【京都府長岡京市】西国街道の神足・友岡周辺を歩く。忠臣蔵の逸話の人物の墓とまちがって伝承されたの?
西国街道に沿って、2022年11月21日、神足・周辺を歩きました。神足神社では、土蔵前の紅葉が色づいていました。境内には数本しかないので。紅葉を愛でるというほどではありません。あしからず。神足と書いて「こうたり」と読みます。この地域は中世に、西岡36人衆と言われた室町幕府の御被官衆の一人で、リーダー的存在だった神足氏の居城があったところです。
神足ふれあい町家(旧石田家住宅跡)を過ぎて、友岡地域まで進むと「伝・与市兵衛の墓」というのがありました。
江戸時代に作られた歌舞伎芝居や人形浄瑠璃の仮名手本忠臣蔵の5段目「山崎街道」のくだりに出てくる話。赤穂義士の萱野三平をモデルとする早野勘平を娘婿とする与市兵衛が、勘平を討ち入りに参加させる費用捻出のため、娘のお軽を祇園に身売りさせたものの、山崎に戻る途中のこの地で山賊に襲われ命を落としたといいます。
地元では長らく与市兵衛の墓だと言い伝えられていましたが、昨今の研究の中で、この碑は、清誉浄佐なる人物が、両親の供養のために、高野聖(高野山から諸国を巡って勧進する僧侶)1000人を寄宿させた記念に1668年以降に建てられたものとみられるそうです。どちらにしても、最近の若い世代は、昔大人気の忠臣蔵自体を知らない人がほとんどのようです。
帰りに通りがかった神足商店街の近くでは、長岡京市埋蔵文化センターによる長岡宮の発掘調査が行われていました。長岡京市では時々見かける光景です。また大発見があるといいですね!
「伝・与市兵衛の墓」長岡京市2丁目 西国 街道