ハムサンドがホンダを呼び寄せた 工場閉鎖のスウィンドンは蒸気機関車の街だった「エンジニアの歴史」に幕
「欧州域内での電動車生産は難しい」
[英南部スウィンドン発]これまで「英スウィンドン工場は欧州連合(EU)だけでなく、グローバルの車両供給拠点として機能している」と強調していたホンダの八郷隆弘社長が19日、記者会見し、スウィンドン工場とトルコ工場での自動車生産を2021年中に終了すると発表しました。
「電動化の加速に対応できる生産体制づくりを、特に需要ボリュームが望める中国、米国、日本で進めています」「欧州域内での電動車生産は競争力などの観点で難しいと判断し、今後はグローバルの生産リソースをフル活用し、競争力のある商品を市場に提供します」
ホンダは30年に自動車販売台数の3分の2を電動化するというグローバル目標を掲げています。メーカー全体で出荷台数を加味したCAFE(企業別平均燃費基準)規制が厳しくなる欧州では5年前倒しして25年に目標を達成すると八郷社長は宣言しました。
昨年、ホンダの欧州販売は13万台強で、域内シェアは1%に届きませんでした。スウィンドン工場でシビックやCR-Vを16万台強生産しましたが、このうちEU向け輸出は2割にとどまり、英国やトルコに生産拠点を持つメリットが薄れていました。
スウィンドン工場の閉鎖で3500人の雇用がなくなり、サプライチェーンなど関連の雇用を含めると計7000人に影響が出る恐れがあると英メディアは報じています。21年末までにホンダの生産能力は世界全体で6%減の510万台になるそうです。
英国の自滅が始まる
英国の自動車産業は独フォルクスワーゲンのディーゼル車データ改ざんスキャンダル、米中貿易戦争と中国経済の減速、環境規制の強化に加えて、英・EU離脱交渉の難航と四重苦、五重苦に見舞われています。
それに対して日本・EU経済連携協定(EPA)が今月1日に発効。7年かけて自動車の関税を撤廃するため、EUの単一市場・関税同盟から出ていく英国で生産しなくても、日本国内で生産して輸出できるメリットが出てきました。
「ブリュッセルから主権を取り戻せ」と経済合理性を無視して強硬離脱(ハードブレグジット)を唱えてきた英国の自滅が始まった格好です。
グレッグ・クラーク英ビジネス・エネルギー・産業戦略相はこの日、工業団体EEF主催の会議で、ホンダの工場閉鎖について「これが苦い一撃ではないと強がるつもりはありません」と臍(ほぞ)を噛(か)みました。「今朝、ホンダの工場で働く熟練工とその家族に思いを致しました」
「主催団体の調査で製造業の経営者の3分の2が『合意なき離脱』は直ちに製品の価格上昇につながると答え、3分の1は雇用に影響すると回答しています」
「一部の人(強硬離脱派)はこうした懸念を『単なる脅し』と非難します。しかし英国で製造業を営み、数百万人を雇っている経営者をよく知る私にとっては『現実』を直視すること以外の何物でもないのです」
ハムサンドを馬車から放り投げた
スウィンドンと言えば、「英国人の中で最も偉大な100人」の2位に選ばれたこともあるエンジニアのイザムバード・キングダム・ブルネル(1806~59年)が設計したグレート・ウェスタン・レールウェイ (GWR)で有名な「エンジニアリングの古里」です。
大型蒸気船の製作や2140ミリメートルの広軌採用でも知られるブルネルと監督がロンドンと英西部の港湾都市ブリストルの間で蒸気機関車の整備工場を建設しようと敷地を探していました。
移動中の馬車で昼食をとっていたブルネルが「このハムサンドを放り投げ落下した地点を整備工場にしよう」と投げたところがスウィンドンだったという逸話が残っています。しかし真偽の程は分かりません。
GWRで働く熟練工が豊富にいたため、スウィンドンは第二次大戦中、航空機の製造工場になりました。この跡地に目をつけたホンダは1985年に広大な敷地を買収してスウィンドン工場を建設。自動車生産はその4年後に始まり、飛行機の滑走路は走行試験のコースに生まれ変わりました。
筆者はロンドンからGWRの電車に乗ってホンダのスウィンドン工場に向かいました。途中、車窓から日立の鉄道整備工場が見えました。スウィンドン駅からホンダの工場に行くバスの中はお年寄りが多く、EU離脱が話題になっていました。
白髪の女性は「私が離脱か、残留のどちらかは話したくないわ。ホンダの工場閉鎖はとてもショックよ」と言って、筆者に降りるバス停を教えてくれました。
ホンダの工場では昨日のニュースで閉鎖を知った従業員が普段通り出勤してきました。話しかけると「打ちのめされている」「気が動転している」と皆、肩を落としました。
「自分が話しても何も変わらない」「話さない方が良い」と首を振る人も多かったです。中には「俺たちにだって電動車は作れる」と憤る人もいました。この日、スウィンドン工場の生産ラインは従業員の動揺を考慮して止められました。
2年前から働くダレンさん(47)は「多くの従業員が動転していた。中には生産が始まった最初の日から働いている従業員もいた。ホンダの工場以外で働いた経験のない人もいる。閉鎖という決定は動かない。21年末までのどの時点で辞めるのか決めなければいけない」と話しました。
18年間働くジェイソンさん(49)は「出勤してきて、英国人現法社長のビデオメッセージで昨日のニュースが本当だったことを確認した。こんな重大なことをビデオメッセージで知らせるとはお粗末なマネジメントだ。せめて目の前で説明してほしかった」と腹立ちをぶつけました。
従業員の1人が筆者に提供した資料は、英・EU離脱の影響には一切触れず、「電動化への変化のスピードはホンダの予想をはるかに上回っていた。特に欧州では」と強調していました。
スウィンドン工場で27年間働いたジェイソン・スミス現法社長は「ゲンバ(現場)アナウンスメント・ビデオ」と呼ばれるビデオメッセージの中で、この日から「リダンダンシー」と呼ばれる人員過剰による解雇の相談を始めたことを明らかにしました。
「今日は働かなくていいから家に戻って休んで下さい。今日の給料は払います。明日から通常通り操業します」と全従業員に伝えました。
今後の手続きを知らせる資料が配られ、「ゲンバ(現場)ミーティング」や相談セッションが設けられました。午後から八郷社長のビデオメッセージも流されました。
19世紀半ばから続いてきたスウィンドンの「エンジニアの歴史」はホンダの工場閉鎖で幕を下ろしてしまう恐れが膨らんでいます。
(おわり)