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脚本家・矢島弘一の仕事論「そこに愛はあるか」~矢島弘一×倉重公太朗対談~第1回

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

倉重:倉重公太朗の『労働法の正義を考えよう』は各界の面白く働いている方からどのような想いで仕事をしているかを聞くというものです。今日は、脚本家といえばいいのでしょうか。

矢島:はい、脚本家兼演出家です。

重倉:脚本家兼演出家の矢島弘一さんにお越しいただいています。

矢島:お願いします。

倉重:矢島さんは『毒島ゆり子のせきらら日記』や『コウノドリ』、『健康で文化的な最低限度の生活』などの脚本を書かれてますね。

矢島:よく知っていますね。

倉重:先ほどWikipediaで見てきました(笑)。

矢島:(笑)。

倉重:矢島さんは、これらのドラマ脚本を書かれていて、また私もよく見に行かせて頂いておりますが、劇団・東京マハロも主催されています。『毒島ゆり子のせきらら日記』では、向田邦子賞なども受賞されていますね。

矢島:ありがとうございます。

倉重:大体は言ってしまいましたが、改めて自己紹介をお願いします。

矢島:脚本家の矢島弘一です。どうぞよろしくお願いします。

倉重:お願いします。それでは、矢島さんのキャリアを伺いたいのですが、脚本家や舞台などは元々目指していたわけではないのですね。

矢島:そうです。元々実家が運送業で商売をしていたので、それを継がなくてはいけないというのが幼心にあって、25歳で継ぎました。そこから少し経って、このままでは運送業は将来どうなっていくのだろうと、25歳の若さで思ったのです。やはり今、運送業は厳しいですが、特にうちがやっている媒体はほとんど紙専門だったので、紙はこれからどんどんなくなるのではないかというのもありました。

倉重:業界的には全くそのとおりですね。

矢島あと、そもそも、働き方ではありませんが、仕事をやっていて楽しくなかったのです。

倉重:親の会社を継がねばならぬといった思いがどこかにあって実際にやってみたけれども、というところでしょうか。

矢島:そうです。親の跡を継いでも、楽しめるものならよかったのでしょう。けれども、僕はとにかくぺこぺこするのが嫌いなのです。運送業はどうしても、荷物を積んだところでも下ろす先でも下請けで、強いところといえばタイヤ屋ぐらいです。

倉重:車両整備などの。

矢島:はい、それぐらいです。

倉重:荷主に対しても、届け先にもどちらにも弱いということですね。

矢島:そう、弱い立場です。それが本当にことごとく嫌でした。その後、自分が社長になってからもことごとく嫌だったので、早く脱却したいというときに、セカンドキャリアとして結婚式の司会などができればと思いました。そうこうしているうちに声の仕事をしたいと思い、ナレーターの学校へ行ったのです。

倉重:20代後半でということですよね。セカンドキャリアが早いですね。

矢島:さらに、そこから役者の学校を勧められて行ったのが30歳でした。そこで1年、2年がたち、人の劇団の作品に友達のつての紹介で出ましたが、30歳も過ぎていると物心が付いているので、これは面白くないと、自分で書こうと思ったのがきっかけです。

倉重:元々高卒で、最初はジムのインストラクターをされていて家業の会社に入り、そこからの展開が20代後半でナレーションを始めてから俳優と、すごい転換です。

矢島:今年で僕は44歳ですが、この10年間を思い返すとよくやったなと思うし、激動でした。

倉重:最初から舞台をやりたいという頭ではなかったのですよね?

矢島:全然ありません。

倉重:ナレーションは、友達の手伝いなど、趣味ということですか。

矢島:本当に趣味で、結婚式の司会なども土日にできればいいなという程度でした。

倉重:だんだんと熱を入れていくうちに、実際に自分が俳優になり……。

矢島:本を書きたくなりました。書かなければいけなくなったというところですかね。

倉重:人の脚本ではなくて。

矢島:そうです。

倉重:別に誰かに本を書く指導などは受けたことがあるわけでもないですよね。

矢島:ないですね。

倉重:それでいうと最初はどうでしたか。いきなりうまくいくわけではありませんよね。

矢島:僕はいま劇団を持っているのですが、それこそ書けないと思っていたので、うちの劇団の第1回目は脚本を他の友達に頼んだのです。書いてもらって、演出だけは自信があったのでやったのですが、初回なので当然のようにうまくいくわけがありません。その時はうまくいっていると思っていましたけれども。1回、2回と本番が終わり、生なので、僕たちは客席で見ていた人たちに「ありがとうございました」とお礼のあいさつに行きます。客出しはその後です。それで、名前は言いませんが、知り合いのとある有名な監督が見に来てくれていた回に、終わってあいさつに行くと、まだ観客がいる中で「こんなつまんねえもんやめちまえ!」と言われたのです。

倉重:第1回公演でいきなりですか。

矢島:あの時はやはり本当に悔しかったし、あの思いというのはいまだに忘れられません。それがすごく糧になって今までやってきたというのはあるかもしれないです。

倉重:それは「何くそ!」と思いますよね。

矢島:思いました。ただ、本当につまらなかったのでしょうね(笑)。

倉重:まあ1回目ですから。

矢島:ですから、その気持ちでいます。

倉重:今はもう何回目ですか? 毎年1回か2回ですよね。

矢島:はい。次は来年で23回目になります。

倉重:では、10年ぐらいされているのですね。何回目ぐらいから脚本などに手応えを感じてきましたか?

矢島:今でも不安といえば不安ですし、手応えは……。ただ、一番何かが変わったのは震災の年でしょうか。

倉重:震災をテーマにした舞台もやられていましたね。

矢島:その年は、本当は下北沢に行けると。演劇の業界では下北に行くのがまず一つのステータスになるところがあるのですが、初めて行ったときは第8回目でした。その時には、知り合いのプロデューサーが付いて、キャストもいろいろと呼んでくれて、それなりの先輩たちがいて、形になって、外側は良かったので、あとの問題は僕の脚本だとなると、やはり書けませんでした。

倉重:それはプレッシャーが掛かりますね。

矢島:プレッシャーで書けなくてどうしようかという時に、あの震災が起きました。その時は運送屋もやっていたのでいろいろなことをてんやわんやでやっていて、やろうと思っていた脚本を全部白紙にして、自分が今思うことをガッと書いたのです。震災に直面したときにボランティアの話で友達ともめたことがあり、ボランティアとは何ぞやというところが僕の中でもやもやしていたので、それを本にしました。

 すると、すごく評判が良かったというか、ある有名な事務所の社長さんなどが終わった後に受付で「すぐに脚本家を呼んでくれ」と言って、行くと、「いや、素晴らしかった。久しぶりに面白いものを見た」と、「この後の予定をキャンセルするから飲みに行こう」と言ってくれたのです。

倉重:すごいですね。

矢島:それで、少しは生きていけるかもと思ったのを今でも覚えています。

倉重:私も途中からですが見に行って、矢島さんの舞台は、テレビではできないようなセンシティブなテーマでもズバッと思ったことをストレートに伝えるというのが大きな特徴だと思います。そういったものは、やはり自分の思いが出てこないと書けないでしょう。

矢島:そうですね。脚本をやっていく上では恥部を全部出さなければ駄目だと思ったのがきっかけでした。

倉重:さらけ出そうと。

矢島:はい。さらけ出してからは少しずつ回ってきました。

倉重:今でこそ脚本や演出に専念されていますが、途中までは会社経営と並行されていましたよね。運送会社の社長の立場で経営をされていて、やはり両方やるというのは大変ではありませんでしたか? 

矢島:今思うと本当に大変でした。

倉重:いろいろとご苦労も会ったのではないかと思います。

矢島:結局、会社は去年M&Aで売りました。

倉重:最初はどういったスタンスだったのですか。あくまで副業で脚本というイメージだったのでしょうか。

矢島:そもそも見方が副業になりますよね。「まだあそこの何代目はこんなことをやりながらやっているのか」というふうに見られますから。

倉重:運送屋の社長をやりながら、ですね。

矢島:僕たちがどれほど夢を追い掛けて、「これをやりたい!」と思っても、テレビで活躍していない限りは活躍しているとは思われないのです。

倉重:一般の人たちはそう思わないでしょうね。

矢島:ですから、運送の会社の人間ももちろんそうですし、得意先などはめちゃくちゃばかにして見ます。

倉重:そうなのですか?

矢島:もちろん。今でもそうです。

倉重:「道楽息子が」ぐらいの。

矢島:はい、「まだそんなことをやっているのか」という、それはすごく悔しかったです。

倉重:けれども、賞を取ったらだいぶ変わったのではないですか。

矢島:そちらと、あとは『コウノドリ』の本でしょうか。

倉重:やはり有名ですからね。

矢島:ですから、得意先はがらりと変わりました。けれども、身内は悪い方向に変わったのです。逆に、売れたことによってしがらみというか、もう僕は忙しくて、経営からどんどん離れて運送業に携われなくなったのです。副社長などは置いておらず、部長・本部長といった人に任せていたのですが、やはり柱というか長なりあるじがいなくなったことによって、見事に会社はめちゃくちゃになりました。そのときに、やはりこのまま俺がやっていてはいけないのだということがあって、従業員からすれば捨てられたと思っているのかもしれません。

倉重:「あの人は芸能界に行っちゃって」と。

矢島:そうでしょうね。

倉重:やはりご自身の中でも、ご両親の代かもっと前からやっていた会社ですから、手放すというのはすごく葛藤もあったのではありませんか。

矢島:葛藤はあったけれども、やはりまず一番に従業員を守らなければならないのが当然で、次に己も守らなければいけません。

倉重:生活もありますしね。

矢島:このままやっていると両方とも地に落ちると思いました。

倉重:両方が中途半端になりそうだということですね。

矢島:はい、ですから、もう売るしかなかったのです。

倉重:それで今は脚本一本でやっていこうというところでしょうか。今はやっと天職に巡り会えたわけですが、それまではインストラクターや社長の仕事などいろいろとやってきて、何か違うというかのめり込めない自分といったものがありましたか?

矢島:もちろんいました。

倉重:これはたまたま出会えたのだと思いますか?

矢島:脚本に、ですか。難しいですね。けれども、子どもの時からドラマや映画が大好きだったので、今思うと見てきたことが糧になっているかと思います。

一つ思うに、特にテレビの脚本家は本当にバランス力に長けていないと難しいのです。

倉重:言いたいことを言うだけでは駄目だということですか。

矢島:まず、最初の観客である視聴者はプロデューサーであって、監督であって、その後にスポンサーがいてと、そちらとのバランスがすごく大事です。

倉重:確かに独特ですね。

矢島:みんな、視聴率が悪い、作品が面白くないと、すぐに脚本家のせいにされますが、冗談ではありません。

倉重:いやいやと(笑)。

矢島:こういうときだけはプロデューサーの名前が出てこないのです。

倉重:なるほど。

矢島:視聴率が良くて作品がいいと、主演が良かったなり監督はあの作品をやっているとなります。なかなか、それは当然、僕はまだキャリアも短いほうなので仕方のない部分もありますが、非常にバランス能力がないと自分自身が破綻するのです。

倉重:野球で打たれたときには自分の配球のせいにされるキャッチャーのようですね。

矢島:そうですね。本当にめちゃくちゃ駄目出しをされます。脚本をテレビ局に持っていって、第1回・第2回の会議といったときに、「うーん、これは良くないよね」などと散々言われて、持ち帰って書き直してまた持っていってと、忍耐力がないとやっていけません。ですから、ある意味での鈍感力というか、書くたびに自分に酔わなくてはいけないし、「ああ、これはいい」といって持っていって、ぼろくそに言われて持ち帰って、1日寝て、翌日にまた書き始めて、「やはり確かにこちらのほうがいい」となって、その繰り返しです。

倉重:それで自分を納得させるのですね。けれども、例えば運送のときには人に頭を下げるのは嫌だと思っていたわけですが、今は別に頭を下げるではないですが、こてんぱんにやられてもまたやり返すわけですよね。

矢島:頭を下げることはないので、そういう意味では楽ですし、少なからず自分のせりふをいいと思ってくれる人もいます。視聴者になると何千万人になりますから桁が違いますよね。見ている人たちの数が違うので、たたかれるのは当然です。そういう意味では、天職といえば天職かもしれないし、天職ではないといえば……難しいです。

倉重:けれども、少なくとも嫌いではないし、やっていて楽しいということすよね。

矢島:もちろんです。それしかありません。

倉重:いつもFacebookなどで写真を拝見していて、矢島さんはいつも楽しそうにされていると感じます。

矢島:ありがとうございます。

倉重:そのような人の思いや仕事観といったことをお尋ねしたいと思うのです。特に脚本はホテルなどにこもられて一人で書いているのでしょうが、そのように自分を律するのはとても大変ではありませんか。

矢島:僕は自分のコントロールが結構できる人で、そういう意味では楽です。人に指図されて動くよりは、自分で何かの成果を。よく言われるのですが、朝は何時に起きて何時からと、休みの日でも時間でスケジュールを組む人なのです。この時間に起きて、ここからここで朝食を食べて新聞を読んでなどと、全部そのようにしています。ですから本なども、やはり舞台などで2時間のものなどある程度長編になってくると、僕は書き方として先に進むほうを選ぶ人なのです。例えば10月1日から始めたら、10月5日に10ページとカレンダーに書いていきます。15日に20ページと、そこを目標に書いていくのです。

倉重:めちゃくちゃ計画的ですね。

矢島:そこに向かって、10ページ目を書けたと、そこまで行ったら読み返せばいいので、とにかく僕は先に進もうとする脚本家です。

倉重:そのようにうまく出てくるものですか? 

矢島:出てこなくても出すのです。

倉重:取りあえず出すと。

矢島:出して進めるということを一応心掛けてはいます。

倉重:矢島さんとはとある場所のスターバックスで偶然お会いしますが、そういうときには大体原稿を書かれていますよね。それも何時から何時まで書くと全部決めてやっているということでしょうか。

矢島:そうですね。ですから夜も、僕はだらだらとは書きません。連ドラなどが入ってくると本当に大変なので、朝7時過ぎには書いて、夜6時や7時にはもう仕事は終わりにします。

倉重:結構こういったことは個人事業主の働き方としても参考になると思います。自由にやっていいといわれるとだらだらとやってしまう人などもいて、テレワークなどでもそうですが、自分でスケジューリングをきちんとすることが大事でしょう。

矢島:全部決めますね。仕事も何時までと決めます。

倉重:今は秘書のような人はいますか? 

矢島:秘書はタレント事業なので一応マネジャーがいます。

倉重:スケジュール管理も一部お願いしながら。

矢島:いえ、自分のページや脚本の進め具合のスケジュール管理はありません。ただ打ち合わせがこの日に入っているなり、今このように進んでいるという報告はしますし、こういった仕事がきているけれども、今の矢島さんのスケジューリング的に、例えばTBSはどういう感じで進んでいるか、この仕事はやれそうかといったことはやります。

倉重:自分で調整をされているのですね。

矢島:僕の場合は、これはやる・やらないと決められるほうですから、恵まれているかもしれません。

倉重:もうそういった立場ですか。ご出世なされましたね。

矢島:そうですね。

矢島:ですから、局から言われたスケジューリングで、この時期はできないけれどもここだったらやりますなり、1カ月ずらしてもらえたらやりますといったことは、一応今は言えます。

倉重:そういった一人で働く働き方では、まずスケジューリングをきちんとするということと、あとは内容面があります。やはり内容的にこのクオリティーといったことも、自分で自分を律する必要があるのではないかと思うのですが、その辺はどうですか。

矢島:作品の内容ですか?

倉重:何か妥協するなどということは絶対にありませんよね。

矢島:妥協することはありません。けれども、昔、脚本家として出たての時に、とある有名な脚本家の方に「矢島君、100点なんか取れないから」と言われたことがあります。今やっていて本当にごもっともだと思います。先ほども言ったように、テレビの本は本当に書き直すのです。どの小説も出版社の担当者が全部チェックするのでそうかもしれませんが、それこそ『コウノドリ』も4話に関しては細かいところを含めて20回ぐらいは書き直したのではないでしょうか。ですから、最初から「よし、これで完璧」と思っても仕方がないので、「これはどうせ直せと言われるからもういいや、もう上げよう」というところは、開き直って書いて出してしまいます。

倉重:それはある意味での思い切りですね。

矢島:開き直って出して、それで「やはり言われたな」と。ですから、そこの鈍感力というのでしょうか。どうせ1回では……

倉重:終わることはないということですね。

矢島:プロデューサーたちも、あらを探しているのです。

倉重:そうなのですか? 

矢島:それは探していますよ。

倉重:何か直さなければ仕事をしていないようになってしまうからでしょうか。

矢島:そもそも1回目で完璧なものなどありません。やはり、みんなで話している感じはあるのではないでしょうか。

倉重:叩いて良いものになっていくという感覚でしょうか。

矢島:当然そうです。

倉重:意に沿わない修正を求められるところもありますか?

矢島:いや、めちゃくちゃあります。そういったことだらけです。

倉重:そういったことだらけですか。

矢島:今まさにそういったことばかりやっています。自分の今のメインの仕事はそうです。

倉重:そういったとき、「本当はこうすればもっと面白いのに」という自分の気持ちにどのように整理を付けるのですか。

矢島:いや、今日などもまさにその戦いでした。

倉重:いろいろな事情があってできないということでしょうか。

矢島:ちょっとこれはカットされるかもしれませんが、出演者の意向でということでした。けれどもそれはそれで、きちんとプロデューサーなり監督が僕に謝ってくれて、本当に申し訳ないと、矢島さんには心苦しいと言ってくれたので、まだいいかと思います。

倉重:分かってくれる人がいればいいですね。

矢島:ですから、次もまた仕事をくださいと言いました。それこそバランス力でしょう(笑)。

倉重:そういうことですか(笑)。やはり、日々そういった戦いなのですね。

矢島:称賛されることなどまずないのではないでしょうか。テレビで出しても、基本ネットではたたかれることがほとんどです。

倉重:ネットではそうかもしれませんね。

矢島:Twitterでも何でもそうです。それこそ今日も『いだてん』が大河の過去最低記録3.何%とありましたが、「だから何だ、知らないよ」というような思いです。では視聴率をあなたたちは分かっているのかということと、それを見てはいないのだろうというところもあります。それがどれだけ面白くていい回だったとしても取り上げられず、素晴らしい回だったと言われることはありません。本当に、悪いことばかり言われ、あら探しをされるのです。

倉重:そういったいろいろなつらいことがある中で、一方では舞台だと本当に自分の思ったとおりのものができますよね。

矢島:そうですね。

倉重:そういった舞台と比べて、テレビのいいところは何でしょうか。

矢島:テレビのいいところは……親孝行ではないですか(笑)。

倉重:「頑張っているね、弘一」と(笑)。

矢島:そうです。親孝行や友達孝行ということじゃないでしょうか。

倉重:非常にぶっちゃけていますね(笑)

矢島:周りが「ああ、見たよ」と言ってくれるのは、テレビのいいところでしょう?

倉重:やはりドラマは、一般に対する訴求力はすごくありますよね。

矢島:ドラマのいいところは、僕の中では先ほども言ったように、当然見ている人たちの数が違うので、褒められる数も舞台とは全然違ってくるということです。

倉重:「あの『コウノドリ』の人!」となるでしょうね。

矢島:そうですね……。

倉重:一方で、舞台のほうは本当に矢島ワールドで展開しているわけですね。最近は劇団員という方もすごく多くなってますよね。劇団員というのは、専属ではないけれども基本的にはお願いするといった人たちなのでしょうか。

矢島:もちろん他の仕事もあるから出られないときもありますが、基本はうちの本公演のときは必ず劇団員はみんな出るような形です。

倉重:そうしてチーム矢島が出来上がって、すごくいい雰囲気で楽しそうにされているように拝見しています。

矢島:おかげさまで。

【対談協力】

矢島弘一(やじま こういち)

劇団東京マハロ主宰・脚本家・演出家

2006年11月劇団「東京マハロ」旗揚げ。

「毒島ゆり子のせきらら日記」で全話の脚本を務め、第35回向田邦子賞を受賞。

関係者から“女性の気持ちを描ける男性劇作家”として注目を集めている。

これまで劇団公演にて描いてきた作品には、不妊治療や震災直後の被災地、いじめ問題に性同一性障害など現代社会が目を背けてはならないテーマが多く、さらにはコメディ作品にもチャレンジして脚本の幅を広げている。

テレビ初作品となったNHK Eテレ「ふるカフェ系ハルさんの休日」は現在も脚本を手掛けているほか、2017年5月スタートのNTV深夜ドラマ「残酷な観客たち」では、第1話、第2話の監督も務めた。

同年秋にはTBS金曜ドラマ「コウノドリ〜命についてのすべてのこと〜」の脚本も担当。

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒 KKM法律事務所代表弁護士 第一東京弁護士会労働法制委員会副委員長、同基礎研究部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)副理事長 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 紛争案件対応の他、団体交渉、労災対応、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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