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独立リーグ入りでより身近になった今こそ体感して欲しい川崎宗則の球界のインフルエンサーとしての素養

菊地慶剛スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師
キャラクターばかりかインフルエンサーとしても素晴らしい川崎宗則選手(筆者撮影)

【BC栃木入りで改めて実感したムネリン人気の根強さ】

 今シーズンは所属先が決まらなかった川崎宗則選手が、今年9月にBC栃木入りを決め、同13日に3年ぶりに日本のグラウンドに立ってから約1ヶ月が経過しようとしている。川崎選手にとって縁もゆかりのない栃木ながら、間違いなくムネリン人気で盛り上がりをみせている。

 観客動員は3桁(時には2桁)が当たり前のBCリーグ。それはBC栃木も同様で、川崎選手の入団前は100~300人の集客で推移していた。

 ところが川崎選手のデビュー戦には1298人のファンが集結。その後も川崎選手が出場したホーム試合は、平日以外すべて1000人を超えている状況だ。

川崎選手のサイン入りユニフォームは試合開始前に完売していた(筆者撮影)
川崎選手のサイン入りユニフォームは試合開始前に完売していた(筆者撮影)

 特に10月4日のホーム試合は、今シーズン最多の1911人のファンが集まる盛況ぶりをみせている。川崎選手の愛すべきキャラクターは今も健在で、多くのファンを魅了し続けている証だろう。

 川崎選手自身も、ファンとの距離が身近になった独立リーグでも気さくにファンとの交流を楽しんでおり、彼の人気は留まるところを知らない。

球場外の売店で気さくにファンと交流する川崎選手(右・筆者撮影)
球場外の売店で気さくにファンと交流する川崎選手(右・筆者撮影)

【見落としがちなインフルエンサーとしての姿】

 確かに川崎選手を語る上で、そのキャラクターを外すことはできない。彼の眩いばかりの陽気さが人々を引き寄せているのは、BC栃木の現状を見れば一目瞭然だ。だがキャラクターばかりが目立ってしまい、本当の意味で川崎選手の素晴らしい一面が見逃されていないだろうか。

 それは野球選手や指導者に大きな影響をもたらすことができる、インフルエンサーとしての顔だ。彼の側で接した人になればなるほど、その影響を色濃く受けることになる。

 例えば前述のBC栃木のデビュー戦に目を向けると、「2番・三塁」で先発した川崎選手は、1回の守備から元気な声を張り上げ、時には一塁に入った西岡剛選手と掛け合いをみせるなど、ファンを喜ばせていた。

 ただその内容は「このバッターはバントしてくるの?」とか「足は速いの?」などというもので、その多くはチーム間での情報共有だった。その後も様々な選手に声をかけ続けていたが、傍目からは陽気な川崎選手に見えるかもしれないが、試合状況に応じてチームの意識を統一させようとする大切な行為に他ならない。

【チームが実感していたムネリン効果】

 そうした川崎選手の姿は、すぐにBC栃木にも影響をもたらしている。デビュー戦後の監督や選手の話を聞いても、それが理解できる。

 「人の倍以上の声が出ていましたし、ああいった姿というのは何歳になっても声が出せる、しかも必要な声が出せるということが、どれだけ必要なことかというのをみんなが認識できたと思います。

 あれだけ率先して声を出してもらえると、他の選手も続いて声がでるようになりますし、ベンチの雰囲気も明るくなります。(新型コロナウイルスの影響で対戦相手の)茨城との試合が40試合もあって、ちょっと気が抜ける部分があったんですけれども、今日の試合はそういうことがなく、常に1人1人が集中した状態で試合に臨んでいました」(寺内崇幸監督)

ピンチを迎え川崎選手から声をかけられる石田投手(右・筆者撮影)
ピンチを迎え川崎選手から声をかけられる石田投手(右・筆者撮影)

 「信頼感というか、凄く頼れる人がすぐ横(三塁)にいて、自分が投げている間ずっと声をかけてくれていたので本当に心強くて、マウンドにいても1人じゃなくて、打たれても守ってくれるという、そういう信頼を感じながらマウンドに立つことができました。

 川崎選手がグラウンドにいるだけで雰囲気が変わりますし、個人的にも士気が上がって元気が出るので、すごく心強いです。(ピンチを迎えた場面を切り抜け)心の支えになっていたのかなと思います」(3番手で登板し走者を出しながら1回を無失点に抑えた石田駿投手)

 如何だろう。川崎選手と身近に接した人々は皆、野球人としての原点に立ち返り、少年のように野球を楽しむ姿勢を再認識するようになっているのが分かるだろう。

【心の病を克服しさらに強くなった野球愛】

 これまでMLB時代から川崎選手の取材を重ねてきて、彼のインフルエンサーとしての側面が際立つようになったのは、ここ最近のことだと感じている。

 2017年春に6年ぶりのソフトバンク復帰を決めた川崎選手だったが、シーズン途中から自律神経失調症に悩まされ、大好きだった野球ができない状態になってしまい、静かに表舞台から姿を消すことになった。

 その後闘病生活の中で再び野球と向き合う決心をし、そこから少しずつ元気を戻していった。そして昨年台湾の味全ドラゴンズと契約を結び、見事に復活を果たしていた。

 心の病を経て改めて野球と向き合い始めた川崎選手だからこそ、以前にも増して野球愛が強くなっている。彼は成功体験より失敗体験の方が多い野球を、“残酷なスポーツ”と形容することがあるが、そんな野球を如何にして思う存分楽しめるかを探求しているのが、現在の川崎選手だ。

常に周りの選手に声をかけ場を盛り上げる川崎選手(右・筆者撮影)
常に周りの選手に声をかけ場を盛り上げる川崎選手(右・筆者撮影)

 それはデビュー戦後の彼の発言からも垣間見ることができる。

 「チームでいろいろ声をかけて、声出ししながら、そういう雰囲気で(試合時間の)2時間45分という中で、今日もいろいろなプレーがありました。それを見られてすごく良かったし、僕も絡んだプレーが何個もあるし、僕が絡まなくてもチームとして絡んだプレーもあるので、それが試合の見所ですよね。僕が野球人としてこういうのを求めているんだなと強く思いました。

 ここに来る前に解説とかのお仕事ももらっていて、野球に対してちょっとイメージしやすくなったんでね。20年前は右も左も分からず、とにかくバットを振って、ボールを投げるだけだったけど、今は試合の流れ、試合をイメージしながらトレーニングできるようになったから、それはかなり僕にとって大きい。今年39歳なんですけど、まだまだ楽しいプレーができそうだなと思いますし、努力、精進していきたいと思います」

【今も台湾の地で舞う52番のユニフォーム】

 昨年在籍していた味全ドラゴンズではコーチを兼任していたが、チームはあくまで川崎選手を現役選手と遇し、若い選手たちと一緒にグラウンドに立ち続けた。

 コーチとして細かい指導をしたわけではないが、野球を楽しみながら真摯に取り組んでいる川崎選手の姿を間近で目撃し、言葉の通じ合えない台湾人選手たちでさえ、間違いなく大きな影響を受けていた。彼の周りには常に選手たちが集まり、同じ時間を共有することを楽しんでした。

味全ドラゴンズのベンチには今も52番のユニフォームが飾られている(提供写真:味全龍(www.facebook.com/WC.DragonBaseball/ )
味全ドラゴンズのベンチには今も52番のユニフォームが飾られている(提供写真:味全龍(www.facebook.com/WC.DragonBaseball/ )

 今シーズン川崎選手はチームに戻れなかったが、今シーズンから2軍に本格参戦したチームは、見事にリーグ優勝を飾っている。そのグラウンドには52番のユニフォームがはためいていた。川崎選手がチームにどれほどのインパクトを与えたのか、容易に想像できるだろう。

 独立リーグでより身近な存在になった今だからこそ、野球少年はもとより多くの野球関係者に野球人としての川崎選手を体感して欲しい。彼は間違いなく球界のインフルエンサーであり、伝道師なのだから。

スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師

1993年から米国を拠点にライター活動を開始。95年の野茂投手のドジャース入りで本格的なスポーツ取材を始め、20年以上に渡り米国の4大プロスポーツをはじめ様々な競技のスポーツ取材を経験する。また取材を通じて多くの一流アスリートと交流しながらスポーツが持つ魅力、可能性を認識し、社会におけるスポーツが果たすべき役割を研究テーマにする。2017年から日本に拠点を移し取材活動を続ける傍ら、非常勤講師として近畿大学で教壇に立ち大学アスリートを対象にスポーツについて論じる。在米中は取材や個人旅行で全50州に足を運び、各地事情にも精通している。

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