平昌パラリンピックが始まる前に【パラアイスホッケー(アイススレッジホッケー)】を知っておく!!<3>
8月1日に当サイトで配信した記事で紹介したとおり、来年3月9日から18日まで開催される「ピョンチャン(平昌)パラリンピック」は、昨季の世界選手権(Aプール)の結果により、カナダ、アメリカ、韓国、ノルウェー、イタリア が、既に出場権を獲得。
日本は、スウェーデン、ドイツ、チェコ、スロバキアとともに、(開催国出場権が行使されなかったことから)残り「3つ」の出場権を懸けて、「最終予選」に挑みます。
▼日本代表が決戦の地へ!
今日、日本代表のメンバーは成田空港に集結。
空路を乗り継いで、決戦の地となるスウェーデン中部の都市エステルスンドへ向かいました。
▼2大会ぶりの出場を目指す!
2大会ぶりのパラリンピック出場権獲得を目指す日本は、現地に到着後、調整合宿を行ったあと、9日(現地時間)から始まる最終予選に挑みます。
日本(昨季の世界選手権Bプール2位)は、最終予選でドイツ(同Aプール7位)、スウェーデン(同Aプール6位)、スロバキア(同Bプール3位)、チェコ(同Bプール1位)の5か国と総当たりし、3位以上の成績を収めると、ピョンチャン パラリンピックの出場権を手に入れることができます。
★大会のスケジュールは、日本パラアイスホッケー協会の公式サイトをご覧ください。
▼バンクーバーで銀メダル!
日本が前回出場した2010年の「バンクーバー パラリンピック」では、銀メダルを獲得しました。
オリンピックの男子と女子のアイスホッケーも含め、日本のホッケー界で初めて手にした銀メダルへ至ったのは、一にも二にも積極的な強化の成果だと言えます。
そこで、「平昌パラリンピックが始まる前に【パラアイスホッケー(アイススレッジホッケー)】を知っておく!!」その1、その2に続いて、今回は日本の強化の歩みを振り返りましょう。
▼海外遠征の成果が銀メダルへ
1998年の「長野パラリンピック」開催決定を受け、少しずつ競技が広まっていきましたが、世界の強豪と肩を並べるようになったのは、2006年の「トリノ パラリンピック」以降だと言えるでしょう。
少なくても月に一度。多ければ二度以上の海外遠征に取り組み、アメリカ、カナダを中心としたトップレベルの国との試合を頻繁に開催。その努力が結実し、「バンクーバー パラリンピック」での銀メダル獲得に至ったのです。
▼世界一のチームに選出
世界のスポーツ界を驚かせた日本の大躍進は、2011年12月の国際パラリンピック総会で、夏季、冬季全ての競技を対象に選ばれた「最優秀チーム賞」を、日本のスポーツ界で初めて受賞。
世界一のチームの称号を得た日本でしたが、その一方で、銀メダル獲得を花道に主力選手がチームを離れたのに加え、用具や遠征費の負担が重荷となり、やむなく第一線を退いた選手が続いてしまいました。
日本身体障がい者アイススポーツ連盟スレッジホッケー委員会を、発展的に解消する形で、2006年12月に設立された日本アイススレッジホッケー協会(当時の名称)では、車椅子バスケットボールをはじめとする他競技からの転向者を募ったり、体験会を催すなどして、新規選手の獲得に努めてきたものの、日本代表選手以外も含めた競技人口を増やすための努力は、順風満帆ではありませんでした。
▼プレーを始めるには高いハードルが
パラアイスホッケーは、競技の特性からリンクとベンチの段差や、バケットに腰を掛けた低い姿勢でも、ベンチ内からリンクが見渡せるクリアボードなどが必要に(公式大会の場合)。そのため、練習の時でさえ利用可能なリンクは限られてしまいます。
加えて競技人口が少ないが故に、用具の調達も輸入に頼ることが多く、費用面の負担も看過できません。
このような中で、アメリカやカナダのように、アイスホッケー界全体で強力なサポートを続ける国や、近年のロシアや韓国のように、パラリンピックの開催にあたり、国を挙げた強化に取り組む各国との差を縮めるのは、容易ではありません。
冬季パラリンピックで唯一のゴール型競技として、世界中から注目を集めるパラアイスホッケーで、日本が再び輝きを放つためには、真のスポーツ政策が急務であると言わざるを得ないでしょう。
▼総力を挙げて最終予選に挑む!
とは言え、ピョンチャン パラリンピックの最終予選が、待ってくれるわけではありません。
勝負の時へ向けて日本は、バンクーバーの銀メダルメンバーの上原大祐(35歳・FW)、中村稔幸(48歳・DF)が復帰。
文字どおり、総力を挙げて最終予選に挑みます!