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W杯3大会主将が現役引退。長谷部誠はなぜ40歳まで世界トップ基準を維持できたのか? #専門家のまとめ

元川悦子スポーツジャーナリスト
日本代表主将として2018年ロシアW杯・ベルギー戦に出場した長谷部誠(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

4月17日の日本時間20時30分からのドイツ語の記者会見で23-24シーズン限りの現役引退を発表した長谷部誠(フランクフルト)。浦和レッズを皮切りに、ヴォルフスブルク、ニュルンベルク、フランクフルトと22年間で4クラブを渡り歩き、日本代表としても114試合に出場。2010年南アフリカ、2014年ブラジル、2018年ロシアのW杯3大会で日本代表キャプテンを務めた偉大なプレーヤーはなぜ40歳までトップ基準を保てたのか。改めてその足跡を辿ってみた。

ココがポイント

▼長谷部のプロキャリアのスタートは2002年に加入した浦和レッズ。当初は主に攻撃的なポジションを担っていた

▼日本代表デビューは2006年2月のアメリカ戦。遠藤保仁と長く「鉄板ボランチ」を形成。W杯3大会でキャプテンを務めた

▼2018年W杯での代表引退後にドイツでのプレーに専念。リベロにコンバートされ、大舞台で鋭い戦術眼と世界トップ基準を示し続けた

・ベッケンバウアーと比較される長谷部誠は 現代を象徴するニュータイプのリベロ(スポーツナビ)

▼40歳になった23-24シーズンを最後に22年間のキャリアに終止符を打つ決断を下し、4月17日に正式発表した

・引退発表の長谷部誠 決断の理由は「今年はあまり…出場していないと負担が大きい」(スポニチアネックス)

エキスパートの補足・見解

日本とドイツのクラブレベル、そして日本代表含めて通算700試合を超える公式戦に出場し、40歳まで現役を続けた長谷部。彼がここまでハイレベルを維持できたのは、各チームの指揮官に求められる役割を確実にこなす適応力と順応性、インテリジェンスを備えていたからだろう。2列目、ボランチ、最終ラインとポジションを変えながら、長く賢く生き抜いてきたことが、その証に他ならない。さらに言うと、自身を厳しく律する強靭なメンタリティも常人とはかけ離れていた。あらゆる面で優れたレジェンドの現役生活に最大限のリスペクトを払うと同時に、指導者としての次なる人生の成功、日本サッカーへの還元を大いに期待したいものである。

スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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