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6年の交渉の末、閉ざされたこの国の罪と罰の現場へ。厳罰化を求める前に知ってほしい刑務所のいま

水上賢治映画ライター
映画『プリズン・サークル』 坂上香監督 筆者撮影

 ドキュメンタリー映画『プリズン・サークル』は、悲惨な事件や事故が相次ぎ、あらゆる場面で処罰感情が高まるいま、みておきたい1作といっていいかもしれない。日本初となる刑務所内の長期取材に臨んだ本作は、実は考えてきたようであまり考えてこなかったのではないかと思える、日本における「罪」と「罰」の在り方についてきっと考える機会になる。

 そもそも本作について話すには、手掛けた坂上香監督の過去作を少し振り返らねばならない。2004年の『Lifers ライファーズ 終身刑を超えて』(※以下、『ライファーズ』)と2013年の『トークバック 沈黙を破る女たち』と坂上監督は、アメリカの受刑者を取材した作品を発表している。とりわけ今回の『プリズン・サークル』とリンクするのは、『ライファーズ』だ。

 この作品は、1981年、アリゾナ州に創設された世界的なTC「アミティ」を主題にしている。TCとはセラピューティック・コミュニティの略で、日本訳では回復共同体。ひとつの更生プログラムで、さまざまな依存症や問題を抱える人間同士(コミュニティ)が、徹底した語り合いなどで相互に影響を与え合い、新たな人間関係を構築し、自らの問題の対処法を身に付けることを目指す。

 『ライファーズ』で坂上監督は、カリフォルニア州の<刑務所内TC>と<社会復帰型施設TC>に参加する受刑者を取材している。

映画『プリズン・サークル』より
映画『プリズン・サークル』より

こういう刑務所ができたことを社会に伝えたい

 そして、『プリズン・サークル』では、この受刑者同士が対話をベースに自ら犯した罪と向き合い、更生を促すTCが日本で唯一導入されている刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」(※以下、島根あさひ)に密着している。しかも、この刑務所にTCが導入されたのは、『ライファーズ』がきっかけだった。坂上監督はこう明かす。

「実は『ライファーズ』を劇場でみてくださった刑務所関係者がTCに関心をもって、当時、新設予定だった『島根あさひ』に導入する方向になったとのこと。わたしのところにもご連絡がきたんですよ。『(導入にむけて)協力してほしい』と。

 ただ、当時はお断りしたというか、少し距離を置かせていただいたんです。罪を犯した人間が再び罪を犯さなくなるひとつの取り組みであるTCのアミティの発想は、日本にも必要だと思いました。でも、日本の刑務所は、事件の加害者である彼らを隔離し、厳しく扱い、働かせ、刑期をまっとうさせたら、それで終わり。そうした杓子定規なシステムで続く中で、このような画期的なプログラムがほんとうに導入されるのか、かなり懐疑的でした。

 導入までの経緯は詳しくは知らないんですけど、2008年に刑務所が完成して、翌年の2009年にはTCがスタートした。そこからしばらくしてまたご連絡をいただいたんです。『研修でアミティから人を呼ぶので、いらっしゃいませんか』と。それでいってみることにしたんです。

 でも、正直なことを言うと、『うまくいっていないだろう』と思っていました。ところが、これができているんですよ。想像以上にうまくいっていた。もうびっくりしちゃって。『ライファーズ』の日本版というか。アメリカのアミティと同じようなことができている。

 その場でめっちゃ感動して泣いちゃいました(苦笑)。こんなことが日本で実現するなんて思っていなかったから。ある種の革命ですよ。だって、基本的に刑務所内は私語厳禁で、話してはいけないと指導されている。そういう受刑者が話すことが許されて、話すことをむしろ促進推奨されていされるわけですから。

 この最初の滞在で、すでにこれを撮りたいと思ったんです。日本の刑務所でこんな試みがされていることを誰も知らない。あともうひとつ。映画でも描かれているんですけど、プログラムを実践する中で、受刑者と民間のスタッフの方の関係がひじょうにフラットというか。受刑者に対して、スタッフの対応がひじょうに物腰柔らかだった。それも衝撃で。

 というのも、こんな対応も刑務所の中ではありえないこと。受刑者にとって刑務官は絶対服従のような関係ですから、対等に話すことなんてありえない。

 とにかくこういう刑務所ができたことを社会に伝えないといけないと思ったし、自分も見てみたい。TCが機能していくのか、どういう結果が出るのか、見届けたいと思ったんです」

前例のない中で、取材許可を勝ち取るまでの苦難の日々

 しかし、ここからの道のりが長かった。取材許可が下りるまで6年、撮影2年、そして公開まで2年と足かけ10年の時間を要することになる。

「まず、企画書を受け付けてもらえないんですよ。テレビ局だったら、窓口の広報から少なくとも受け付けてもらえる。でも、わたしはフリーランスで、しかもテレビの特集の企画ではなく、ある程度長期取材でドキュメンタリー映画にしようとしている。刑務所としてはそういった取材企画を受けたことがない前例がないから、誰も受け取ってくれないんですよ。前例を作るといろいろとめんどうだから、できればその前例を作りたくないから、たらいまわしにされる。わたしが根負けしてあきらめるのを待ってるって感じで、とにかく受け取ってもらえない(苦笑)。

 それでもあきらめずに打診し続けて、4~5年経ったころ、ようやく理解ある方が所長に就いて、とりあってもらえました

 すると『ライファーズ』を作っていたので、わたしがTCに理解があるともわかってくれて、下準備のリサーチもほんとうに希望通りにさせてくれたんです。担当の方までつけてくれて、TCに入っている受刑者全員に話をきくこともできた。

 あと、この町は『島根あさひ』を町ぐるみで見守っているところがあるんです。たとえば、文通プログラムというのがあって、高齢者の方々が受刑者と文通をして交流している。刑務所を嫌がる土地がほとんどなのに、そんなことが実践されている。だから、そこも大切だなと思って、町の人にも話をききましたし、市役所の職員や市長さんともお会いしました。だから、最初はTCのみじゃなくて、『島根あさひ』全体についてのドキュメンタリーとして考えていたんです」

 ただ、そううまく事は運ばなかった。

「こんなに協力してもらえるならすごくいい映画ができると思っていたら、所長さんが転勤になってしまい、刑務所側の体制がまったく変わってしまった。TCに対する理解があまりない所長に代わってしまって、ほぼ振り出しに戻ってしまったんです。その後も紆余曲折がありましたが、何とか取材自体は許されることになったんです」

取材を許されているのに、撮ることを許されない日々

 でも、取材は最悪の環境だった。刑務所サイドの体制の一新で、クルーは招かざる客となった。それは映像からひしひしと伝わってくる。

「フリーハンドとはいかず、監視がついての取材でした。カメラマンは大ベテランでプロ中のプロですけど、彼が『長いカメラマン人生の中でこんなひどい扱いを受けたことはない』と憤ったくらい。ときに刑務官がバッとやってきて、ファインダー覗いて、あれこれ指示したりする(笑)。下手したら、そのポジションを移そうとしたりする。

 だから、クルーはカメラマンと録音マンの2人だったんですけど、どちらも『もうやめよう』と。こんなの映画にならないから刑務所サイドの体制がもうちょっと理解があるものにかわった時期に仕切り直したらどうだといわれたぐらいです。

 二人とも『ライファーズ』のスタッフなので、アメリカのアミティの撮影も経験しているんです。もうアミティのTCは自由で、あれこれいわれることなんてない。

 でも、『島根あさひ』は、取材を許されて現地にいっても何も撮らせてもらえない。いろいろと理屈をつけて、撮影を制約する。まあ、むこうとしては撮影をあきらめさせたい気持ちがあるわけです。でも、わたしとしては6年も待たされているわけで、あきらめるなんて考えられない。一方で、この映画のために尽力してくださったり、犠牲を払ってくださった職員だっておられます。わたしとしては、一歩も引きさがることはできない。

 そんなこんなが続いて、撮影を許可された2年のうち、最初の1年は制約だらけで、ほんとうにフラストレーションがたまりました。そのあと、再び体制がかわって、少し風向きがかわって、なんとか成立した感じです。

 わたし、日本で作品をつくると、ほんとうに毎回、ひどい嫌がらせを受けるんですよ(苦笑)。調査報道とかで、人の暴かれたくないことを暴くみたいな内容の映画だったら、抵抗されたり妨害を受けるのは、わかるんですよ。

 でも、わたしは世間に知られていないTCをもっと知ってもらって、理解を深めてもらいたいだけ。別に法務省のお抱えをやるつもりは全然ないですよ。でも、世間に知ってもらって理解が深まれば、法務省としても刑務所としても悪いことではないと思うんです。でも、刑務所というひとつの役所という組織としては、自分たちがコントロールできる範囲内のことはみせるけど、それ以上はみせたくない。へたにみせて、いろいろな意見が出てくると彼らにとってはやっかい。波風立てずにすませたい。だから、当たり障りのないところはみせるけど、それ以外はシャットアウト。それだと、逆に勘繰られると思うんですけどね。なにかそこにあるんじゃないかと。

思い出したのは、かつてした公立中学校の取材。このときも、取材に同意をいただいていたにもかかわらず、ほんとうに招かざる客で。できれば学校内で起きることをオープンにしたくないという雰囲気でした。学校も刑務所も閉ざされた空間であまり内部が見えてこない。なんか日本社会の中にある閉鎖性をみるようでした。作品をみた人は、そこまでの大変さはわからないと思いますけど、撮影はほんとうに苦労の連続でした」

映画『プリズン・サークル』より
映画『プリズン・サークル』より

自らの罪に気づいたとき生の感情と心からの言葉があふれでる

 こうした困難を乗り越えて完成した作品は、TCに参加する4人の受刑者の若者を中心にした構成。塀の中でTCのプログラムを受ける彼らの姿を追う。

 彼らの罪状は、窃盗、詐欺、強盗、傷害致死などさまざま。罪の大小はあるが、いずれにしろ罪を犯した彼らが、TCを通して、自らのことを同じく罪を犯している参加者に話し、いろいろな意見を聞く。そうすることで、なぜいまここ(刑務所)にいるのかと、きちんと向き合うことになる。

 その行為は、できればあまり考えたくない自身をみつめ、現在から過去にさかのぼり、自分の人生の歩みを振り返ることでもある。どこで自分は道を誤ったのか、なぜ犯罪に手を染めてしまったのか、罪を償うとはどういうことなのか、自問自答し、自らの心を追及したとき、封印していた過去のいまわしい体験や、犯罪の原因などが露呈する。しかも、彼らの生の感情と心からの言葉となってあふれでてくる。そして、自ら犯した罪の大きさ、贖罪の意味、自らが背負った十字架の重さを彼らは知ることになる。

「TCを運営するスタッフの導き方も大きいのですが、受刑者同士が対話をして、意見を交わすことで、ほんとうの意味で自分の犯した罪について深く考えるようになる。

 たとえば登場人物のひとりが『窃盗はいまだに犯罪だと思えない』と発言すると、みんなが『それは犯罪だよ』とつっこむ。でも、そのひとりが『その気持ちはわかる。おれも置き引きやってたからな』と言う。

 傍からみると、不謹慎なやりとりかもしれない。でも、『万引きはダメ、窃盗は犯罪』というのは簡単。そう教えられてきたわたしたちは、当たり前に受け止められる。でも、『窃盗はいまだに犯罪だと思えない』といった彼は小学校2年生まで夜ごはんが出てこなかった。で、高校生になったらまたごはんなしみたいなことになって、生き延びるためにお弁当を盗むのが日課になった。6歳から毎日だと言ってました。そういう境遇にいた人間に、頭ごなしにただ『悪いことだ』といったところで心に響かない

 でも、同じような立場の人間に言われると、すっと入ってくるところがある。映像では撮れていないんですけど、彼はあのあと、薬物依存の人物と対話をする。その人物が薬物依存になったきっかけが、大切なものを盗られたことだった。そこで人のものを盗むということがどういうことなのか、説得力をもって心に響いてくる。心が動くわけです。

 偉い人にレクチャーされるよりも、こうした当事者に出会うことってすごく大事なんじゃないかと思った瞬間でしたね」

 TCを通して、彼らは自らと向き合い、罪と向き合う。それを「見せかけ」ととる人もいるかもしれない。でも、彼らが自身と罪ときちんと向き合ったことは少なくとも認めてあげたい。そう思える言葉の数々がここにはある。

「『これがまだ悪いことだとは思えません』というシーンがありますけど、それって大切だと思うんです。口先だけの反省ではダメとどこか気づいている。そこにこの人物の偽らざる本心がある。

途中で、『謝りたいです』じゃなくて、『謝りたいと思えるようになりたいんです』という言葉も出てくる。謝罪の気持ちがまだ芽生え始めた段階だと思うんです。だからそれを素直に言えていることが大事だと思うんです。そこはほんとうの気持ちとして信じてあげたいですよね」

人間と向き合わずして更生はできないのではないか?

 こうしたTCに参加することでの彼らの心の変化をみていると、更生において他者とのかかわりの大きさを実感する。変な話になるが、歌手などの慰問があれだけ喜ばれるのは、娯楽に飢えているのではなく、実は人との出会いに飢えているのではないかと思えてくる。

「そうだと思います。作品をみてわかると思いますが、わたしは受刑者と対話をさせてもらえませんでした。

 それで出所した登場人物に最終的に作品をみてもらう場を作ったんです。そのときに、『2年間撮影にいったわけだけど、わたしたちのこと嫌だったでしょ。ごめんなさい』と謝ったんです。カメラを持って1カ月に必ず3日から1週間ぐらい急に来て、急に撮られて、会話禁止ですから仕方ないんですけど、何も言わないで帰っていく。でも、『わたしたち挨拶も許されなかった』といったら、1人が、『いや、そんなことない。誰かが来てくれる。誰かが自分たちのことを見てくれている。ここに自分はいるんだってことを知ってくれているってことを知ることがすごい救いだった』といったんですよね。

 『もちろん島根あさひはほかの刑務所より恵まれていて、TCのプログラムもあったけど、それでもやっぱり孤島にいるような感じだった。ほんとうに遠い場所にあるから、誰も面会にも来てくれない。だから、社会からも、世間からも忘れられてしまったような、すごい孤独感があった。でも、そこに1カ月に1回でも違う人たちが来るっていうのは、すごい僕たちは救いだったんですよ』と言われて、『そうだったのか』と。

 社会から切り離されてるということが実は大きな損失で。出所者に話を聞いて、人とコミュニケーションを遮断されることのダメージがどれほど大きいかを知りました。

 ある方から話をきいたのですが、軽犯罪で別の刑務所に入ったんですけど、彼は心を病んでしまった。すごく厳しい刑務所だったようで、出所後は、精神科への通院と向精神薬が欠かせなくなった。

 その気持ちが少しわたしはわかります。たぶん、わたしはすぐ心が病むと思います。

 この撮影中、ほんとうに体調がすぐれなかったんです。アメリカの刑務所を取材したときは、体がおかしくなることなんてなかった。でも、今回取材すると、毎回、身体がかちこちにこりかたまるというか。体が棒のようになって動けなくなるぐらい精神的にうつうつとしていました

 それは途中で気づいたんですけど、刑務所内に入ったら私たちはしゃべっちゃいけない。終始監視の目があって、ずっと1つの部屋にいなければならなかった。監視カメラも張り巡らされていますしね。許されたのは、その部屋とTCプログラムの場所の往復だけ。受刑者のみならず、職員でさえ顔見知りなのに挨拶さえしてはいけないと、担当の刑務官から命令されました。終始なんらかの圧力を加えられているようで、とにかく身体が緊張しっぱなし。こんな状況にずっといなければいけないと想像したら、怖かったですよ。TC時間外は懲罰的ですから。

 こういう環境で、人はきちんと罪と向き合って、更生できるのかな?と

 もうすこし受刑者であっても他者とコミュニケーションをとる自由が許されてもいいのではないか。そのほうが更生へとつながっていくのではないかと正直、思いましたね」

映画『プリズン・サークル』より
映画『プリズン・サークル』より

刑務所は現行のシステムとプログラムで果たしていいのか?

 わたしたちの中には、罪を犯した人間には苦行を与えなければいけないという意識がどこかにあるのではないだろうか?  罪を知り、罪を償うには、相応の処罰が必要。それは人が受ける上で苦しみでなくてはならないといったような。

 ある意味、そのいわゆる国民感情的なところを具現化しているのが「現在の刑務所」なのかもしれない。まずは世間に納得のえられる処罰で厳しく対応する。再犯率の低下や更生はその次にある。作品をみていると、いまの刑務所のシステムがそのように映る。

「作品に登場する以外にも何人かの受刑者に話をききました。ある方は性犯罪者で、聞くと9歳ぐらいのときにAVをみてしまって、そこから毎日マスターベーションをしないと気持ちが抑えられなくなった。

 そこから下着を盗みにいったりして、中高年になって盗撮し、痴漢やレイプに発展したケースや、人とコミュニケーションが取れないなかで、唯一関係がもてる小さな子に性的な行為に及んでしまったケースなど、犯罪がエスカレートしていったり、長年繰り返している人物に何人も会いました。

 海外の人に日本で刑務所にいる受刑者が4万人というと、一様に驚かれる。『それしかいないの、安全な国だね』と。わたしも大学の講義では少し前まで、犯罪が激増しているとメディアがいっているけど、日本は世界でも犯罪率が低い安全な国と説明していた。

 でも、最近、考えを改めたというか。安全なんじゃなくて、社会が対処してこなかっただけなんじゃないかと思うようになった。幼児虐待やDV被害も、ここ数年でやっと出てきただけで、実際は今までだってたくさんあった。でも、社会が見て見ぬふりをしてきただけなんじゃないかなと。

 これからそういった見過ごされてきた事件や被害の可視化が確実に進む。そして、犯罪も多様化している。そこで、刑務所が現行のシステムとプログラムのままでいいのかとちょっと考えますよね」

 そういう意味で、ひとつのモデルケースとしてTCはもっと導入を進めてもいいように思うが、作品をみるかぎり広まる気配はあまり感じられない。

「いまは、刑務所は矯正教育というのを行っている。一応、受刑者は全員それを義務として受ける必要があるっていうふうに法律にも書かれてるので、それはTCの後押しにはなりますね。TCだけじゃなくて、性犯罪の教育とか薬物の人への教育とかもある。ただ、正直、本気でプログラムを有効で有意義なものにしようと考えているかはわからない

 みてもらえばわかるのですが、少なくともここに登場する受刑者はいい方向に向かっている。TCは世界でも有効なプログラムとして広まっている。ただ、日本では知られていない。ゆえに理解も進んでいない。それを法務省がどうみるのか。個人的には、もう少し好意的にとらえてもいいと思うんですけどね」

 いずれにしても塀の中で、どんなことが行われ、受刑者たちがどんな日々を送っているのかを本作『プリズン・サークル』はつまびらかにする。テレビでよくあるスペシャル番組とはまったく違う光景がここには収められている。

 償いとは?反省とは?更生とは? ここに登場する受刑者にあなたはなにをみるだろうか?

映画『プリズン・サークル』より
映画『プリズン・サークル』より

シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中

場面写真はすべて(C)2019 Kaori Sakagami

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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