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なぜ人は誰かと別れるときに痛みを感じるのか?その哲学的理由

ひとみしょうおちこぼれの哲学者・心理コーチ・作家

今から2000年以上前、正確には紀元前380年に、プラトンは『饗宴』を記したとされています。その中にアリストファネスの話があります。

それによると、大昔、男と女はオトコオンナという1つの生き物だったそうです。ちょうど今の男女が背中合わせにくっついている感じだそうで、したがって1体に手は4本、足も4本あったそうです。顔(というか頭)は2つあったそうです。

それではお供え物の数が少なくて困ると言い出した神様がいて、その神様がオトコオンナを真っ二つに割った、すなわち男と女に分けたとのこと。

その結果、お供え物は倍に増えました。が、男は絶えず自分の半身である女を探し求めるようになりました。女も同様に、自分の半身である男を探し求めるようになりました。

というのが、プラトンの『饗宴』に収録されているアリストファネスの話の概要です。

なぜ人は誰かと別れるときに痛みを感じるのか?

さて、その説に従うなら、私たちは自分の半身に出会ったとき、激しく恋焦がれ、惹かれ合い、ひとつになると言えます。

実際にアリストファネスは「自分の半身に出会った者は驚くほど相手に親密さを感じる」と述べています(カギカッコ内要約。以下も同じ)。

また、「彼らは単に性行為をしたいという理由で惹かれ合うのではなく、彼らの魂はそれ以上の何かを求めて1つになろうとするのだ。その何かは言葉に表すことができない」とも書かれています。

以上のことから、「なぜ人は誰かと別れるときに痛みを感じるのか?」という問いの答えは、自分の半身と再び離れなくてはならないからだ(それが痛みを伴わないわけがないからだ)と言えます。

つまり、恋人とは「もうひとりの自分」なのであり、それは要するに「自分」なのであり、したがって別れとは、自分と別れることを意味する。だから「身を切られるように」痛いのです。

新海誠監督「秒速5センチメートル」

とくに10代から20代において、自分がなぜ相手にこうも惹かれるのか、自分でも言葉でうまく説明できないことがあると思います。「なんかさみしいから」付き合ったとか、「なんか性的魅力を感じるから付き合った」などと言おうと思えば言えるけれど、しかし、それでは十分言えていない――そんな感覚とセットで交際した人も多いのではないでしょうか。

そこにはじつは、偶然にも自分の半身と出会った喜悦があり、自分の半身と喧嘩する虚しさがあり、自分の半身と1つになれた歓喜があり、自分の半身と別れなくてはならない魂の金切り声があったのです。プラトンの『饗宴』に依拠するなら、そのように言えるでしょう。

納得するか否かはあなた次第ですが、私は新海誠監督の「秒速5センチメートル」を見るたびに、アリストファネスの話を思い出します。

おちこぼれの哲学者・心理コーチ・作家

8歳から「なぜ努力が報われないのか」を考えはじめる。高3で不登校に。大学受験の失敗を機に家出。転職10回。文学賞26回連続落選。42歳、大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なぜ努力が報われないのか」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道主宰「哲学塾カント」に入塾。キルケゴール哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミー主宰。

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