二度も過労自死を招いた電通は小手先の数字をいじるよりまず法令遵守を
電通の過労自死事件は、労働局・労基署による立ち入り調査、さらに関連会社への立ち入り調査にも発展しているようです。
このタイミングで、電通本体からは以下のようなニュースが流れてきました。
ニュースの持つ意味の法的な説明
労働基準法は、緊急事態などを除き、使用者が、労働者に、一日8時間、週40時間を超えて働かせること自体を禁止しています。それを超えて働かせるのは犯罪です。
しかし、労働基準法36条に基づいて、使用者と労働組合(ないし労働者代表)が、残業について協定(これを「三六協定」(さぶろくきょうてい)といいます)を締結した場合には、その限度で、労働者に残業させることが可能になります。従前のニュース報道でも、電通は同社の労働組合と三六協定を結んでおり、月あたりの残業時間の上限は70時間とされていたようです。
三六協定で定められる残業時間の上限については、旧労働省が基準を定めています。「労働基準法36条1項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準」です。1週間で15時間、2週間で27時間、4週間で43時間、1ヶ月で45時間、2ヶ月で81時間、3ヶ月で120時間、1年で360時間です。恒常的に残業が必要な職場であるほど、平均すれば月30時間(360時間÷12ヶ月)を超えた残業は想定されていないのです。
ただし、この規定には罰則がなく、例外規定もあるため、むしろ一部の大企業(電通も含まれます)が率先して、この上限値を超える三六協定を締結している実態があります。今回のニュース報道は、そういう意味では、電通の違法状態を緩和する意味があるとはいえますが、やるんだったら、せめて一月45時間とかにしなければならないのではないでしょうか。
電通の問題点はその先にある
しかも、すでに拙稿「―ついに電通に立ち入り調査―人はなぜ過労で死ぬのか」でも紹介しましたが、電通は1991年の過労自死事件にしても、2016年の過労自死事件にしても、そもそも、この自分で定めた上限値を守らず、むしろ余りに残業が多い場合は残業の申請自体を抑制する方向に労働者を誘導していた可能性が高いと思われます。現場ではサービス残業が横行することになります。
また、電通の場合、終業後の部署ぐるみの飲み会や引き続く「反省会」など、今の法律上、労働時間とは認定されがたい事実上の拘束時間が沢山あり、また、上司からのセクハラ体質、パワハラ体質も問題になっています。1991年の電通事件では、上司が被災者に靴に注いだビールを飲むように強要したりしています。2016年の電通事件でも、被災者に長時間労働をさせながら、目の充血や「女子力」まで問題にされるなど、尋常では考えられない社内の慣行が伺えます。
電通がサービス残業を根絶し、社内のパワハラ、セクハラ体質を一掃するだけで、三六協定をいじらなくても、抜本的な企業体質の改革と、相当なエネルギーを要するはずです。電通がこの点で本気なら、「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは...。」「頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。」などと謳う「鬼十則」など、捨てざるを得ないでしょう。むしろ、情報操作を生業とする企業なだけに、実効的な対策を打ち出さないまま、小手先の数字いじりだけマスコミに報道させても、改革の本気度を疑わざるを得ません。
労働時間の絶対的な規制を
いま、国会には、野党が共同で提出している、業務間のインターバル(一日の業務が終了したら次の日の始業時刻まで最低でも11時間あけないといけない、など)の設定、残業時間の上限の規制強化、使用者による労働時間把握義務の強化などを柱とする労働基準法の改正法案は、過労死を防止するための第一歩となり得るものです。この点については佐々木亮弁護士「電通過労自死事件から真の「働き方」改革を考える」もご参照下さい。
また、法律で規制されるまでもなく、KDDIなど一部の大企業は、すでに業務インターバルを導入しはじめています。
毎日新聞:はたらく 休息義務で働き過ぎ防ぐ
電通が本気で過労死問題に取り組むのなら、率先して業務インターバルを導入するくらいやってはどうでしょうか。
つい最近も、河合塾が関与した「PROG」というサービスのネット広告で、広告会社のある部門に大きな仕事が舞い込んだ日の夜7時に、女性の新入社員が先に帰宅してしまうのを、上司が「おい、君はなぜ仲間の仕事を手伝わないんだ」と引き留め、それでも帰ってしまった新入社員について、バーで愚痴る、というのがありました。
夜7時まで部員全体が残っている企業ってどうなんだろう、と普通に思いますが、このCMの上司の発言に至っては、サービス残業を強要しているようにすら見えます。古いものを溯れば、栄養ドリンクのCMで「24時間たたかえますか」と謳われたのは、まさに、1991年の電通過労自死事件が起きた頃です。これらのCMをみても分かるように、広告や、広告作りを担う広告代理店の社員の発想は、特に電通のように大手であるほど、陰に陽に、その時代に反映されざるを得ません。
電通に求められているのは、もはや、ブラック企業や過労死を許さない時代の発想を追い越して、ワークライフバランスを率先して実現することなのではないでしょうか。