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武豊、横山典弘、レジェンド2人のワンツーで決まったWASJの裏話

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
武豊騎手、横山典弘騎手、2人のレジェンドで決まったWASJ第3戦

武豊に誘われ、横山典弘と意見をぶつける

 「最初は除外対象でした。でも菊沢隆徳厩舎の馬が取り止めたので、ギリギリで出走可能になりました」
 8月25日に行われたワールドオールスタージョッキーズ(以下WASJ)第3戦に管理馬2頭を登録していた調教師の奥平雅士はそう言った。滑り込みで出走出来る事になったのはティアップリオン。抽せんにより鞍上が決まった後には、JRAから連絡が入った。
 「ティアップリオンは武豊さんになったと聞き、喜んでいたら、もう1頭のオールマキシマムはノリちゃんだと言うので、レジェンド2人に乗ってもらえるんだ!と嬉しくなりました」
 ノリちゃんとは勿論、横山典弘。菊沢隆徳の義兄が当たったのもそうだが、何よりも不思議な縁を感じたと続ける。
 「2人は私の競馬人生に大きな影響を与えてくれた人ですから……」

武豊騎手と横山典弘騎手について語る奥平雅士調教師
武豊騎手と横山典弘騎手について語る奥平雅士調教師


 1972年、東京の目白で斉藤雅士として生まれ、育った。祖母の姉が「メジロのおばあちゃん」として有名だった故・北野ミヤさん。しかし、彼を競馬の世界にいざなったのは、もう1つの大きな出来事があったからだった。
 「大学生の頃『武豊、欧州GⅠ勝ち!!』というニュースがスポーツ新聞の一面を飾りました。スキーパラダイスのその記事を読んで格好良いと思い、自分もいつかそういう馬に携われるようになりたいとこの世界に入る決心をしました」
 96年1月に美浦トレセン入りすると『メジロ』の関係で縁のあった奥平真治調教師(故人)の下へ挨拶に行った。その席で、男女1人ずつと知り合った。
 女性は後に結婚する事になる奥平真治のご令嬢だった。
 「結婚する際、自分の方から奥平姓を継がせてほしいと申し出ました」

メジロラモーヌのオークスの口取り。左端が故・奥平真治元調教師。右から2人目が奥平雅士現調教師(奥平真治元調教師提供写真)
メジロラモーヌのオークスの口取り。左端が故・奥平真治元調教師。右から2人目が奥平雅士現調教師(奥平真治元調教師提供写真)


 そして、もう1人が横山典弘だった。当時は既にメジロライアンとのコンビで一世を風靡した後。年齢も横山の方が上だった。しかし、毎日厩舎で顔を合わせるようになると、忌憚なく意見をやり合える仲になった。雅士が結婚してからは親戚同士(横山の母は奥平真治の妹)という事もあり、尚更、本音で話し合えるようになった。

今年、ダービー3勝目をあげた横山典弘騎手
今年、ダービー3勝目をあげた横山典弘騎手


 「ノリちゃんからしたら生意気に感じたでしょうね。何度も喧嘩みたいになってぶつかり合いました」
 共に「馬にとってどうするのが良いか?」を考えた末での衝突だったから、幾度やり合っても遺恨が残る事はなかった。
 やがて調教師として開業した奥平は07年、歌手の前川清さんがオーナーであるコイウタでヴィクトリアマイル(GⅠ)を勝った際に話題となった。

奥平雅士調教師が管理して、07年のヴィクトリアマイル(GⅠ)を勝った前川清オーナーのコイウタ
奥平雅士調教師が管理して、07年のヴィクトリアマイル(GⅠ)を勝った前川清オーナーのコイウタ

抽せんでレジェンド2人が騎乗

 当然、先述の2人の名手にも騎乗依頼をする事が度々あった。
 とはいえ武豊は関西の所属なので、おいそれと頼む事は出来なかった。また、横山も近年は栗東をベースにしており、自然と依頼するケースが減っていった。
 そんな中、今回のWASJで、たまたま2人が騎乗する事になった。
 まずはティアップリオンについて、奥平は言う。
 「ユニコーンS(21年、7着)で膝の骨片が飛んでしまい、その後は2度の手術もあり、長期休養を挟みながら使っては休むの繰り返しでした。今回は実戦で初めてフルカップのブリンカーを装着したので、イレ込む可能性を考慮して、馬場には先に入れました」

先に馬場へ向かったティアップリオンと武豊騎手
先に馬場へ向かったティアップリオンと武豊騎手


 一方、オールマキシマムについては次のように語った。
 「こちらはこちらで難しい面があるので馬場へは後入れにしました。母の母は奥平真治厩舎にいたハルカゼで、オーナー(保谷フミ子さん)も奥平真治厩舎に馬を預けてくださっていた方。アイドルマキシマムやオーロラマキシマムがオークスに出走(97、98年)した際、騎乗していたのはノリちゃんのお兄さんの賀一さんでした」
 ちなみに今回、典弘が着た勝負服は兄がオークスで袖を通したモノだったと続ける。
 「年代物のサテンの勝負服で、管理者として『奥平』と名前が書かれているのですが、それは元々私ではなく、義父を指していたモノです」

最後に馬場入りしたオールマキシマム。向こうに横山典弘騎手と奥平雅士調教師の姿がみえる
最後に馬場入りしたオールマキシマム。向こうに横山典弘騎手と奥平雅士調教師の姿がみえる


 こうしてスタートを切った2頭。単勝41.3倍で9番人気の武豊ティアップリオンは中団を、同6.2倍で4番人気の横山典弘オールマキシマムは最後方から進むと、共に3コーナー過ぎから進出。最後の直線は早めに抜け出したJ・モレイラを内と外から挟むようにしてかわし、先頭に躍り出た武豊に横山典弘がクビ差まで迫ったところがゴールだった。

武豊騎手のティアップリオンが1着し、クビ差2着が横山典弘騎手のオールマキシマム
武豊騎手のティアップリオンが1着し、クビ差2着が横山典弘騎手のオールマキシマム

 「2人のレジェンドに乗ってもらえるだけでも奇跡的なのにまさかのワンツーフィニッシュですからね。しかも2頭共人気だったわけではないのに、さすが2人共スーパースターだと思ったし、世間的にはたかが2勝クラスかもしれないけど、自分としてはGⅠにも負けない感動をさせてもらいました」
 「開業して300くらい勝っているのに、恥ずかしながら豊さんで勝ったのはこれが初めて」と語る奥平は続ける。
 「これからまた豊さんやノリちゃんに乗ってもらえるような馬を育てられるように頑張ります」
 近いうちにまた同じようなドラマが見られる事を、祈りたい。

ティアップリオンで勝利した奥平雅士調教師と武豊騎手
ティアップリオンで勝利した奥平雅士調教師と武豊騎手

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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