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アスリートにも通じる? ある棋士の取った"奇策"

楊順行スポーツライター
233メートルのバンジーを飛んだという謝さん

定石とは辞書によると、「ある局面において双方にとって最善とされる一定の打ち方。長年の研究によって確立されたもので、それに双方が従えばある局面の結果は互角になる場合が多い」。ここから転じて、「物事を行う上で、一般に最善と考えられている方法・手順など」も、一般に定石というようになった。語源となった囲碁の「定石」とは、ちょっとニュアンスが違っている。たとえば野球なら、無死で出た走者をバントで二塁に進めるのが定石だろう。

謝依旻女流本因坊はいう。

「囲碁の世界での定石は、知識として持っておくべき重要なことなんですが、かといって定石通りに打つだけではあっという間に負けてしまいます。定石は教科書で、実際の試験である対局には、教科書に載っていない問題ばかり出ますから。私たちプロとアマチュアの方が対局して、お互いに定石を打ち合っていれば、いい勝負にはなるでしょう。だけど、応用力の高いプロがいったん定石から外れた手を打つと、アマチュアの人はとたんに思考が停止してしまいます。暗記してきた教科書には載っていない局面だからですね」

台湾出身。2004年、14歳4カ月という当時の女流棋士最年少でプロとなり、06年には17歳1カ月で女流最強戦に優勝した。やはり、最年少での女流棋戦初タイトル奪取だった。10年、史上初めて女流三冠(女流本因坊、女流名人、女流棋聖)を独占し、15年には3年ぶりに女流本因坊を獲得して三冠に返り咲いている。

なぜバンジーを飛んだのか

「4000年の囲碁の歴史では、何万、何十万もの定石があって、それらすべてを覚えるのは不可能に近いですね。ただ、10年前に流行したものが、研究が重ねられるうちにすたれてきたり、逆にある局面によっては、何10年も前の定石が通用します。改善があったり、新しいものも出てきたりと、定石はつねに変わっています」

このあたり、スポーツの戦術にも通じるものがある。おもしろかったのは、謝女流本因坊が取った"奇策"だ。たとえば13年、棋士人生で初めて負け越した。女流本因坊戦でも、連覇記録が途切れた。2勝2敗の最終局で、なんとか勝ちが見えてきた最終盤に、不用意に犯したミスが敗因。野球でいえば、9回ツーアウトから逆転負けを喫したようなもので、「同じ局面が10回あったら、絶対に同じことはしないというミス」(謝女流本因坊)だった。

挫折感がのしかかる。だが2カ月後には、すぐに次のタイトル戦が控えている。なんとか自分を変えたい……と思った彼女が、台湾に帰る途中で立ち寄ったのは、マカオだった。なんと233メートルものマカオタワーから、バンジージャンプをするためだ。東京タワーの特別展望台くらいの高さである。周りのビルはすべて自分より下にあり、足がすくみ、逃げ出したくなった。

「これまでの人生について、いろいろ考えもしましたね(笑)。だけど、前の人は楽しそうに飛んでいるし、ロックががんがん流れてみんなハイになり、見物している人も"あなた、飛ぶの? 動画にとっていい?"と声をかけてきて。そこへ、"54321!"といきなり早口のカウントが入り、"え、もう行くの?"と思う間もなく……飛びました、死ぬかと思いました(笑)」

念のために動画サイトで見てみると、それはもう恐ろしい高さである。

もちろん、バンジーを飛ぶことと囲碁の技量には、なんの相関もないし、一般的にいういわゆる"定石"の組み合わせではないだろう。だがこの体験が、彼女になにかをもたらしたのも確かだ。いままでなにを悩んでいたんだろう、ただ生きているだけで十分じゃないか……。その14年、謝女流本因坊は女流棋聖戦、女流名人戦とタイトルを防衛した。これまた"定石"ではないが、14年末に挑戦したホノルル・マラソンでも、約6時間をかけて完走したという。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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