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大統領弾劾のハードルの高さにみるアメリカ政治の根底にある理念

前嶋和弘上智大学総合グローバル学部教授
トランプ大統領のウクライナ疑惑の弾劾調査開始決議案を可決するペロシ議長(写真:ロイター/アフロ)

 アメリカの連邦議会下院がトランプ大統領のウクライナ疑惑の弾劾調査開始を正式に決定する決議案を可決した。ただ、弾劾までの見通しはまだかなり不透明だ。

 

 ウクライナ疑惑

 ウクライナ疑惑とは、今年7月にトランプ大統領がウクライナのゼレンスキー大統領に電話をした際、ウクライナへの軍事支援と引き換えに、トランプ氏の政敵であり、来年の大統領選挙の民主党予備選に立候補しているバイデン氏の疑惑を捜査させようとした疑惑である。親の威光を借り、ウクライナの有力エネルギー会社の重役になった息子のハンター・バイデンの疑惑、さらにはハンター氏に対するウクライナ当局の捜査を妨害したのではないかというバイデン氏そのものの疑惑をそれぞれ調査させようというのがトランプ大統領の狙いだったとみられる。

 今回の決議案

 このウクライナ疑惑について、10月31日に下院でまとまった決議案は、弾劾調査開始の決議であり、弾劾訴追そのものではない。

 大統領や副大統領は、国家への反逆罪、収賄罪、およびそのほかの重大な罪を犯し、有罪となった場合には、その職を解かれる。この有罪を問う権限を持つのが連邦議会だ。

 具体的には下院が単純過半数の賛成に基づいて大統領を訴追し、上院が弾劾裁判を行う。上院では出席議員の3分の2以上の賛成で弾劾を決定する。

 今回の決議案はトランプ政権や共和党の関係者が「手続き上の不備」を主張し、議会からの召喚状などを拒否しており、この状況を打開するための公式な手続きを進める決議案である。つまり、調査(捜査)を促進し、下院での弾劾訴追に向けた手続きを進めるための第一歩でしかない。

 決議案への投票結果は賛成232、反対196となったが予想通り、党派で賛否が分かれた。共和党は194人が全員反対(3棄権)、民主党は賛成231、反対2だった(1棄権)。たった一人の無党派(前共和党)のアマッシュ議員は賛成票に入れた。

 拙速だが、「ぎりぎりのタイミング」

 民主党がこの決議を急いだのには理由がある。それは「選挙妨害」の批判を避けるため、選挙年の来年にできるだけ持ち越さないようにしなければならないためだ。民主党が下院で当初目指していた11月下旬ごろの弾劾訴追決議は厳しいものの、関心が高いうちに訴追に持ち込みたい。そう考えると、急いで調査を促進するには、実際にはぎりぎりのタイミングといえる。

 ただ、ウクライナ疑惑が表面化したのは今年9月であり、そもそもまだ2か月程度である。メディアの報道が先行し、あくまでも疑惑が点在している状態である。現段階ではまだ証拠が十分とはいえないだろう。今後、議会側の証人喚問も進み、疑惑の点と点が結び付き、パズルが埋まっていき、弾劾に値するような司法妨害や贈賄、国家への反逆などがもし立証できたら、弾劾の手続きは進んでいくかもしれないが、そのハードルは上述の日程を考えるとかなり厳しいかもしれない。

 もし疑惑が広がっていった場合、いつかは予定されるとみられるトランプ氏の喚問がポイントとなろう。そこで宣誓をした上で偽証をした場合、後述する弾劾裁判にかけられた2人目の大統領であるクリントンと同じように、司法妨害とみなされる可能性もある。

 それでも民主党が多数を占める下院でたとえ弾劾訴追決議が通っても、共和党が多数派であり、しかも3分の2以上の賛成が必要な上院の壁は大きい。

 そもそも難しい弾劾

 そもそも、弾劾については国家としては一大事であり、そもそものハードルは高くなっている。実際にアメリカの歴史で、弾劾裁判にかけられたのは1868年のアンドリュー・ジョンソン大統領(南部再建問題での議会との対立)と1998年のクリントン大統領(不倫偽証をめぐる司法妨害)の2人だけであり、いずれも有罪は成立しなかった。

 1970年代のウォーターゲート事件に関与したニクソン大統領の場合、権力の乱用などの理由で下院司法委員会が下院に弾劾を勧告した段階で、辞任している。もし現職の大統領が死亡や辞職、弾劾となった場合、副大統領、下院議長の順で大統領に繰り上がっていく。ニクソン辞任後は副大統領のフォードが大統領に昇格した。

 日本の場合、日本国憲法下で過去に4回内閣不信任が可決されているが、こちらの方は衆議院の単純過半数で可能となる。それに比べると、上下両院、しかも上院の場合は3分の2の賛成票が必要となるため、アメリカの大統領弾劾という「伝家の宝刀」は非常に重い。議会には弾劾する権限が与えられているものの、それも乱用できないようになっているのは、大統領だけでなく、議会が独走することも防ごうという狙いがある。

 大統領弾劾のハードルの高さにみるアメリカ政治の根底ある理念  

 大統領弾劾のハードルの高さにはアメリカ政治の根底ある理念が大きく影響している。それは権力の分立に他ならない。

 そもそも議会がなぜ大統領を弾劾にかけることができるのだろうか。それは、アメリカの大統領は、「強くて脆い」存在であるということに大きく由来する。大統領は外交や安全保障では非常に強い存在である「国家元首(ヘッド・オブ・ステート)」であり、「主席外交官(チーフ・ディプロマット)」として外交の最高責任者であるほか、「三軍の司令官(コマンダー・イン・チーフ)」として、軍事上の最高者も兼ねている。

 一方で、アメリカでは国内政治では、大統領よりもむしろ、より人々に近い関係にある連邦議会の方に権限がある。なぜ、大統領の権限が限定されているのだろうか。簡単にいえば“王様”を作らないという建国以来の強い理想があるためである。君主国であるイギリスの植民地から流して独立したのがアメリカであり、欧州各国の“王様”のような絶対権力者を徹底的に排除するのがアメリカの政治システムの核心にある。「大統領は一人で何でも決められる」といったイメージは明らかに間違いである。

 アメリカでは「三権分立」が、日本などの議院内閣制の国に比べて極めて明確である。大統領を“王様”にしないための工夫である。

具体的いえば、大統領の憲法上の主な役割は、行政府の長であり、「執行長官」である。議会という他の人が作ったルール(法律)を自分なりに政策に落としていく責任者が大統領であり、簡単に言えば「執行を担当するリーダー」に過ぎない。

 諸外国との関係の中では、臨機応援に対応する役割が必要であり、その権限が大統領に与えられているものの、それはあくまでも与えられたルールの中での政策運営の一環であると考えればいいのかもしれない。

 大統領の脆さは、なんといっても大統領が望むルールが成立しにくい構造があることが大きい。アメリカでは大統領自身が法案そのものを提出することはできず、法案提出も審議も議会の役割である。日本では行政権がある内閣が提出する(実際は官僚が作成するが)「閣法」が立法化される法案の9割を占めている。

 大統領は毎年1月に行う一般教書演説の形で、法案を議会に「提案」することはできるが、実際の審議は議会の手に任せられており、立法化の過程で大統領の本来の意図とは大きく異なる法案になってしまう。特に例年の「予算教書」などはまさに絵に描いた餅である。「教書」には政権が進めたい方向性とその予算が挙げられているものの、その方向性に沿ったものもないわけではないが、議会でズタズタにされるのが常だ。

 近年は政治的分極化が進み、「大統領の政党(与党)」対「対立党」といった議院内閣制と似たようなプリズムで議員も動くことが多いものの、そもそも政党内の法案拘束もないに等しい。指導部からの圧力はあっても無視することも一般的だ。法案は大統領が署名しないと成立しないが、かつては自分の政党の議員たちが対立党と組んで、大統領の拒否権を覆すことも少なくなかった。

 大統領への議会のけん制の中でも重要なのが、議会には大統領や副大統領を弾劾する権限が与えられている点である。この議会の弾劾の権限こそ、大統領と議会の権力の分立を最も象徴的に示すものだろう。大統領や副大統領は、国家への反逆罪、収賄罪、およびそのほかの重大な罪を犯し、有罪となった場合には、その職を解かれる。この有罪を問う権限が議会にある。

 弾劾については、訴追権限は下院に、裁判の権限は上院にある。大統領が重大な罪過を犯した場合、下院が単純過半数の賛成に基づいて訴追し、上院が弾劾裁判を行うことになる。その際、最高裁判所長官が裁判長となるほか、上院では出席議員の3分の2以上の賛成で弾劾を決定する。ただ、上述のように大統領弾劾については国家としては一大事であり、そもそものハードルは高くなっている。

 弾劾調査の行方

 冷静に現段階をみれば、あくまでもトランプ大統領の弾劾の可能性は低い。つまり、民主党としては弾劾を強く支持する支持者の声を背景に「負ける戦い」をあえて挑んでいるようにもみえてしまう。

 それを示すように、弾劾に対する意見も党派的に分かれている。トランプ氏は電話会談記録を公開した上で、弾劾調査は間接情報に基づく「魔女狩りだ」とずっと反論してきた。支持者はいまのところ、トランプ氏の主張の方を信じているように見える。世論調査は10月17日から20日にかけて行われたCNNの調査によれば、民主党支持者の87%が弾劾に賛成しているのに対し、共和党支持で弾劾に賛成するのは6%しかなかった。

 さらにトランプ陣営の指摘では、ウクライナ疑惑が表面化した直後、トランプ氏への選挙献金が急増したという。

 ウクライナ疑惑を巡る議会弾劾調査で、疑惑のトランプ氏の電話を直接傍聴した米国家安全保障会議(NSC)高官のビンドマン氏が10月29日、「トランプ氏の行為は不適切だ」と議会で証言した。これこそ大きな打撃になるかと思われたが、いまのところ、トランプ氏や共和党は「そもそもビンドマン氏は反トランプの男だ」と主張している。トランプ氏にとっては、世論が割れる中、「議会が無理筋」というイメージを共和党支持者を中心に植え付けるのがポイントであろう。

 今後、弾劾やトランプ大統領に対する支持率に大きな変化はなく、調査で決め手がないまま下院が訴追すれば、トランプ氏の支持者はむしろ、結束する。そうなると、2020年選挙でむしろ痛手が大きいのは民主党側という事態になるかもしれない。

上智大学総合グローバル学部教授

専門はアメリカ現代政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(北樹出版,2011年)、『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』(小学館、2022年)、『アメリカ政治』(共著、有斐閣、2023年)、『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』(共編著,東信堂,2020年)、『現代アメリカ政治とメディア』(共編著,東洋経済新報社,2019年)等。

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