【九州三国志】稀代の謀略家・上村頼興!相良一族の庶家に刻まれた血脈と波乱の運命
上村頼興は、相良氏の宗家と深い血縁を持つ庶家の出であり、その時代、相良一族内で最も有力な存在でした。
祖父の縁から相良家と近しい関係を築き、父頼廉を通じてその立場を確立しましたが、頼興自身は稀代の謀略家としても名を馳せています。
義滋(長唯)と長隆兄弟の内紛では、当初その争いに介入を拒否するものの、義滋が嫡男晴広を宗家の養嗣子とすることで協力を取り付けます。
この一件を契機に、頼興は義滋を補佐し、宗家との結びつきを一層強化しました。
しかし、その裏では、実弟・長種や従兄弟頼春の謀殺を行い、勢力を拡大していきました。
頼興の没後、彼の息子たちによる反乱が起こりますが、義陽による徹底的な鎮圧により、頼興一族の命運は尽きます。
偽りの帰参で迎えられた息子たちも、最終的に切腹を命じられるという壮絶な末路を迎えるのです。
相良一族の繁栄と争いの中で、頼興の名は謀略の象徴として語り継がれることとなりました。