【光る君へ】凰稀かなめさんが演じる赤染衛門の父は、誰だったのか。その出生の秘密を探る
大河ドラマ「光る君へ」は吉高由里子さんが演じる「まひろ(紫式部)」が主人公であるが、取り巻く女性陣も実に豪華である。その1人が凰稀かなめさんが演じる赤染衛門であるが、その父については2つの説があるので、考えることにしよう。
赤染衛門はこの時代の女性の例に漏れず、生没年は不詳である。おおむね10世紀半ばに誕生し、80歳を越えるほどの長命だったといわれている。
赤染衛門の父は、赤染時用だったという。時用もまた生没年が不詳で、大隅守などを歴任した。時用は右衛門志・尉などの官歴があったので、赤染衛門という名になったという説がある。しかし、赤染衛門の父については異説がある。
時用の妻は初婚ではなく、前の夫は平兼盛だった。兼盛は平朝臣姓を与えられ、臣籍降下した人物である。生年は不明であるが、亡くなったのは正暦元年(991)12月のことである。
兼盛は三十六歌仙の1人として知られる和歌の名手で、『拾遺和歌集』、『後拾遺和歌集』などに作品が採られた。家集としては、『兼盛集』がある。
一説によると、兼盛の妻は赤染衛門を宿し、その後、離縁して時用と結ばれたという。つまり、赤染衛門の父は時用ではなく、兼盛ということになろう(『袋草子』)。
赤染衛門が誕生したことを知った兼盛は、その親権を巡って訴訟を起こしたが、敗訴したといわれている。つまり、赤染衛門の父は、兼盛だった可能性がある。
赤染衛門は恋多き女性で、大江為基と恋愛関係にあったというが、結婚にまでは至らなかった。貞元年間(976~978)、赤染衛門は大江匡衡と結ばれた。2人は、挙周と江侍従という2人の子をもうけた。赤染衛門は、良妻賢母の誉れが高い女性だったという。
ドラマのとおり、赤染衛門は倫子(源雅信の娘)に出仕した。倫子と藤原道長が結ばれ、その間に彰子が誕生すると、同じく仕えるようになった。赤染衛門は紫式部、和泉式部、清少納言、伊勢大輔らとも親交を結んだが、その背景には豊かな文芸に関する素養があった。
勅撰和歌集の『拾遺和歌集』には94もの作品が入集し、家集として『赤染衛門』を残した。また、『栄華(花)物語』正編の作者ではないかといわれている。『紫式部日記』には、赤染衛門の和歌の才能がいかに優れているかが書かれており、高く評価されていたことがわかる。