アルゼンチン人コーチの新たな挑戦
京都サンガの背番号10、エスクデロ 競飛王。今シーズンは現在まで17試合に出場し、パープル色のエースナンバーが似合うようになって来た。
そんななか、彼の実父であるセルヒオ・エスクデロは日本を離れ、エルサルバドルに渡った。1964年02月10日生まれ。1981年にプロとなり、1983年にU20アルゼンチン代表、1997年にはアルゼンチンビーチサッカー代表として活躍。現役最後の所属は浦和レッズだった。
レッズのジュニアユース、ユース、レイソル青梅のジュニアユース、埼玉栄高校、ロクFCジュニアユースなどの指導者を経て、このほどプロチームのコーチとなった。
「エルサルバドルのプロ1部リーグは12チームで構成されています。ナショナルチームは82年のスペイン大会以来、ワールドカップからは遠ざかっていますが、Jリーグよりも歴史があるんですよ。25年前に革命があったので、その時はできなかった。ゲリラがいましたからね…」
セルヒオの兄であるピチ・エスクデロは、1979年ワールドユース東京大会でマラドーナと共に世界一となっている。その兄は、エルサルバドルで指揮をとって3年目を迎える。
「Jリーグができる2~3年前、横浜フリューゲルスにアルゼンチン人選手が2人いたんです。メサとアコスタ。その時のCBが、チェロナ・ロドリゲスっていう名前のエルサルバドル人だった。J元年にも在籍していました。僕とピチとチェロナは友達になった。チェロナ・ロドリゲスは、引退後にエルサルバドルのサッカー協会で働いていたから、まず、ピチが監督に誘われ、僕は兄のチームのコーチというオファーがあったんです。FASっていうチームです。
エルサルバドルにはビッグクラブが3チームあります。アリャンサ、アギラ、そしてFAS。FASは2番目に大きく、2万人収容のスタディアムもある。エルサルバドル代表は、この間、ペルーと練習試合やって、1-3で負けてるんだけど、いい勝負しました。日本代表とやったら五分五分だと思いますよ。いい結果を出したいですね」
母国、アルゼンチンがコパ・アメリカで惜敗し、メッシが代表チーム引退と沈むなか、52歳の新たな挑戦にエールを送りたい。新たな地での活躍を期待する。