山縣亮太の語るアジアのライバル蘇炳添(中国) アジア出身選手初の9秒台スプリンターとは?
100mで桐生祥秀(日本生命)が昨年、日本短距離界悲願の9秒台(9秒98)を出した。4×100mリレーでも2016年リオ五輪、2017年ロンドン世界陸上と連続してメダルを獲得し、男子短距離は社会的にも大きな注目を集めている。だがアジア大会(8月にインドネシア・ジャカルタ開催)が最大目標の2018年シーズンは、中国の蘇炳添(そ・へいてん。現地発音は“スー・ビンチャン”。28歳)が日本のショートスプリンターたちの大きな壁となる。昨年10秒00をマークした山縣亮太(セイコー)は、蘇との直接対決も多い(表参照)。
蘇の強さや2人の接点、そして自身の2018年シーズンへの思いなどを語ってもらった。
盛況の日本短距離陣を上回る蘇の躍進
山縣は蘇のことを、自分よりも“格上”と認識している。と同時に、外国選手であるが、“同士に近い感覚”もあるという。
「2012年(ロンドン五輪)に勝ったこともありましたが、自分が足踏みをしてしまった3年間で、蘇選手は確実にレベルを上げて、世界でも実績を重ねました。2回も9秒台を出しましたし、世界陸上の決勝にも2回進んでいる。チャンスをものにしてきた選手です。選手としての“格”は自分よりも上ですが、勝負できる意識はもちろんあります。自分は2013年シーズン終盤から腰痛を発症して、治療法やトレーニング方法を模索してきましたが、2016年からはレベル的にも上がってきました。技術的にも、身体的にもしっかりと変化を重ねている途中ですから。蘇選手には自分と似ている部分も感じられます。ライバルですが、お互いに高め合っていきたい相手。彼のレベルに追いつきたい、超えていきたい、と思っている相手です」
山縣が“似ている”と感じている部分は後述するが、蘇は山縣だけでなく、日本短距離陣の一歩先を走っている。
日本短距離陣も現在、過去最強の布陣といえる盛況だ。桐生、山縣だけでなく、サニブラウン・アブデル・ハキーム(フロリダ大)、多田修平(関学大)、ケンブリッジ飛鳥(ナイキ)、飯塚翔太(ミズノ)と昨シーズンの10秒10未満選手は過去最多の6人。4×100mリレーでもリオ五輪銀メダル、ロンドン世界陸上銅メダルと世界のトップに定着した。
蘇の成長は、その日本勢を上回る。
山縣が指摘したように2015年に9秒99を2度マークし、世界陸上(北京大会)ではアジア人で初めて男子100mの決勝に進出した。翌16年のリオ五輪は準決勝止まりだったが、昨年の世界陸上(ロンドン大会)では2大会連続で決勝に進んだ。追い風2.0m以上で参考記録にはなったが、昨年9秒92(+2.4)でも走っている。
今年の世界室内60mでは2位、6秒42の室内アジア新をマークした(室内日本記録は朝原宣治の6秒55)。100mでも記録を伸ばしてくるのは確実で、大舞台での勝負強さを加味すると、とてつもない強敵と言える。
初対決の2012シーズンは1勝1敗
山縣が蘇と初対決したのは2012年のゴールデングランプリだった。蘇が10秒04(+2.9)で優勝し、山縣は10秒13で4位。
当時、山縣は慶大2年で、その年の4月に10秒08を出してロンドン五輪候補に急成長していた。ゴールデングランプリの結果は、シニア初の国際大会としては十分に合格点が付けられたが、蘇はM・ロジャース(米国)、K・コリンズ(セントネービス&キッツ)という9秒台の記録を持つ黒人選手に先着して関係者を驚かせた。
初対決だったが「特に意識はなかった」と山縣は振り返る。6年前の印象は「中国選手が10秒04か。高いな」というくらいしか思い起こせない。
その3カ月後、2人はロンドン五輪予選で同じ組になり、そこでは山縣が先着した。そのときも山縣は蘇への意識はまったく持っていない。レース後にリプレイ映像を見て初めて、蘇と一緒の組だったことを知った。
「60mまでやたら速い選手がいるな、と思ったら蘇選手でした。(レーンが離れて気づかなかったが)自分が先頭を走っていると思っていたら、中盤まで負けていた。スタートが速くて、キレがすごい」
2012年は、シニアの国際舞台で戦い始めた最初のシーズン。山縣はタイプ的にも相手を意識するより、走りの技術など自身の内面に集中してパフォーマンスを向上させる選手である。自身のやるべきことに集中していた時期だったのだろう。
ロンドン五輪予選の山縣は、10秒07の自己新、五輪日本人最高タイムという離れ業を演じていた。自身の内面に集中するスタイルは、国際舞台でも結果に結びついていたのである。
蘇の人柄に触れた2013-14シーズン
2013年は10月の東アジア大会決勝、14年はアジア大会の準決勝と決勝で2人は一緒に走っている。東アジア大会はなんと2人が10秒31(-0.1)の同タイムでフィニッシュし、胸の着差で蘇が優勝した。
仁川アジア大会はナイジェリア出身のF・S・オグノデ(カタール)が9秒93のアジア新で圧勝し、蘇が10秒10で2位、山縣は10秒26の6位と振るわなかった。
東アジア大会は同タイムの大接戦だったわけであるし、アジア大会決勝は隣り合ったレーンで走った。にもかかわらず、山縣の蘇に対する意識は強くはない。その2大会とも山縣は、万全の状態で臨んでいなかったからだ。13年シーズン終盤は腰の痛みに悩まされ始めた時期で、14年アジア大会は準決勝で無理をしたため、内転筋を痛めていた。ライバルのことよりも、万全でない状態でどう走るか、に神経を集中させていた。
同じ中国選手でも、13年はモスクワ世界陸上の準決勝で10秒00を出した張培萌が蘇を一歩リードしていたし、アジア大会ではオグノデの力に圧倒された。目標とすべきは蘇よりも、その2人だったということもある。
だが、13-14年の2大会で忘れられない出来事もあった。
「東アジア大会は(日本選手団の意向も受け)ピンバッジを交換しようと、蘇選手に表彰控え室で話しかけました。交換したピンバッジを見て、悔しさを思い出して頑張ろう、と。そのとき蘇選手は中国チームのピンバッジを持っていなかったのですが、後からわざわざ持ってきてくれました。翌年のアジア大会は、自分は準決勝で内転筋を痛めてしまいました。同じ組だった前アジア記録保持者、フランシス選手(カタール。ナイジェリア出身)に勝たないといけないと思って無理をしてしまったんです。蘇選手とフランシス選手には勝ったのですが、決勝の前はテンションが下がっていました。そんな状態でウォーミングアップ場に行ったら、蘇選手が『同じスパイクだね』と声をかけてくれた。そのひと言で暗かった気持ちが、パッと晴れて決勝のレースに臨むことができたんです」
2人ともオグノデに圧倒される結果に終わったが、次に向けて行動を起こすきっかけになったアジア大会である。
リオ五輪で復活した山縣。リレーのアジア新を蘇が祝福
蘇はアジア大会後の冬期に、スタート時の前脚を左右反対に変更している。国際陸連サイト記事中で蘇は「最大の賭けでした」と話している。
「改良が成功すればノビシロが生じ、失敗すれば自分のキャリアが終わると思っていました」
2015年5月のゴールデングランプリでは高瀬慧(富士通)らに敗れたが、同月末のユージーン・ダイヤモンドリーグで9秒99をマーク。アジアではフランシス、オグノデに続く3人目の9秒台で、“アジア出身”選手としては初の快挙だった。8月に北京で行われた世界陸上準決勝でも9秒99で走り、アジア人初の世界陸上100mファイナリストも達成した。
世界陸上の4×100mリレーが行われた8月29日は、蘇の26歳の誕生日だった。3走として予選で37秒92のアジア新(当時)、決勝では銀メダルに貢献した蘇に、スタンドからハッピーバースデーの大合唱が送られた。
山縣の2015年は、腰痛の影響で日本選手権の準決勝を欠場。ロンドン五輪から3年続けていた代表入りを逃した。3月には追い風参考ながら桐生が9秒87を出したレースに山縣も出場し、完敗していた。前年のアジア大会から悪い結果が続き、腰痛を治療するために専属トレーナーをつける決心をした。
それが功を奏した。仲田健トレーナーの考案するトレーニングで腰痛を克服し、2016年には4年ぶりに自己新を連発。リオ五輪でも10秒05の日本人五輪最高タイムを、今度は予選ではなく準決勝で出した。より大きな勝負がかかった舞台でも、自己の力を100%近く発揮する。準決勝2組5位で惜しくも決勝進出は逃したが、3組4位で10秒08だった蘇と同等の成績といえた。
山縣は4×100mリレーでも1走でトップ争いをする走りで、日本の銀メダルに貢献。蘇も3走で桐生と同タイム(日本陸連が映像から計測したデータによる)の走りを見せ、中国の4位入賞に同じように貢献した。
その4×100mリレー予選では、1組の中国が37秒82とアジア記録を更新すると、2組の日本が37秒68とすぐに記録を破った。控え所に日本が戻ると、蘇が山縣を祝福してきた。
「自分たちの記録が破られたのに、心から祝福してくれました。それが本当に嬉しかったんです」
言葉にすればそれだけなのだが、山縣の話しぶりからは、蘇からの祝福が心の底から嬉しかったことが伝わってきた。
山縣が語った意外な共通点
蘇の2015年以降のステップアップは、「スタートの速さは変わらず、中盤のスピードが以前よりも速くなった」(山縣)ことに現れている。スタート時の脚を逆にする変更が、中盤の動きにも良い影響を及ぼしたのだろう。その変更がコーチの指示だったのか、蘇自身の発想だったのかはわからないが、走りを突き詰めていくスタンスが自分と近い、と山縣は感じている。
「自分は壁に突き当たると自問自答を繰り返すタイプです。蘇選手も同じなのではないかと、直接話をしたり、聞いたりした情報から感じています。でも壁に当たったときには、外から情報を得られると自分を変えるチャンスになる。自分を見つめる能力と外からの情報をどう生かすかのバランスが重要ですが、競技人生は短くて、自分たちのような内向的な人間はもしかしたら、壁を突き破るチャンスを減らしているかもしれない」
周りの日本選手たちを見ると、外から情報を得て強くなっている。それに対して自身は殻に閉じこもってしまうことが多く、それが3年間の停滞の一因にもなった、と考えているのだろう。
だが客観的に見れば、内面を深く突き詰める山縣のスタイルが、五輪2大会連続日本人最高や10秒00を実現させた、という見方もできる。山縣独特の競技観ととらえることもできるだろう。
しかし山縣にとって重要なのは、同タイプの蘇が世界で活躍していることなのだ。
「蘇選手が結果を出せるなら、自分も同じようにできると感じられます。走りの技術としても、この冬は、昨年の10秒00のときにできた中盤の加速を再現することを課題としてやってきました。2015年以降の蘇選手は中盤の走りが、黒人選手のように、蹴った脚が流れずすぐに前に出てくる動きになってきた。日本の代表クラスの選手たちもその動きに近づいています。自分もそれに後れず、蘇選手のような動きができるようにしたい」
2018年最大の目標は8月のアジア大会。
オグノデと、ジャマイカからバーレーンに国籍を変更したアンドリュー・フィッシャー(自己記録9秒94)は、昨年のシーズンベストは10秒1台にとどまっている。今年復活してくる可能性もあるが、男子100mの現時点の予想は日中決戦だ。
4年前と違い山縣は、代表を決めたときには蘇の存在を強く意識して臨む。蘇炳添という壁を超えたとき、日本の短距離陣もまた一歩、世界に近づくことになる。