2016 ドラフト候補との対話/その3 小林慶祐[日本生命]
●こばやし・けいすけ/投手/1992年11月2日生まれ/187cm8kg/右投右打/東京情報大2年春からリーグ戦に登板し、通算22勝で最多勝が2回。社会人1年目から日本選手権で好投して優勝に貢献し、今季も主戦格
○…今季の日本選手権の近畿予選では、2試合10回2失点。それも、ほぼ直球一本だったそうですね。社会人2年目の手応えはいかがですか。
小林 1年目と比べたら、ピッチングスタイルが少しは変化していると思います。以前から、僕が投げると試合が長いといわれていた。酒井光次郎コーチからも、「球数が多いな」という指摘はあったんです。三振を取ろうという色気があると、それは球数が増えますよね。そうすると、野手のリズムが悪いばかりではなく、僕自身も長いイニングを投げるのがむずかしくなる。ですからいまは打たせて取り、三振を狙うのはここぞという場面だけと強弱をつけるのを意識しています。
そのためには、先輩方に比べたらこれという決め球がないので、制球や変化球の精度を上げることを課題に取り組んできました。たとえば、僕のスタイルは、まっすぐとフォークとわかられているので、カーブでカウントを稼ぐとか、ゆるい球も使う。またまっすぐでも、Maxよりもアベレージにこだわる。選手権の近畿予選では変化球が入らずに苦しみましたが、直球で押せたことは自信になっています。
○…1年目の昨年は、痛い目にも遭いました。都市対抗の近畿2次予選は、クラブチーム・和歌山箕島球友会との初戦に先発を任されながら、4回途中5失点で途中降板……。優勝した本大会では、登板機会がありませんでした。
小林 社会人は、大学とは違って失投を打ち損じてくれません。ただ春先は当たって砕けろ、がむしゃらに投げたらたまたまいい結果が出ていた。ですが2次予選では、初っぱなということで緊張して自分を見失い、気がついたら降板してベンチから声を出していました……2次予選は厳しいぞ、と聞いてはいたのに、メンタルの弱さですね。
あの時点ではプロどころか、社会人でも通用するかどうか、という感じでした。ただ、イヤな思い出ではありますが、あれがあったからこそ新しい自分を見つけるきっかけになった。いまだから、いい経験だったといえます。
聞いて、学んで、成長する
○…そういう時期を経ての、昨年の日本選手権です。5試合中4試合に登板(1試合は先発)し、148キロを計時するなど、12回を投げて自責1と、夏秋連覇に貢献する優秀選手です。登板がなかった都市対抗と比べて、どこかが変わったんですか?
小林 メンタル面でしょうね。もともと、けっこうマイナス思考だったんです。打たれたらどうしよう、点を取られたらやばいな……とかね。そうではなく、つらいときこそあえて笑顔でいたほうが体も動くことをメンタルトレーニングで学びましたし、先輩の佐川(仁崇)さんや藤井(貴之)さんにも、学ぶことが多いですね。そして、投げさせてもらうことがあれば、オープン戦でもゼロにこだわった。そういう積み重ねが、去年の選手権に結びついたと思います。
もともと、先輩に聞いて学んできたことが多いんです。(東京情報)大学時代は、3学年上が菅野(智也・現JR東海)さんで、2学年上が有吉(優樹・九州三菱自動車)さん。大学野球というのは、コーチもあれこれいわないですから、もっぱら先輩のアドバイスを受けていました。140キロにいかなかった球速が伸びたのは、そのおかげもあると思います。
○…千葉県出身。ロッテの試合は見に行っていましたか。
小林 はい。そのころ観客として見ていた渡辺俊介さんと、いまは同じ社会人でプレーしているというのが不思議な気がしますね。また、小学生時代に西武ドームで見た松坂大輔さんは衝撃でした。もともと僕がここまでこれたのは、運がよかったからなんです。(八千代松陰)高校時代は公式戦で一度も投げていないのに、大学で野球を続けられた。大学でも、2年の秋に有吉さんがケガで投げられずに登板機会が増え、最多勝が2シーズン……。日本生命に入社できたのも、たまたま練習会に参加したおかげなんです。
○…いや、運ばかりじゃないでしょう。勝負の世界では、運も実力のうち。10月20日のドラフトで、どんな運命が待ち受けるのか、楽しみにしています。