ローエングリンを巡る今は亡きホースマンやトップ騎手達の線と点のエピソード
欧州でカルチャーショックを受ける
今週末、阪神競馬場でマイラーズC(GⅡ、芝1600メートル)が行われる。
このレースを2003、05年と2度制したのがローエングリンだ。
父のSingspielはイギリスの伯楽サー・M・スタウトが管理した馬でジャパンC(GⅠ)やドバイワールドC(GⅠ)を、母のカーリングはフランスのオークスにあたるディアヌ賞(GⅠ)を勝利した良血馬。父の名から連想したオペラの名作をその名にしたこの馬を管理したのは当時まだ50歳代の伊藤正徳調教師だった。
伊藤は1987年に調教師試験に合格すると、翌年の開業までの間にヨーロッパへ飛び、研修した。
「そこでカルチャーショックを受けました。スタネーラがジャパンCを勝った理由が分かった気がしました」
第3回のジャパンCを制したスタネーラはアイルランドの調教馬。来日後は引き運動ばかりだったため体調に問題があると思われていた。ところがゲートが開くと最後は直前に天皇賞を勝っていたキョウエイプロミスとの叩き合いを制し、優勝した。そして、レース後に「筋肉痛をほぐすために引き運動にじっくりと時間をかけた」事が奏功したと分かった。
「日本ではまだどの馬も型にハマった同じような調教をしていた時代。実際にヨーロッパへ行って、向こうのやり方を目の当たりにして馬1頭1頭に合わせて調教しなくてはいけないというのを痛感。自分が開業したらそういうスタイルでいこうと思いました」
ローエングリンで重なった線
そんな伊藤の下に、入って来たヨーロッパ色の強い血統馬がローエングリンだった。
同馬は3歳時の02年に宝塚記念(GⅠ)で3着に善戦すると、冒頭で記したように03年にはマイラーズCを優勝。それも1分31秒9という当時のレコードで走破。同年の夏にはフランスへ飛ぶとジャックルマロワ賞(GⅠ)こそ10着に沈んだが、続くムーランドロンシャン賞(GⅠ)では勝ったネブラスカトルネードから半馬身差の2着に善戦してみせた。
「大外枠だったけど、浩輝がうまく乗ってくれてよく頑張りました」
当時、伊藤はそう語った。浩輝と言われたのは弟子で、フランスの2戦に騎乗した後藤浩輝。03年にレコードで制したマイラーズCでも、手綱を取っていたのは彼だった。残念ながら後藤は早世し、伊藤も定年直後に鬼籍に入った。2人はもういないが、マイラーズCが来ると、ローエングリンを思い出し、彼等も思い出される。
ちなみにローエングリンがデビューしたのは01年10月14日の東京競馬場。当時、私は福永祐一が関東に来る際のみエージェントのような事をしており、この日に彼が東京へ来る事を伊藤に伝えると、歓迎して乗せてくれた。当時の福永は現在のようなトップジョッキーではなかったため、関東圏で騎乗依頼をもらうのはなかなか大変だったのだが、父の福永洋一と同期だった伊藤は、比較的柔軟に対応してくれる調教師の1人だった。
先述した通り、伊藤も後藤もすでに他界しているが、一方、福永はすっかり一流騎手の仲間入りを果たし、先週もジオグリフを駆って皐月賞(GⅠ)を制してみせた。それぞれのホースマン人生の線が時に点で重なり、また離れて別々の線として伸びていく。それもまた競馬の面白いところではあるが、残念ながら伊藤と後藤の線が再び伸びる事はなく、ゆえに福永のそれと交わる事ももうないだろう。残された福永のますますの活躍を願おう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)