世界的経済学者に聞く、労働市場のマーケットデザイン【小島武仁×倉重公太朗】最終回
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2020年は、米スタンフォード大学のポール・ミルグロム教授とロバート・ウィルソン名誉教授が、「オークション理論の発展」を理由としてノーベル経済学賞を受賞しました。彼らが設計した「オークション理論」は、最初は机上の空論と思われていたようです。研究者たちはその理論が実際に有用であることを示すために、外部からプログラマーを雇い、オークションのアルゴリズムを基にプログラムを書いてもらうなどの地道な努力を重ねた結果、ノーベル賞の受賞につながりました。日本でも経済学が現実へ応用されるケースは、今後ますます増えていくことでしょう。
<ポイント>
・マッチングにお金の問題は加味できるのか?
・アメリカでは人種間の公平を守るためにアルゴリズムが使われる
・特定の地域や会社、部署に希望者が集中したときはどうすれば良いのか
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■参加者からの質問コーナー
倉重:では参加者からのご質問を募っていきたいと思います。
ツルさん、いかがでしょうか。
ツル:今日はありがとうございました。私は人事コンサルタントをしているツルといいます。個人的な関心で言うと、人事コンサルの中でも特に賃金制度や給与まわりに関することをよく手掛けます。雇用のマッチングやアルゴリズム、労働市場の話がありましたが、今のお話の中で一つ聞きたいと思ったのは、お金の問題です。
みんな「いい仕事があったよ。でもこの仕事は給料が安いよ」と言われるとどうしても「ええっ」とならざるを得ないと思います。そのあたりは何かお考えのことはありますか?
欧米はそもそもジョブ型なので賃金相場が分かりやすいということがあります。日本だと企業ごとに賃金が異なるので、同じ車を売っても、トヨタと中小企業では価格が違うという話になると思います。そういった金銭の差は、マッチング時にアルゴリズムで加味されたりするものなのですか。
小島:そうですね。「第1希望はこの会社で、このくらいの給料がもらえるポジションがあれば行きたい」「第2希望はこういう会社でこういうタイプの仕事にしたい」と、アルゴリズムを組むのは比較的容易にできます。とは言え、そういうことをやろうとすると、参加者にとって複雑になってしまうという問題もありますね。
アメリカの研修医マッチングだとそれに似たものが入っていますが、僕の知る限りでは日本では入れていません。お金は重要だという意見には僕も大賛成です。私もアメリカから日本に転職するにあたって、そこは大きな心配でした。
ツル:ありがとうございました。
小島:それ以上詳しく言うと、いろいろとまずい話になってしまいます(笑)。
倉重:では、せっかくお医者さんの話が出て来たので、産業医をされているお医者さんの中澤先生、お願いします。
中澤:産業医の中澤です。今日は貴重なお話ありがとうございました。私もちょうどマッチングを受けていた世代なので、すごく懐かしくなりました。10年前ぐらいです。
倉重:そうですか。研修医のマッチングシステムですね。
中澤:そうです。病院によって何を評価するかで違いますが、面接や筆記試験を受けた結果を基に、自分でいくつか希望を書いて、それでマッチングするような感じでした。
倉重:そうですか。第何希望まで書きましたか。
中澤:もう覚えていませんが、第3希望ぐらいだったと思います。私は第1希望に受かりました。
倉重:すごい。良かったですね。
中澤:ありがとうございます。私は今産業医として、従業員の方々の健康管理をしています。今日倉重先生と小島先生のお話があった労働者の適正配置はキーワードだと思っています。特に私の場合は休職から復帰する際に「復帰先がありません」とか「異動したいけれども移動先が了承してくれない」など、いろいろなことがあります。身体疾患や精神疾患で休業してから復帰されるときの異動先のマッチングなども作られているのですか。
小島:なるほど。それは非常に面白い話ですね。正直、今おっしゃったマーケットのことをしっかり考えた研究を知らないのです。面白いマーケットの話を教えていただいて、ありがたいことだと思います。少し近いようなもので言うと、よくあるのはクオータ制度のようなものを導入することです。
日本の法律でも障害者雇用に何%というような目標があると思いますが、ああいうものがきちんと成り立つようにマッチングの仕組みを変えることは考えられます。アメリカでは学校選択の制度で、人種間の公平を守るために、人種の代理変数を使います。「ここの貧困地域の人を何%以上入れる」ということをアルゴリズムの中で組んだりします。
10年前にもあったかもしれませんが、日本の研修医でも、そのクオータとは違って、都道府県別の上限が入っています。東京や大阪の一極集中が問題になったので、東京は全体で何人までしか研修医は取れないという規制を入れるのです。規制は勝手にやるとうまくいかないので、その後きちんと制度を設計しなければならないという問題が出て来ます。
なぜわき道にそれてこの話をしたかというと、日本の制度には今言ったような規制が入っています。私自身が制度に改善の余地があるという研究をしていたものですから、脱落してしまいました。
話を戻すと、ある程度の希望があれば、クオータのようなものを入れるという方法は技術的には可能になります。もちろんそれを入れる意志はポリティカルには強くないので、そこは問題だと思います。
倉重:マーケットデザインは本当に理屈ではなく、政治力や業界の強さなど、個別事情も加味して、やり切って、さらに適宜改良して初めていいものになるという感じですよね。
小島:そうですね。そのあたりがいわゆる純粋な象牙の塔の研究とは少し違ってくるところかとは思います。
倉重:面白いですね。では最後は理系のシステムエンジニアのコヤマツさん。エンジニアですからまた違った視点のご質問があるかと思います。
コヤマツ:ありがとうございます。2つ聞きたいことがあります。1つ目が、適正な差異についてです。
適正というのは、今の盤面での話なのか、将来的な話なのか、2点あると思うのです。「今の実力だと君はここが向いていると思う」なのか、「将来的には君にはこれが向いていると思う」となるのか、どちらの適正でマッチングをされているのかという点を伺いたいと思います。
倉重:顕在能力か潜在能力かということですね。
小島:非常にいいご質問です。かつそのあたりはきちんと言わないで適当なことをしゃべっていたというのが正直なところです。先ほどの話で言うと「第1希望、第2希望を書いてください」というのは、現在の希望を聞いているということになってしまいます。そういう意味で、将来のことは、マッチをする段階ではきちんと加味していないという見方ができます。
言い訳というかジャスティフィケーションはあって、マッチする中で希望を聞いているということは、期待値の意味では一番いいところの代数を追って書いてもらえば、それについて最適なものを提案していると考えています。そういう前提でアルゴリズムを組むということです。
もちろんそうしていくと、マッチする時点では一番いいものを提案していたとしても、働いているうちに、「こんなはずではなかった」ということが当然出て来ます。そこをどうにかしなければならないと思います。
そこには決定版のようなものはありませんが、一応いくつか対策はあります。ざっくり言ってしまうと、ある程度問題が出て来たら、組み換えのアルゴリズムをもう1回始めるのです。これも大規模に問題になる場合とならない場合があります。ですが、研修医のマッチングは日本では90%以上マッチしています。残った人を敗者復活的にマッチさせるという期間があるので、それで少し対応しています。
先ほど学校選択という話をしました。例えばニューヨークの公立学校では年間9万人ぐらいこのマッチングを使っていますが、ここはもっと大問題です。
なぜかというと、アメリカの公立高校には人気のない学校もたくさんあります。申し込みはあるけれど、いざ学期が始まると皆ごっそり私立に行ってしまうので、全然人が来ないということがあるのです。そういうときにはもう1回アルゴリズムをがらりと回すという力技で対応しています。
まだそういうパッチワーク的な部分があるのが正直なところですが、暫定的にはそういうプラクティスを行っているという感じです。
コヤマツ:ありがとうございます。すみません、もう1個質問してもいいですか。先ほどの本人の希望と、本人以外が「この人にとって一番向いている部署」を答えたときでは、どちらのほうがマッチング率は高かったかという研究はありますか。
小島:どちらのほうが高かったというか……。すぐに思い付くものはないです。それは結構難しい問題です。企業全体では少なくとも「こういう部署には人を入れたい」という希望はあると思います。でも、本人の希望を聞くと「行かない」と言うことがあります。研修医の場合も全く同じ問題で、「自由に就職してください」と言うと、どうしても東京や大阪の大都市に集中してしまいます。ですので、お上のような人が入って、考えるのです。
日本の場合では先ほど言ったように「東京には何人までしか行けない」という規制を設けるという方法で対処しています。現状、決め手はないけれども、比較的いいと思われているルールです。
Googleの場合もそこは苦労したようです。例えばサーチの部署は人気がありません。サーチは稼ぎどころだけれども、皆がやっていてつまらないのです。みんなムーンショットの自動運転に行きたがるけれど、そういうところはお金にならないので、あまり来てほしくないという事情があるのです。
どうするかというと、各部署であえてポジションを限定します。例えば自動運転のところはあまり人を募集しないという力技で、人数を制限するのです。
コヤマツ:なるほど。
小島:そこはあまり良くないデザインです。それよりは、全体として、サーチに人が集まるような制約をうまく入れていく方が良いと思います。日本の研修医はそれに少し近い制度になっています。日本の病院でも、現状では東京に人が集まります。そうすると、東京の個々の病院に「あなたたちは去年までは10個ポジションを出せたけれども、今年からは8個にしてください」と頼んで無理やり減らしていくのです。そういう力技をやると無駄が出るという問題があります。
すみません、これは私の研究です。そういうことをしないでもう少しうまくやる方法が、実はアルゴリズム的にありますが、その話をすると長くなり過ぎるので、いったんお返しします。
コヤマツ:ありがとうございます。
小島:すみません。だんだん興奮してきてしまいました。
倉重:いいですね。本当に楽しそうにしゃべるのが素敵だと思います。
小島:ありがとうございます。楽しいです。
倉重:話していて思いましたが、日本の雇用市場においても年に4回大転職フェアを設けて、ハローワーク、マイナビ、パソナ、リクルート、パーソルみたいなほぼ9割シェアくらいの雇用情報産業も加盟して、そこで一斉に1カ月で適正検査、性格診断、面接も一気にしてしまって、「どうぞマッチングしてください」で希望を出させるとかなりいい感じになるのかと思いました。
小島:そんなことになったら本当にすごいですね。
倉重:実現可能性がどれほどか。あくまで個人の意見です。
小島:それは世界初という感じだと思います。
倉重:一気にそれぐらい改革すると非常に面白いなと思います。時期を限ることによって雇用の市場の厚みを持たせてというのは、本当にやりたいことのイメージの1つとしてわいてきました。
いろいろ示唆に富むお話でした。たぶんこれからもっとはやっていく話になるのだろうと思います。小島先生はきっとノーベル賞を取る方だと思っています。
小島:がんばります。
倉重:がんばってください。今日はどうも長時間ありがとうございました。
小島:こちらこそ本当にどうもありがとうございました。
(おわり)
対談協力:小島 武仁(こじま ふひと)
経済学者。1979年生まれ。2003年東京大学卒業(経済学部総代)、2008年ハーバード大学経済学部博士。イェール大学(博士研究員)、スタンフォード大学(助教授、准教授、教授)などを経て2020年より東京大学経済学部教授、東京大学マーケットデザインセンター(UTMD)所長。
専門分野は人と人や人とモノ・サービスを適材適所に引き合わせる方法を考える「マッチング理論」と、それを応用して社会制度の設計や実装につなげる「マーケットデザイン」。日本の研修医マッチング制度や待機児童問題を改善する具体的な方法の発明などで知られる。多くのトップ国際学術誌に論文を多く発表し、受賞多数。最も生産性の高い日本人経済学者とされている。また、大学内外との連携も積極的に行っている。