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月曜ジャズ通信 2014年4月21日 菜種梅雨のシトシト雨にはバラードがよく似合う号

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家

もくじ

♪今週のスタンダード〜アヴァロン

♪今週のヴォーカル〜ローズマリー・クルーニー

♪今週の自画自賛〜ジャズ耳養成マガジン「JAZZ100年」第2巻

♪今週の気になる1枚〜小林桂『星に願いを』

♪執筆後記〜須永辰緒

「月曜ジャズ通信」のサンプルは、無料公開の準備号(⇒月曜ジャズ通信<テスト版(無料)>2013年12月16日号)をご覧ください。

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ベニー・グッドマン『ライヴ・アット・カーネギーホール1938』
ベニー・グッドマン『ライヴ・アット・カーネギーホール1938』

♪今週のスタンダード〜アヴァロン

「アヴァロン」は、1920年のショー「シンバット」のために作られた曲です。

このショーのために、シンガーのアル・ジョルソンがバディ・デシルヴァの手を借りて作詞、ヴィンセント・ローズが作曲を担当しました。デシルヴァもローズも、ブロードウェイで活躍したショー・ビズ界のクリエイターです。

このショーは人気を博して、「アヴァロン」もヒットを記録。当時は、プッチーニの歌劇「トスカ」のアリア「星に輝く」をパクったのではないかというゴシップ騒ぎも巻き起こしたほど注目を浴びたショーだったようです。

1930年代になると、スウィングが流行するなかでこの曲もカヴァーされるようになります。なかでも1938年にベニー・グッドマンがカーネギー・ホールで開催した記念すべきコンサートで演奏されたことにより、“スウィングの定番”という評価も定着しました。

映画「カサブランカ」のなかで名場面となっている、サム(ドゥーリー・ウィルソン)が「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」を弾き語りする前に、ほんの触りだけ弾いているのが「アヴァロン」です。

歌詞を読むと、どうやらアヴァロンは地名を指しているようなのですが、だとすれば、アーサー王物語の舞台となったイギリスのどこかにあるとされる伝説の島のことじゃないかと思われます。おそらく、厳密に「これ!」というイメージがあって用いたのではないと思うんですが……。

♪Al Jolson- Avalon (1920)

オリジナルのアル・ジョルソンによる音源が残っていました。

♪The Benny Goodman Quartet 1959-Avalon

こちらが、「アヴァロン」をスタンダードとして決定づけたベニー・グッドマンによる演奏です。

♪Nat King Cole Avalon

ナット・キング・コールの十八番でもあったので、1991年に娘のナタリー・コールがリリースした『アンフォゲッタブル』にも収録されています。

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ローズマリー・クルーニー『オン・ブロードウェイ』
ローズマリー・クルーニー『オン・ブロードウェイ』

♪今週のヴォーカル〜ローズマリー・クルーニー

ローズマリー・クルーニーは、1950年代のアメリカのヒット・チャートを賑わせた“名花”のひとりです。

当時、彼女のように歌に映画にと活躍する“名花”は多く登場したのですが、ローズマリー・クルーニーはジャズ・シーンでの評価がとくに高いのが特徴です。その原因は、ジャジーな“声”にあるんじゃないでしょうか。

1928年に米ケンタッキー州メイズヴィルで生まれた彼女の幼少期はあまり幸せなものではなく、13歳のときに母親は彼女と妹をアルコール依存症の父親の元に残して出ていってしまいます。その父親も17歳のときに失踪してしまい、仕方なく姉妹でラジオ向けのオーディションを受け、歌手として生計を立てる道を選びました。

姉妹が結成したクルーニー・シスターズは1946年からトニー・バスター楽団の専属を務めましたが、数年後にはユニットを解消。ミッチー・ミラーに認められたローズマリーは、21歳のときにニューヨークへ拠点を移すことになります。この決断の結果はほどなく現われ、1951年に「Come On-a My House(家へおいでよ)」が全米ヒット・チャート1位を獲得、スポット・ライトの中央に躍り出ました。

そして、1950年代は世界的なヒットを連発、映画やテレビ・ドラマ、バラエティ・ショーなどへの出演が目白押しとなり、“国民的アイドル”として忙しい毎日を送っていました。

1960年代に入ると、ヒット・チャートの上位はロック勢によって占められるようになり、彼女の人気にも陰りが見えてきます。仕事は途切れなかったにもかかわらず、これを気に病んだ彼女は薬とアルコールに頼るようになり、1970年代前半はほとんど消息もつかめない状態になってしまいます。

一説に、ロバート・ケネディが暗殺されたロサンゼルスのアンバサダー・ホテルに彼女も大統領指名選の応援で居合わせたことが引き金になったと言われています。

失意の彼女に手を差し伸べたのは、映画「ホワイト・クリスマス」(1954年)でも共演していたビング・クロスビー。

1975年にシーンに復帰すると、精力的にコンサートやアルバム制作を展開しました。ただし、その体形は“国民的アイドル”時代の3倍ほどにも膨れ、面影はありませんでしたが……。

2002年にはグラミー賞を受賞しましたが、2月の授賞式には肺がんの治療中で出席できず、6月にビバリーヒルズの自宅で息を引き取りました。

ちなみに、俳優のミゲル・フェラーは最初と2度目の結婚相手だった俳優のホセ・フェラーとのあいだにできた子息、俳優のジョージ・クルーニーは母親が家を出るときに連れていった弟の子息、つまり甥にあたります。

♪Come On-A Our House !

ローズマリー・クルーニーの名声を決定づけた「家へおいでよ」です。いや、“カモナマイハウス”と言ったほうがわかりやすいかも。チャキチャキという表現がふさわしいキレのある歌い方が、リズミックなラテン調のメロディにピッタリだったことが、成功の要因ではないでしょうか。

♪Rosemary Clooney- Mambo Italiano

こちらもヒットを記録したナンバー。こういう小股の切れ上がったような歌い方ができる人は少なかったことも、彼女の高い評価につながっていると思います。もちろん、シットリとしたバラードも絶品ですので、探して聴いてみてください。

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ジャズ耳養成マガジン「JAZZ100年」第2巻
ジャズ耳養成マガジン「JAZZ100年」第2巻

♪今週の自画自賛〜ジャズ耳養成マガジン「JAZZ100年」第2巻

隔週刊のCD付き雑誌「JAZZ100年」の担当連載です。

「名演に乾杯」の2回目は、CD収録のドナルド・バード「恋人よ我に帰れ」に合わせてスター・バー・ギンザの岸久さんが選んだカクテル“ブルー・ムーン”の紹介です。

ブルー・ムーンというのは月が青くなる現象ではなく、“ありえないこと”のたとえだったそうです。ところが、火山の爆発の影響で実際に月が青く見える現象が起きてしまったことから、別の現象に使われるようになりました。それは……、雑誌を買ってのお楽しみです。

この雑誌、CD付きという性質上ばっちり包装されているので、書店で手に取ってなかをパラパラと……、ができないんですね。マイルス・デイヴィスやクリフォード・ブラウン、リー・モーガンといったトップ・トランペッターたちの名演が解説付きで楽しめますので、申し訳ありませんが、お買い上げのうえ続きをお読みください。

♪Donald Byrd- Lover Come Back To Me

1958年録音のアルバム『オフ・トゥ・ザ・レイシス』収録の1曲です。

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小林桂『星に願いを』
小林桂『星に願いを』

♪今週の気になる1枚〜小林桂『星に願いを』

20歳で彗星のごとくメジャー・デビューを果たすと、5年間で10作品をリリースして数々の賞に輝き、“天才ヴォーカリスト”の名をほしいままにした小林桂。

ところが彼は、その後の約5年、活動を休止します。そして、迎えた30歳となる2010年、自己レーベル“twinKle note”を立ち上げ復帰。セルフ・プロデュースのアルバムを制作する傍ら、新人のプロデュースも行なうなど、さらに幅広い活動を展開しています。

2013年11月リリースの本作は、音楽的ルーツと言えるディズニー・ナンバーに取り組んだ内容で、オリジナル「リメンバー」を除いたすべてにディズニー映画の出典が記されている、すなわち歌の背景にディズニー・オリジナルという巨大な存在感が鎮座しているという、ある意味では親しみやすい、しかしカヴァーする側の個性を出すのが難しいという、チャレンジャブルな企画になっていると言えます。

それにしても彼のアルバムやライヴを通して感じるのが、その尋常ならざる、妥協を許さない姿勢です。本作ではその真摯さがさらに深まったという感じが伝わってきて、柔らかな彼のヴォイス・トーンと対照的なのがとても刺激的です。

参加メンバーの演奏も同様のテンションで、それもまた聴きどころのひとつ。

“癒し”だとか“クール”だとか騒いでいるようなジャズ・シーンを尻目に、彼はすでに“絶対零度の美”を手にし始めているのではないかーーそんな気にさせる、珠玉のポピュラー・スタンダード集です。

♪小林桂/君のようになりたい

アルバム冒頭を飾るアニメ「ジャングル・ブック」からのナンバーです。「ジャングル・ブック」は1966年に急逝したウォルト・ディズニーの遺作として1967年に公開されました(日本公開は1968年)。

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富澤えいち『頑張らないジャズの聴き方』
富澤えいち『頑張らないジャズの聴き方』

♪執筆後記

DJ講座の見学をさせてもらいました。日本のトップDJのひとりである須永辰緒さんが開催した「サラリーマンDJ養成講座」というイヴェントです。

日本にクラブ・ジャズのムーヴメントが来襲した1990年以降、ボクも雑誌の取材でDJ クラッシュさんや竹村延和さんといった黎明期のトップDJにインタビューしたことがあったのですが、その独特の視点と審美眼に敬服し、以降、斯界に漂う“クラブ・ジャズは亜流”論に反対する立場をとるようになりましたーーってそんな大げさなものじゃなくて、彼らが推す曲って「あ、やられた……」という独特の感覚を感じるものが多くて、ついつい引き込まれちゃうんですよね。まあ、それこそがトップDJの力量なわけですが。

須永辰緒さんは“レコード番長”としてその名が知れ渡り、ボクも『須永辰緒の夜ジャズ』シリーズのアルバムは拝聴しておりましたが、お目にかかるのは初めて。

講座が終わってから少しお話ししたのですが、「いまはDJやりたいっていう人って真面目なんだよね。僕らが始めたころは不良がやるもんだったのに」と笑ってたのが印象的でした。

そうそう、ジャズってもともと不良の聴くものだったんですよね。“悪魔の音楽”とか言われていたらしいですし。

それがいまでは、ジャズのブランドもしっかりと確立されているわけですから、なにごとも“常ならず”というべきでしょうか。

ジャズのブランド化に貢献した先駆者はルイ・アームストロングだと思いますが、そのあたりの話はまたの機会にーー。

♪【World Standard Kagoshima】須永辰緒 at Club CAVE

富澤えいちのジャズブログ⇒http://jazz.e10330.com/

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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