【濱口桂一郎×倉重公太朗】「労働法の未来」第1回(「日本型」同一労働同一賃金の欺瞞(前編))
倉重:この連載は、倉重公太朗の「労働法の正義を考えよう」ということで、Yahoo!ニュース個人として、毎回労働界隈の方々をお呼びして対談をさせていただいているものです。今回は、大物中の大物です。
濱口:何を言っているのですか。小物中の小物です。
倉重:ということで、独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)の濱口桂一郎所長にお越しいただいております。まず簡単に自己紹介をお願いできますか。
濱口:今は独立行政法人労働政策研究・研修機構というところで、所長という職をやっております。元々は旧労働省で役人をやっていましたが、今から20年ちょっと前ぐらいに、日本政府のEU代表部というところに出向し、EUの労働法を自分なりに勉強して、戻ってからそれを本にして出しました。そうしたら、世の中から結構引き合いがあり、「書いてくれ」、「しゃべってくれ」などという依頼の相手をしているうちに、気が付いたら研究者もどきになっていたという感じです。
倉重:もどきじゃないですよね?笑
濱口:一般向けの新書本も5冊ばかり、全部出版社が違いますけれども、出しています。
倉重:最近の本でいうと、何ですか?
濱口:順番に言うと、岩波新書の『新しい労働社会』、日経文庫の『日本の雇用と労働法』、中公新書ラクレの『若者と労働』、ちくま新書の『日本の雇用と中高年』、文春新書の『働く女子の運命』などです。
倉重:全部持ってます。働く女子の運命は上野千鶴子さん推薦のやつでしたよね。
濱口:みんなに「上野千鶴子の本かと思った」と言われました。
倉重:改めまして、労働界隈では知らない人はいない「hamachanブログ」でもおなじみ、hamachan先生です。
倉重:今日はどういうテーマを伺っていこうかというのを、いろいろ考えました。やはり「働き方が今後どう変わる」みたいな話を、今までいろいろな方と対談をしています。先生ともそういう話をしようと思っていました。
けれども、最近読んだ先生の労政時報WEBのコラムが非常に痛快だったもので、ぜひその話から入りたいと思います。この記事で、先生は次のように述べられています。
濱口:痛快といいますか、これは当たり前のことを淡々と書いただけです。逆に、なぜ他の労働関係の方が、こういうことをきちんと書かないのかが不思議です。
倉重:全くそうなのですよね。私も今年出す本で、ちょうど同趣旨のことを書いていたのです。「同一労働同一賃金」の問題で、特に基本給をどう設定していくのかに関して、能力や経験が同じ場合は同じにせよ、という本はありますが、ここまで堂々と役割が違う場合を検討する文献はありませんでした。日本型雇用の場合、正社員と非正規雇用では、役割が違う場合が殆どなので、むしろその場合だったらどうするかに言及している本がないのです。
そこで、濱口先生に、あらためてお聞きしたいのですが「同一労働、同一賃金」問題を進めておられる水町先生の「同一労働同一賃金のすべて」(有斐閣)を読むと、「パートと正社員を同じ賃金制度にしなければならない」、「それは能力に応じてであれば、その分に応じて変えることのみが許されて、制度としては一緒にすべきだ」ということをおっしゃっています。そのような考え方について、あらためて先生のご見解を頂ければと思います。
濱口:見解といいますか、実は、あれは前半が基本給で、後半が手当や福利厚生です。後半は、ある意味分かりやすいです。福利厚生はある意味、あるかないかなのです。前半の、大部分のページを割いて書いてあるところというのは、「もし職能給であれば、それに基づいて両方やれ」、「もし年齢給でやるのだったら、きちんとそれに基づいてやれ」、「成果給でやるなら両方それに基づいてやれ」ということです。それは、「あなた、その議論は、初めから正規と非正規は同じ賃金制度の下にあることを前提として書いているでしょう」と、当たり前のことを書いています。その当たり前のことに、「これは○、これは×」などと書いてあって、それは全部ある意味トートロジーなのです。実は、そのような会社は日本にないとは言わないけれども、ごく少数でしょう。
倉重:そのような会社はほぼ存在しないですね。
濱口:ほぼないでしょう。圧倒的大部分の企業では、正社員の賃金制度はそのように純粋な「何とか給」などというものではないです。度合は様々ですが、生活給的な右肩上がりの賃金カーブだけれども、理屈付けは職務遂行能力による職能給で、かつ、後になればなるほど成果主義でもって差を付けるという複合的年功制が一般的です。そして、その正社員向け賃金制度が非正規には適用されていないというのが、圧倒的大部分の企業の実態でしょう。
倉重:そうですね。賃金制度そのものが違いますよね。
濱口:ところが、そういう圧倒的大部分のケースは、このガイドラインのどこに書いてあるのだろうかと、
倉重:指針になりましたね。
注:短時間・有期雇用労働者及び派遣労働者に対する不合理な待遇の禁止等に関
する指針(平成 30 年厚生労働省告示第 430 号)
濱口:一生懸命、同一労働同一賃金指針の本文のどこを読んでも出てこないのです。さらに読んでいくと、基本給の項の最後のところに、「注」というのがあります。
倉重:はい、そうですね。基本給の項目の最後に「注」とされている箇所がありますね。
濱口:この「注」が、2つのパラグラフからなっています。第2パラグラフは例の長澤運輸で問題になった、高齢者の定年後の再雇用の話が書いてあります。いちばん肝心の、一般の正規と一般の非正規の賃金制度が違う場合にはどうなのか、ということについては、第1パラグラフにほんの8行ぐらい書いてあるだけです。
倉重:はい、そうなっていますね。
濱口:正規と非正規が、「将来の役割期待が異なるため、賃金の決定期限、ルールが異なるという、主観的、抽象的説明では足りず、賃金の決定期限、ルールの違いについて、これこれ職務内容や、この変更範囲、その他の客観的具体的な実態に照らして不合理なものであってはならない。」というだけですね。99.99%の会社はこれで対応しろというわけです。
倉重:ほとんどの企業に適用される超重要な記載が、「注」にあっさり書かれているんですよね。
濱口:「将来の役割期待が異なるため」だけでは駄目だとすると、それをどれくらい詳しくパラフレーズしたら合理的で、不合理でなくなるのか、ということが、何も分かりません。0.01%しか適用されない同一制度適用ケースについては、数ページぐらいかけて、「これは○、これは×」という空疎なものを延々と書き連ねた揚げ句、99.99%が対象になるであろう異なる制度適用ケースについては、こんな訳の分からない抽象的なもので済ませているのです。しかもこれは、実は2年前のものなのです。
倉重:そうですね。この「注」部分の記載は平成28年12月20日に出たガイドライン案の時からありましたね。
濱口:ちょうど2年前の2016年12月にそのガイドライン(案)なるものが出て、2年経った今もほとんどそのままです。今回、その「注」の第2パラグラフの、定年後再雇用のところは長澤事件判決を受けて、かなり書き加えられたのですが、第1パラグラフはほとんど変わりがないです。
倉重:変わっていないですね。おそらく敢えてなんでしょうね。
濱口:なので、各企業は自分のところの、全く賃金制度が違う正規と非正規について、一体何をどうしたら、主観的抽象的説明だから駄目だと言われるのか、きちんと客観的具体的な実態に照らして、不合理ではないと認めてくれるのか、全く分からないという状態です。2年間経って、その間、審議会で議論があり、国会でも議論があったはずですが、この問題については、何の議論もされていません。
倉重:確かに、国会ではほとんどやっていないですね。
濱口:やっていません。国会はとにかく、裁量労働制の数字がうそだとか……。
倉重:高プロ(高度プロフェッショナル制度)が「残業代ゼロ法案」とか「定額働かせたい放題法案」などと言っていただけですね。
倉重:だから、この「同一労働、同一賃金」指針案の中でも、「注1」が大事であるということに関しては、実は世間的にあまり認識されていないのではないかと思っています。
濱口:労働問題に詳しくない人たちが分からないのはまだいいのです。ですけれども、少なくとも労働法の研究者、あるいは弁護士、社労士、企業の人事の担当者が素直に読めば、これはどうでもいいことに数ページ費やして、いちばん大事なことは1パラグラフの抽象的な言葉でごまかしていると分かるはずなのです。ところが、なぜかそういうことを言う人がいないのです。
倉重:確かに、この「注1」で言っている、「抽象的な役割期待の違いでは駄目だよ」という点は、そうだろうと思います。
(第2回へつづく)
【対談協力 濱口桂一郎氏】
1958年生れ
1983年 東京大学法学部卒業、労働省入省
2003年 東京大学客員教授
2005年 政策研究大学院大学教授
2008年 労働政策研究・研修機構統括研究員
2017年 労働政策研究・研修機構研究所長