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英国のトラス新首相の「成長ダッシュ」戦略の落とし穴(下)

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
クワーテン新財務相は9月23日、下院で景気支援の補正予算を発表=スカイニュース

英紙デイリー・テレグラフの経済コラムを担当するジェレミー・ワーナー氏は、「保守党政権下で、英国経済が破綻したのはそれより前の1963-64年のレジナルド・モードリング元財務相(ヒース政権前のヒューム政権下)の「成長ダッシュ」戦略のあとにも起こり、保守党は総選挙で敗北した。同様な成長ダッシュ戦略により、過去3回の保守党ブームが起き、ローソン氏の時代が最も成功したが、結局、過去3回とも破綻に終わった」とし、成長ダッシュ戦略のトラソノミクス(Trussonomics)への懸念をにじます。

ワーナー氏の最大の懸念はインフレ危機よりも政府の過剰債務危機だ。インフレ危機については、英シンクタンクのパンテオン・マクロエコノミクスのサミュエル・トゥームズ氏がテレグラフ紙(9月7日付)で、「エネルギー価格の上限が現在の水準で凍結されれば、インフレ率は早ければ2023年4-6月期に物価目標の2%上昇に戻る可能性がある」と指摘。

また、英コンサルティング大手キャピタル・エコノミクスも「インフレ率のピークは従来予想の前年比14.5%上昇から同11%上昇に低下。インフレ率は2023年に急低下する」と見ている。最新の8月CPI(消費者物価指数)は前年比9.9%上昇と、ガソリン価格の下落により、7月の同10.1%上昇から鈍化した。しかし、依然、40年ぶりの高水準となっている。

ワーナー氏は「首相の側近がインフレは通常、過剰な需要を背景にして起こるが、今のインフレは主に(サプライチェーンのボトルネック(制約による品不足)など)外部ショックに起因していると主張。トラス首相の減税は実質的に経済のサプライサイドを狙っているため、インフレの影響はないとする見方は正しいかもしれない」と認める。しかし、それでもワーナー氏は「今回の主な懸念は政府が制御能力を超えた多くの債務を抱える危機だ」と指摘する。

■トラス首相とBOEとの確執深まる恐れ

また、ワーナー氏は翌9月14日付のテレグラフ紙で、今後、トラス政権が成長ダッシュ戦略の遂行に固執すれば、BOEとの確執が表面化し、BOEの独立性と信頼性が著しく低下すると指摘する。

「BOEは9月下旬から量的金融引き締めプログラムを開始。10年以上にわたって買い入れた保有国債(現在8380億ポンド=約143兆円)の売却を年間500億-1000億ポンド(約8兆-16兆円)のペースで開始しようとするとき、今年度予算での1310億ポンド(約21.2兆円)の政府借り入れに加え、新たに1800億ポンド(約29兆円)の追加債務を抱える。このため、BOEは量的金融引き締めを放棄し、国債買い入れ再開の圧力を受けている」とし、その上で、「政治的動機に基づく、成長のための散財と減税をBOEは支持するだろうという憶測は、政府から独立した機関としてのBOEの信頼性にさらなる打撃を与える。今後、多くの局面でBOEと政府との衝突は避けられない」という。

政府の財政支出の拡大が避けられない成長ダッシュ戦略は市場によって厳しく試されようとしている。

しかし、ワーナー氏は、「今回は(依然のようなBOEによる国債買い入れとは違って)、BOEの支援は何もない。エネルギー価格の上限が2年後でもまだ上昇していれば、政府は予定通りに成長ダッシュ計画を終了することは非常に難しく、総選挙(2025年1月前までに実施)が近づいているとき、さらに難しくなる。(1800億ポンドの)国際資本市場からの借り入れは可能だが、どのくらい借入金利が高くなるか。これまでの国債入札での応札額は過去の2.5倍だが、インフレがすぐに低下しなければ、事態は悪化する」と懸念を示している。(了)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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