<イラク戦争開戦から17年>希望はどこに... バグダッド反政府デモ 青年の死(写真5枚)
◆「産油国なのに市民生活困窮」怒り広がる
イラクの首都バグダッドや南部地域では2019年秋から大規模な反政府デモが続く。政治家の腐敗を糾弾し、改革を訴える若者を主体とした抗議行動は、国政を揺るがす事態になった。政府への抗議デモ発生以来、私はネット電話でバグダッドのデモ参加者たちと連絡をとり、彼らの思いを聞いてきた。(玉本英子/アジアプレス)
アルバイト店員のフセインさん(23)は、2019年10月から行動に参加。「産油国なのに市民生活は困窮。アメリカやイランに振り回されても、政治家は自分のことしか考えていない」。彼は、このまま沈黙すればイラクに未来はない、との思いで加わった。
抗議行動の拠点となっているのは、市内中心部のタハリール広場だ。周辺では数百人がテントなどに寝泊まりしながら、連日抗議行動を重ねてきた。「政治や社会への不満を抱えていた若者たちが一体感を共有できたのが、あの広場だった」とフセインさんは話す。
6年前、過激派組織イスラム国(IS)が急速に台頭し、北部の大都市モスルほか西部地域が次々と制圧された。国家的危機のなかイラク市民はISとの戦いを支持。政府は軍や警察、民兵部隊の総力を投じて、IS地域を奪還し、ISを壊滅状態へと追い込んだ。
だがその後、市民の怒りは政治家の腐敗や社会の不公平に向けられるようになった。イラクへの政治的影響力を拡大したイランへの反発もあり、反政府デモとなって爆発した。大学を卒業しても就職できない者や、IS掃討戦に参加したシーア民兵で除隊後に仕事にありつけない者など、若い世代がデモに次々と加わったのも特徴だ。
昨年11月、アブドゥルマハディ首相は辞任を表明した。だがデモは終息せず、これまでに500人を超える死者が出ている。
◆治安部隊の発砲で死亡
2月末、広場の近くで18歳の青年が治安部隊に撃たれ、死亡した。亡くなったのは、アブドゥルラハマン・ハリルさん。私はイラク人の知人を通して、母親(38)から話を聞いた。銃弾を足に受け、担ぎ込まれた病院で手術をしたが、容体が急変し息を引き取った。
「息子の18年の人生が、こんな形で終わるなんて…」。母は、今もその死を受け入れられずにいる。
彼が生まれたのはイラク戦争開戦の1年前。フセイン政権が崩壊しても、生活は豊かにならなかった。06年ごろからイスラム教のスンニ派・シーア派の宗派抗争が先鋭化する。スンニ派のアブドゥルラハマンさんの家族が住んでいたのは、シーア派が多い地区。また、叔母の夫がシーア派だったことから、両派の武装組織から標的にされた。
父が病気で倒れたため、高校進学を断念し、野菜市場で働いた。昨年、念願だった理容師になるために見習いの仕事を見つけた。だが、朝から晩まで働き詰めでも、月給は45万ディナール(日本円で約4万円)。自立できる額ではない。
「生活すらできないのに、夢や希望なんか持てない」。
母の心配をよそに、アブドゥルラハマンさんはデモに通うようになり、命を落とすことになった。
2月26日、自宅近くのモスクで行われた葬儀には、親戚と友人らが参列した。「遺志を継ぎ、僕たちは闘い続ける」と、ともに活動してきた仲間が涙をこぼしながら母親に告げた。
治安部隊の発砲での死者があいつぎ、また新型コロナウイルスの影響もあり、タハリール広場での抗議行動の参加者は減りつつあるという。活動家を狙ったとみられる拉致や殺害事件も起きている。前述のフセインさんは逮捕を恐れ、今月上旬、北部のクルド自治区に逃げた。
この3月20日でイラク戦争開戦から17年。米軍の占領ののち宗派対立、頻発するテロ、ISの登場、そして政治不信やデモ弾圧と、混乱がずっと続いてきた。「希望を持てる日が来ることを信じたい。だけどその日は遠い先のことだろう」。フセインさんは声を曇らせた。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2020年03月17日付記事に加筆したものです)