Yahoo!ニュース

相模原障害者殺傷事件・植松死刑囚が獄中で猿之助さん心中事件を描いて懲罰?彼が着眼した点とは…

篠田博之月刊『創』編集長
2023年7月26日の津久井やまゆり園(「創」編集部提供)

 相模原障害者殺傷事件・植松聖死刑囚が最近、二度の懲罰を受け、厳しい事態に直面しているらしい。

 その話に入る前に、相模原事件の起きた7月26日をめぐって今年2023年はどんな動きがあったのかお伝えしよう。

刻まれた犠牲者の名前が2人増えたことの意味

 今回も津久井やまゆり園で追悼式が行われ、朝から献花が受けつけられた。以前に比べれば規模も小さくなったし、マスコミ報道も一通りなされたとはいえ、そう大きなものではなかった。

 一番大きな動きとしては津久井やまゆり園正面の「鎮魂のモニュメント」に刻まれた犠牲者の名前が2人増えたことだ。犠牲者19人の名前を刻もうと考えたが、いまだに名前を出さず匿名を希望する人たちがいるというのが、この事件がまだ終わっていないことを示しているのだが、そうはいっても名前を刻む人の数は少しずつ増え、今年の2名を加えて10人になったという。

「鎮魂のモニュメント」への献花(『創』編集部提供)
「鎮魂のモニュメント」への献花(『創』編集部提供)

 事件当時は19人全員が匿名で、裁判でも記号で語られたという異様さがこの事件の特徴だが、それは少しずつだが変わりつつあるわけだ。彼らが匿名を求めたのはもちろん、この社会に激しい障害者差別や差別意識が存在しているからだが、それは植松死刑囚に負けたことになるという、津久井やまゆり園家族会の尾野剛士元会長の意見を始め、いろいろな議論がなされてきた。匿名問題はこの事件を象徴する問題だった。

 そうした議論を受けて最初は匿名を求めた犠牲者家族の中でも実名を名乗る人や、社会へ向けては匿名だが、この鎮魂モニュメントだけには名前を記すことに同意する人が増えつつある。

 そう考えると、「鎮魂のモニュメント」に刻まれた犠牲者の実名が年々増えているのは歓迎すべきことだと思う。

二度続けて懲罰房へという厳しい処分

 さて植松聖死刑囚の近況をお伝えしよう。通常、死刑確定者は外部との面会も通信も禁止されるので、その近況といったものはほとんど社会に伝えられることはない。そういう事情もあって、私はできる限り死刑確定者の実情を報告していこうと考えてきた。

 今回の植松死刑囚をめぐる事件は、前回書いた下記記事とも関わりがある。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/77a65a67ec6f885bcdb737d24cab7daf1889072d

7・26を前に、相模原障害者殺傷事件・植松聖死刑囚が最近、獄中で描いた表現について考える

 その中で植松死刑囚が描いたマンガをめぐって拘置所側ともめて懲罰房に送られたと書いたが、その後、2023年7月というごく最近、再びマンガをめぐって拘置所と衝突。今回はちょっと深刻な状況に陥ったらしい。

東京拘置所(筆者撮影)
東京拘置所(筆者撮影)

 本人が経緯を書いてきた文書が手元にあるのだが、ちょっとわかりにくい。

《先日は刑務官と口論になり懲罰房に入りました。電気はつけっぱなしで、見回りはうるせえし、手ざわりの悪い毛布にくせえ布団――睡眠を奪うとは、一種の拷問ですね》

 具体的に何が原因で口論になったかだが、本人の説明はこうだ。

《口論になった原因は、相模原事件をマンガにしても、表紙や首つり自殺の絵(大作)は「秩序を害するおそれがある」と切り取られてしまったのです。ようわ説得力があるわけですし、歌舞伎俳優の一家心中が話題でしたが、週刊誌は「人格崩壊」「セクハラ男」と責めるだけで、8年介護していた事実を見ようとしないのは恐ろしいですよ》

描いたイラストは没収された

 彼の文章は少しわかりにくいのだが、「首つり自殺の絵(大作)」が問題になったらしい。描きかけのマンガを没収したので抗議したら懲罰房に入れられたということのようだ。

「大作」とあるから、もしかしたらちょうど締切時期にあたる「死刑囚表現展」への出品作だったのかもしれない。歌舞伎俳優の一家心中について言及しているので、もしかしたらそれについての絵だったのかもしれない。興味深いのは《週刊誌は「人格崩壊」「セクハラ男」と責めるだけで、8年介護していた事実を見ようとしないのは恐ろしいですよ》という、猿之助さんの事件らしいものに対する植松死刑囚の言及だ。

 もともと植松死刑囚は、相模原障害者殺傷事件についての動機の説明においても介護している母親などの疲れ切った様子といったことに言及していたから、同じ論理でこの事件を捉えたのかもしれない。ただいずれにせよ表現しようとしたイラストは没収されてしまったわけだ。

拘置所側が重大視して厳しい措置に

 恐らく拘置所側は、この間、植松死刑囚が描いたマンガやイラストを外部に送り、それが『創』や『実話ナックルズ』などに掲載されていたことに神経を尖らせていたのだろう。

  植松死刑囚の描いた謎のイラスト(『創』2023年6月号より)
  植松死刑囚の描いた謎のイラスト(『創』2023年6月号より)

 問題なのは、今回の騒動について拘置所側はかなり重大視したようで、この後、彼の描いたマンガやイラストの外部持ち出しをいっさい禁止してしまったらしいことだ。「死刑囚の表現展」への出展もこのままではできなくなりそうだし、『創』に届けると連絡があったイラストかマンガも届かなかった。

 彼にとって問題だと前述したのは、そもそも植松死刑囚にとって、獄中での唯一と言ってよい楽しみのようなものがイラストやマンガだったからだ。何度も書いているように母親がプロのマンガ家だったことと関わりがあるのか、彼は獄中でたくさんのイラストやマンガを描いて、死刑が確定するまではマスコミなどに送ってきた。死刑が確定して外部とのやりとりが禁止されてからもマンガを描くことは忘れなかったようで、再審請求を通じて弁護士とやりとりすることになってから、それらは再び外部に持ち出されるようになった。

『創』でも2023年6月号から彼の描いたマンガを掲載し始めた。彼の犯した事件にかんがみ、差別意識があらわになったような作品は掲載されないということも本人は理解しているようで、今回、懲罰房の後に不許可になった『創』あてのマンガも、これまでに比べて突出していたようなものではなかったと思われる。つまり拘置所側は、今後、内容いかんに関わらず、マンガやイラストは不許可、という方針を決めた可能性がある。

  植松死刑囚が描いたマンガ(《創》2023年8月号より)
  植松死刑囚が描いたマンガ(《創》2023年8月号より)

 問題は「死刑囚表現展」への出展が困難になってしまったことだろう。2022年は秋葉原事件の加藤智大元死刑囚が刑を執行され、その年の出展作品が遺作になってしまった。この何年か、加藤元死刑囚、植松死刑囚、そして寝屋川事件の溝上(山田)浩二死刑囚の3人は絵画部門への出品数が群を抜いており、この何年か六本木で開催されている「死刑囚表現展」でも特に目立っていた。それら常連の出展者にとっては、この表現展は、年に一度の大きなイベントだった。

植松死刑囚本人にとっては深刻な事態かも

 懲罰として課された今回の措置がいつまでどのように続くのかわからないのだが、植松死刑囚にとっては、マンガやイラストを描くという生きがいのひとつになっているような活動が制限されたことは深刻な事態かもしれない。

 植松死刑囚は、相模原事件前の2016年2月、安倍元首相に届けようとして警備にはばまれ、衆院議長公邸に届けた犯行予告の封筒に、「鯉」のイラストを同封していた。背びれがちぎれるような逆流のなかを昇っていく「鯉」は、周囲の制止を振り切って「革命」と思い込んだあの凄惨な犯行に突き進んだ自分を鼓舞するものだったのかもしれない。この「鯉」のイラストを彼は多くのマスコミに送っており、テレビでも紹介された。

植松死刑囚の描いた「鯉」と「竜」(『創』編集部提供)
植松死刑囚の描いた「鯉」と「竜」(『創』編集部提供)

 その後、彼は獄中で練習を重ね、「竜」のイラストなども描いていくのだが、自分なりの思いをそれらに込めていたと思われる。今回の拘置所の措置は、恐らく本人にとっては、いささか深刻な事態と受け止められているのではないだろうか。

再審請求の理由についてのもうひとつの説明

 もうひとつ、相模原事件のあった7月26日を機に植松死刑囚は、マスコミで再び報道の対象となり、それを機に弁護人と再審請求について話し合う機会があったらしい。マスコミの弁護人を通じた取材依頼では、「控訴を取り下げておきながらなぜ再審請求で裁判のやり直しを求めたのか」という質問が多かったようだ。彼は裁判所に提出した再審請求の理由として、2020年に行われた裁判では自分の主張や事件の動機が十分に審理されず、判決でもあまり評価がくだされていないことをあげていた。

 彼は法廷での被告人質問などでは自分の主張を開陳したのだが、確かにその具体的な内容、「7つの主張」について判決文は具体的に言及するなどしていない。裁判の大半が彼の責任能力の有無をめぐる審理に終始してしまった結果だろう。植松死刑囚にとっては、それに対する不満が再審請求の大きな理由だったようだ。再審請求申し立ての文書に彼は、判決文のコピーを添付して裁判所に送っていた。

 しかし、この7月、植松死刑囚は、それと別の再審請求の理由を弁護人に語ったという。こんなふうだ。

《自分は判決のあった時には、日本は間もなく崩壊すると思っていたのですが、その後、まだ数年は持ちそうだということに気づいたのです》

 確かに2020年の判決当時、植松死刑囚は面会に訪れる人全員に、その年6月に首都圏が崩壊するので地方に移った方がいいと熱心に勧めていた。面会のたびに真顔でそれを言うので、私など傍で聞いていて、その真顔で語る彼の様子にいつも驚いていた。

 ところが彼が預言した2023年6月に首都圏崩壊は起こらなかった。間もなく日本は滅ぶので控訴審をやっている場合ではないと思っていたのが、まだ数年は持ちそうだと気づいたのが再審請求の理由のひとつだと言うのである。

 なぜ死刑を覚悟しながら再審請求を起こしたのかーーこの間、多くのマスコミが提示した疑問への彼なりの答えのひとつがそういうことだったようだ。

 相模原事件についてはまだまだ謎が多く、真相が解明されたとは言い難い。植松死刑囚は自ら控訴を取り下げているだけに、死刑執行が他のケースより早まる可能性がある。あの恐ろしい障害者殺傷事件から、この社会は何を教訓としたのだろうか。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

篠田博之の最近の記事