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これぞ日本ラグビーのDNA!“ジェイミー流封印”のジャパン、アイルランドを破る!

永田洋光スポーツライター
レメキ・ロマノ・ラヴァと抱き合って勝利を喜ぶ福岡堅樹(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

“ジェイミー流”よりも“ジャパンウェイ”に近かった金星!

 先日、私が『ウルグアイが起こしたもう1つの「釜石の奇跡」』という記事で紹介したウルグアイのように、ジャパンがしつこくタックルを繰り返し、そして、アイルランドに勝った。

 19―12の勝利は、高温多湿の気象条件を考慮に入れて前半で勝負を決めようとしたアイルランドをキックパスによる2トライに抑え、組織として崩されることなく守り続けた結果の勝利だった。

 しかもジャパンは、ジェイミー・ジョセフ ヘッドコーチ(HC)が導入を図った「キッキングラグビー」を捨て、ボールを蹴るときは確実にタッチを狙ってゲームを切り、安易なオフロードパスも封印した。つまり、“ジェイミー流”よりは4年前の「ジャパンウェイ」に近いラグビーで金星を挙げた。結局のところ、HCが導入を図った方法論は、ジャパンが「アンダードッグ」として「ジャイアント・キリング」を成し遂げるには不要だったのである。

ロシア戦からキックが大幅に減って、パスが増えた!

 相手のアタックに対して低く鋭くタックルに入り、倒れてはまた起き上がり、起き上がってはまた骨惜しみせずにタックルを繰り返す。

 アタックでは、ボールをキープすることを優先して細かくフェイズを重ね、攻撃に行き詰まればキックで地域を獲得する。

 キックからトライを狙ったプレーは、前半立ち上がり3分に、8つフェイズを重ねたあとに、右タッチライン際でCTBラファエレ・ティモシーが前方にボールを蹴り込んでWTB松島幸太朗を走らせたプレーと、ハーフタイム直前にHO堀江翔太が、反対側のWTBレメキ・ロマノ・ラヴァを走らせようとグラバーキックを蹴ったのが目立ったくらいだ。

 ラファエレのキックも堀江のキックもトライには結びつかなかったが、それよりも、どちらのキックも相手に捕球されるのではなく、ラファエレのキックはドロップアウトに、堀江のキックはタッチに出て、プレーを切った点が特徴的だった。アイルランドにいい形でボールが渡ってカウンターアタックを食らうリスクを避ける狙いがあったと思われるが、この日のジャパンは、こうした細かいところまで神経が行き届いていた。

 キャプテンのリーチ・マイケルは、試合後のインタビューで「ディテイル」をきちんとできたことを勝因に挙げたが、きめ細かい戦いを80分間通してできたところが最大の勝因だった。

 データも、ジャパンが手堅く戦ったことを示している。

 試合を通してのキック回数は、ロシア戦の36回から22回へと大きく減り、かわりにパスが183回から201回に増えて、ラックの数も96から115に増えた。要するに、ボールを手にしたら簡単に手放さず、しっかりキープして攻め続けたのだ。

 ディフェンスでは、タックル数がロシア戦の134から176に増えたのは相手が格上であることを考えれば当然だが、成功率も86%から93%へと上がっている。

 なんというか、コーチが替わっても、そのコーチがどんなラグビーを提唱しようとも、日本が世界で金星を挙げる方法論は、基本的に同じだったのである。

4年前の南アフリカ戦との相似点がたくさんあった?

 それにしても、4年前の南アフリカ戦との奇妙な符号を感じたのは私だけだろうか。

 まず、開始早々の1分、ジャパンはアイルランドCTBギャリー・リングローズにラインブレイクされたが、その後のラックでNO8アマナキ・レレイ・マフィがジャッカルに入って反則を誘う。

 この試合の入り方が、やはり4年前の南アフリカ戦で、ゴールラインを背負った防御でジャッカルしたところから試合に入ったことを鮮烈に思い出させた。

 極めつけは、試合前に、26日の時点で11番に入っていたウィリアム・トゥポウが負傷を理由にメンバーを外れ、レメキ・ロマノ・ラヴァが先発に繰り上がって、6日の南アフリカ戦で足を痛めた福岡堅樹がリザーブに入ったことだった。

 クレイグ・ウィングがやはり負傷で先発を外れ、リザーブから先発に繰り上がった立川理道が大活躍した4年前を思い出したのである。

 ひょっとしたら、福岡が、あのときの立川みたいに大活躍するのではないか――と淡い期待を抱いたが、果たして福岡が49分にFB山中亮平と交代すると、空気が変わった。

 いや、正確に言えば、47分にジャパンがゴール前で迎えたアイルランドボールのラインアウトという大ピンチで、LOトンプソン・ルークがボールをスチール。直後にSO田村優のタッチキックがラインを割らず、ふたたび攻められたところで松島がほとんど自陣インゴールから意を決して走り、大きく地域を挽回した辺りで「危ない」という空気が、「いける!」に変わった。そして、そのあとでもう一度福岡がカウンターアタックを仕掛けて場内を沸かせたのだ。

 58分に福岡の逆転トライが生まれたのは、その後の一連からアイルランド陣内でゲームを進めた結果だった。

 このトライも、4年前のカーン・ヘスケスの劇的な逆転トライを彷彿とさせた。

 起点のスクラムから、まずCTB中村亮土がまっすぐタテに走ってゲイン。FWで細かくラックを作り、ゴールラインに迫ったところで中村が外に松島を飛ばす長いパス。これが、立川がマフィに放ったパスにイメージが重なった。

 パスを受けたラファエレも、お得意のフリックパスを封印。正当な日本の“伝統工芸”である、前を向いたまま素早く放るパスを放った。

 ラファエレのパスは、マフィがディフェンスの肩の向きを見て放ったパスに匹敵するほどの見事なパスだったし、福岡が走り込んだ場所も、ヘスケスが飛び込んだ位置に酷似していた。

 なんというか、南アフリカ戦で明確になった日本ラグビーのDNAが、4年後のアイルランド戦につながったようなトライだったのである。

 逆転したジャパンは、その後も厳しい局面を激しいタックルで防いでリードを保つ。

 先発から外されてリザーブに回ったリーチは、鋭く低いタックルで何度もアイルランドの巨漢たちを押し戻し、圧倒的な存在感を見せつけた。

 そして、勝利を決定づけたのが、77分に飛び出した福岡のインターセプトだった。

 これは惜しくもトライにならなかったが、引き分けて2ポイントずつの痛み分けに持ち込もうと目論んでいたアイルランドに引導を渡し、7点差以内負けのボーナスポイントだけで試合を終える判断を下させた。

 4年前を知る男たちが身体を張って引き寄せた勝利は、日本が世界で勝つためには何をすべきかということを改めて明確に示し、勝利の遺伝子を「次」につなげた。

 その意味で、これは日本ラグビーの勝利なのであった。

 

スポーツライター

1957年生まれ。出版社勤務を経てフリーランスとなった88年度に神戸製鋼が初優勝し、そのまま現在までラグビーについて書き続けている。93年から恩師に頼まれて江戸川大学ラグビー部コーチを引き受け、廃部となるまで指導した。最新刊は『明治大学ラグビー部 勇者の百年 紫紺の誇りを胸に再び「前へ」』(二見書房)。他に『宿澤広朗 勝つことのみが善である』(文春文庫)、『スタンドオフ黄金伝説』(双葉社)、『新・ラグビーの逆襲 日本ラグビーが「世界」をとる日』(言視舎)などがある。

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