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【京都市】右京区 源義経の「かどで地蔵尊」『願王寺』で牛若丸が祈願?!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

時代劇の映画やドラマの撮影で頻繁に使われるロケ地の一つである『妙心寺』。「高津商会」の所有するビルに近いこともあり、本社からそちらに向かうときに使う道の一つにひっそりとあるのが源義経(牛若丸)の「かどで地蔵尊」の石標です。

義経が奥州に旅立ったことに関連する場所としては首途(かどで)八幡宮が有名ですが、こちらにも立ち寄ったとか…

その時の義経は、「平家打倒」を胸に秘め、「鞍馬山」より橘次(さつじ)末春(金売吉次、吉次信高)に従い、首途八幡宮に祈願してから、奥州平泉の藤原秀衡のもとに赴いたと言われています。

その義経が幼少期、まだ「牛若丸」と呼ばれていたときに、吉次の別宅がこの地にあったと言われています。

「願王寺」の駒札によると…

この辺り一帯は木辻と呼ばれ、平安京の木辻大路に由来する地名のところです。
「木辻(きつじ)」の音が「吉次」に通じて、金売り吉次の別宅がこの地にあったと言われ、牛若丸(源義経の幼名)が身を寄せたと云われます。
ご本尊はその地蔵菩薩であると伝えられ源家の天下が将来されたところから、旅の平安を守り給い、宿願を叶えさせ給う地蔵菩薩として今も崇められています。

本当に小さな路地を入っていきます。人が住んでいる生活感のある路地の奥に、「願王寺」がありました。

いまでも、とっても大切にされているお寺さんだとわかります。ちょうど近くを通りかかった方に話を伺うと「願王寺」がなかなか見つからなくて、この辺りをうろうろしている方も多いとか。

また、近くに「牛若丸首途乃井碑」がある、とありました。少し探してみます。

ありました〜!静かに、その石柱は教えてくれてました。

「願王寺」の石柱より少し東へ移動したところにありました。

又牛若丸が旅立ちに際してその姿を写したと言われる「首途の井」がこの地に伝えられています。(駒札より)

旅立つ際にこの井水を汲んで別れを惜しんだという伝承があるそうですよ。

願王寺(がんおうじ)
■ 住所:京都市右京区花園木辻南町22

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。フォトジャーナリスト、写真映像家、音楽・イベントプロデューサー、特殊ツアープロデュース・ガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。日本映画の発祥時より美術に携わってきた”ジャパニーズハリウッド”京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深め世界進出を夢見る毎日。

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