と思っている人がけっこういるということだ。こうした風潮を嘆いているのが、コービンの非公式アドバイザーと言っても差し支えない左派ライター、オーウェン・ジョーンズだった。
7月末の時点で、彼はコービンとその陣営に対する危惧を正直にブログに書いていた(ガーディアンやニュー・ステイツマンの連載枠でなく、こっそりブログに書いたところがなんとも沁みる…)。
一年前、党首選でコービンが勝利しそうだと分かった時に、「労働党は崖の先端から落ちようとしている」と言ったのはトニー・ブレアだった。
コービンとその陣営が抱える問題
「こんなことを書くと、「ブレア派に転身した」とか「右翼」とか言われてしまうのだろうが」とくどいほど前置きしながら、オーウェン・ジョーンズはコービンとその陣営を批判する。コービンがネットのソーシャル・メディアのみを信じすぎ、はるかに多くの人々が見ているテレビなどのメディアに出て肝心な時に発言しようとしないこと。反緊縮を謳っていたはずなのに、影の財相ジョン・マクドネルが「財政均衡だいじ」と言い出し、何がしたいのかよく見えなくなってきたこと(トマ・ピケティとデヴィッド・ブランチフラワーは労働党の経済アドバイザーをやめている)。若者だけの支持を狙い過ぎ、中高年に支持される政策を打ち出さないこと。北部の労働党支持者たちがEU離脱派に回った事実を深刻に受け止めていないこと。等々、書き連ねてある。
(とは言え、個人的にもっとも脱力したのは、リバプールで行われていた党大会会場の警備が手配されてなかったことが直前になって判明し、早急に手配しなければ警察が会場を閉鎖すると報道された時だった。これはもう、「運営」以前の問題である)
また、コービン支持者たちの悪評もいつまでたっても収まらない。コービン支持者は奇妙な陣営だ。きらきら瞳を輝かせた理想に燃えるインテリジェントで優秀な若者の集団。と言われるかと思えば、一方では少しでも意見の違う者や、コービンに反対する者にはツイッターで総攻撃を浴びせたり、電話で嫌がらせをしたりする、ミリタントな集団とも言われる。7月には40人の労働党女性議員たちが「レイプや死の脅迫、車を破壊されたり、窓から煉瓦を投げ入れられた」として、特に女性に対する虐待行為をやめるように自分の支持者たちに呼び掛けてほしいとコービンに書面で要求していた。
それでもコービンは勝つ
オーウェン・ジョーンズは、批判しながらも、今回もコービンに投票したと発言している。いまは再び気を取り直したようにコービンの援護射撃をしているが、彼が抱えていた疑念は本当に消えたのだろうか?
一方、反コービン派が抱える最大の問題は、彼らにはコービンに勝てるようなオルタナティヴな党首候補も政策もないということだ(コービン陣営の政策がミリバンド時代のそれと似てきている以上、両者の政策は本人たちが言うほど違わない)。
とりあえず、現在の労働党内部ではコービンは無敵なのだ。だから何度議員たちがクーデターを起こし、党首選をやっても彼が勝つ。
反コービン陣営がプラグマティズムを重んじるなら、いい加減でこの現実を認めるべきだろう。彼らが本当にリアリストなら、「コービンさえいなくなれば」という理想も捨てるべきだ。あるものでやっていくのが本物のリアリストだろう。
労働党がクーデターだ何だと大騒ぎしている間、地べたの人々は毎日仕事に行き、子供を学校に送り迎えし、たまにパブで飲んだりして淡々と暮らしてきたのである。彼らにとっては労働党の党首選など、「またか」ぐらいの感慨しかない。そしてそうした人々の数は、コービンが集会で動員する数よりも圧倒的に多いのだ。
だからこそ、もはや労働党の外の人々に労働党の未来を決めてもらうしかないのではないかという声もある。
「ブレグジットが突き付けたものは、すべての人々がその一部であると感じられるグローバル経済の必要性」
と識者たちも、ジャーナリストたちも、保守党の首相も、あのホーキング博士でさえ言っているのだ。「富の分配」という本来ならば左派の十八番であるべき言葉が再び人々の口にのぼっている。
それなのに労働党は「君たちは左すぎる」「そっちこそ右すぎる」といつまでも内紛を続けているという空しさに秋風が吹きぬけてゆく。