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南野拓実が話していた「壮大な夢」とは 手倉森誠監督がリオ世代の過去・現在・未来を語る

元川悦子スポーツジャーナリスト
アジア制覇した2016年AFC U-23選手権での手倉森監督と南野(写真:アフロスポーツ)

欧州リーグが続々開幕。リオ世代も勝負のシーズンに

新型コロナウイルスの影響で開幕がズレ込んだ欧州各国リーグが9月に入って続々とスタート。12日は南野拓実(リバプール)のいるイングランド・プレミアリーグが開幕し、18日には遠藤航(シュツットガルト)らが所属するドイツ・ブンデスリーガも熱い戦いが始まることになる。今夏に欧州移籍した鈴木武蔵(ベールスホット)、室屋成(ハノーファー)、橋本拳人(ロストフ)らリオデジャネイロ五輪世代の動向が注目されるが、4年前の五輪を率いた手倉森誠監督(V・ファーレン長崎)も「彼らはやってくれるはず」と前向きに言う。「リオ世代は本田圭佑(ボタフォゴ)ら北京世代を超えてくれる」と大きな期待を寄せる元指揮官に、彼らの現在・過去・未来を伺った。

日本サッカーの発展のため、海外に打って出ろ!

――今年1月に南野選手がザルツブルクからリバプールへステップアップし、今夏には武蔵、室屋、橋本の3選手が欧州へ移籍など、リオ世代の動きが活発化しています。

「彼らがどう思っているか分からないけど、『日本サッカー発展のためにリオ世代が海外に打って出なきゃダメ』って話はよくしていたんですよ。実際にそういう選手が増えてきて『こいつら俺の話を聞いていたな』と思いますね(笑)。リオ世代はU-20ワールドカップ(W杯)に出場できなかったこともあって『谷間の世代』と言われてきたけど、リオ五輪予選ではアジアを取ったし、本大会でもしっかりした戦いを見せてくれた。その能力が評価されたから、海外に出る人間が増えたし、堂安(律=ビーレフェルト)や冨安(健洋=ボローニャ)ら下の世代にその流れをつないだと考えています」

――2016年リオ五輪直後はまだ海外に行く選手は少なかったですよね。

「すでに久保裕也(シンシナティ)や南野、浅野(拓磨=パルチザン)はいましたけど、僕はまずJリーグで存在感を示すことが優先だと思っていました。その実績が森保一監督になってからのリオ世代の浮上につながっているんじゃないかなと。やっぱりA代表のキャップがつかないとなかなか海外クラブから声はかかりませんから」

まずJリーグで存在感を示すことが優先!

――遠藤航選手も浦和レッズを経由し、2018年ロシアW杯でメンバー入りしてからシントトロイデンに引っ張られましたね。

「航がハリルジャパン時代の2015年に初めて代表に呼ばれた時、右サイドバックで使われていたんです。でも僕はボランチじゃないと世界に行けないと思っていた。ハリルにも『航は賢いし、体も強いから、サイドバックはやめてくれ』とお願いしました。西野朗監督(現タイ代表)になってボランチのサブになりましたけど、僕自身はリオ五輪ではずっとボランチで起用し続けた。それが今に生きたかなと少なからず感じています」

――武蔵選手も国内で長くプレーし、2019年に長崎から札幌に移籍してからブレイクしました。

「実は僕が長崎の監督就任が決まった時、武蔵を長崎に引き留めるために個人面談したんです。そこで本人は『札幌へ行きたい』と。僕は彼に対しては長崎の監督である前にリオ五輪の監督。J1で活躍することがA代表と海外移籍の近道だと分かっていたんで、結果的に後押しする形になりました。その代わり『札幌に入ってA代表にならなかったら許されん』って念押しはしましたけどね(笑)」

インタビューに応じる手倉森監督(筆者撮影)
インタビューに応じる手倉森監督(筆者撮影)

リオ世代で重視したのはズバリ、スピード

――改めて手倉森さんがリオ五輪の代表メンバーを選んだ時、重視したポイントを教えてください。

「1つはスピードです。航は遅く見えるけど、判断のスピード、南野と翔哉(中島=ポルト)はボール運びや球離れが速い。武蔵や浅野、植田直通(セルクル・ブルージュ)も爆発的なスピードを持っています。技術的には少し下手だったかもしれないけど、世界が嫌がる天性のスピードは練習しても身に着かない。そこを重視してメンバーを組みました。

 もう2つはメンタリティがインターナショナルかドメスティックかという点。欧州移籍して日本に戻ってきた関根(貴大=浦和)や井手口(陽介=G大阪)は国外に出ると少し元気がなくなるところが感じられた。それに比べて翔哉なんかはどこに行ってもサッカー小僧すぎるくらいサッカー小僧だった。ケガにも強いですし。今、ポルトでいろいろあるみたいですけど、彼自身の適応は全く問題ないと僕は思っています」

――なるほど。今、注目の南野選手は?

「南野とは僕がリオ五輪の代表監督に就任した頃、2014年ブラジルW杯選考合宿に来た時に初めて会いました。その後、U-20代表活動優先でリオのチームに来るのは遅れましたけど、その時から本人には壮大な夢があったんです。『日本代表のエースになる』と。『手倉森ジャパンは中島翔哉が10番で、自分は18番で我慢しますけど、18番は<出世番号>だと覚えておいてください。(2010年南アフリカW杯の)本田圭佑(ボタフォゴ)さんみたいになります』と、僕に向かって言ったんです」

「欧州のビッグクラブしか考えていない」と打ち明けた南野

――そうですか。それでもハリルジャパンでは2015年に2試合に出ただけで終わりました。

「あの頃は2列目の競争が非常に激しくなってきていましたから。それに南野自身ガツガツしていなかった。圭佑や真司に『拓実、拓実』ってかわいがられて、そこにいるだけで幸せだったような感じ。遠慮もありましたね。『U-20からA代表に来たら飯が全然違いますね』なんて話もしてたくらい。『自分がポジションを奪ってやる』といった気概はまだ持っていなかったんでしょうね」

――2018年ロシアW杯後の森保体制になってメンバーに定着しましたが、初キャップから3年近くかかりました。

「待たされたことはよかったと思います。貯め込んだパワーを森保ジャパンになって開花させたところがあるから。リオの時もあいつはホントにシュートがうまかった。それを認めてもらえたし、本来の力を発揮できるようになったんだと思います。

 代表から長く離れてザルツブルクの活動に専念していたのも『自分はビッグクラブへ行くんだ』と努力する期間になりましたよね。彼のところを訪ねた時、『自分はブンデスリーガかプレミアリーグのビッグクラブしか考えていません。絶対に行きますよ』と話したことがありましたけど、途中で届いた(中堅クラブからの)オファーも断っていた。そのくらい明確な将来像を持っていた。そのチャンスを去年の欧州チャンピオンズリーグのリバプール戦で引き寄せた。彼の読みは正しかったですね」

本田圭佑からも「リオ世代を応援しています」と激励された手倉森監督(筆者撮影)
本田圭佑からも「リオ世代を応援しています」と激励された手倉森監督(筆者撮影)

本田圭佑ら北京世代を超えていけ!

――リバプールではビッグ3(サラー、フィルミーノ、マネ)の控えですが、そこから抜け出すためには?

「クロップのサッカーで言えば、献身的な守備とゴールに直結する仕事でしょうね。南野は真面目でプレーの連続性のある選手だから、ドルトムントでクロップが香川を使い続けたようなことは起こり得る。真司から情報を取れる強みもあるし、絶対に狙ってると思います。サラーやマネと比べてもフィジカル的な部分は五分五分。日本人の中では一番すり抜けるのがうまいし、ボールを突いて走り、相手の鼻っ面でかわしてスキあらばシュートとか、そういうプレーも得意。プレミアではその能力が効いてくると思います。決して言い訳をしないし、短い時間でも結果にこだわって戦える男なので、期待したいですね」

――それ以外に注目している選手は?

「純粋なリオ世代じゃないんだけど、リオ五輪のトレーニングパートナーに呼んだ冨安。今は大化けしていますけど、ブラジルの地元クラブとの練習試合に出した時にこうなることはすぐ分かりました。これから本大会っていう時に普通、練習生を起用しないですよね。彼のショーウインドウになると思って出したんです。彼や堂安、久保建英(ビジャレアル)のような東京世代が突き上げてきているのは、リオ世代にとってもプラス要素ですね。

 本田たち北京世代も『リオ世代には頑張ってほしい』と応援してくれてましたけど、彼らには北京世代を超えられる力があると思うし、そうしなきゃいけない。ここから欧州でのキャリアが始まる武蔵や室屋、橋本らを含め、多くの選手が森保ジャパンの主力になって、日本サッカーを引っ張ってほしいと僕は願っています」

スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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