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最愛パートナーの記憶喪失という苦しい現実に直面。その人生の岐路も自然の危機に目を向けるきっかけに

水上賢治映画ライター
「SONG OF EARTH/ソング・オブ・アース」

 北欧ノルウェーから届いたドキュメンタリー映画「SONG OF EARTH/ソング・オブ・アース」は、わたしたちが立つこの大地に畏敬の念を抱く一方で、自らの日々の暮らしの足元を見つめ直すような1作だ。

 構成はいたってシンプルといっていい。

 ドキュメンタリー作家のマルグレート・オリンが、自身の故郷であるノルウェー西部に位置する山岳地帯「オルデダーレン」で暮らす実の両親に1年間、密着。

 フィヨルドや渓谷の風景に、植物や動物の姿、そこに自然を愛し敬意を払いながら暮らす父親の人生哲学といえる言葉が重ねられる。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 ただ、この世のものとは思えないほど息を呑む美しい自然の風景、あるいは逆に失われつつある氷河をはじめとした風景、自然とともに生き、妻と苦楽をともにしてきた一人の老人の言葉を前にしたとき、わたしたちは人生の意味、生と死といったことから、いまの自分の仕事や暮らしまで思いを巡らせることになる。

 『PERFECT DAYS』のヒットが記憶に新しいヴィム・ヴェンダース監督と、イングマール・ベルイマン監督のミューズとして知られるノルウェーの大女優リヴ・ウルマンがプロジェクトに賛同し製作総指揮を担当。アカデミー賞のノルウェー代表に選出されるなど世界各国の映画祭でも高い評価を得た本作は、なにを語りかけ、何が世界の人々の心をとらえているのか?

 手掛けたマルグレート・オリン監督に訊く。全五回/第二回

マルグレート・オリン監督 (C)Agnete Brun
マルグレート・オリン監督 (C)Agnete Brun

 前回(第一回はこちら)、故郷であるオルデダーレンと両親にカメラを向けることになった経緯について話してくれたマルグレート・オリン監督。

 故郷で映画を撮ると気持ちが固まったのには、そのほかにもいくつかの要因が重なったという。

「ちょうどそのころ、わたし自身が大きな変化のとき、人生のひとつの大きなターニングポイントを迎えていたんです。

 プライベートなことになるのですが、わたしのパートナーが何年か前、発作を起こして昏睡状態に陥りました。

 生死をさまようような状態だったのですが、どうにか持ち直して彼は目覚めてくれました。

 ただ、何も覚えていなくて……。すべてのことをゼロから記憶していかなければならない状態になってしまいました。

 この現実を前にして、わたしと彼は二人の関係というものを再定義してひとつひとつ確認して積み重ねていかなければならなくなりました。

 このことを受け入れることは想像以上に困難でいろいろとクリアしなければいけないことがありました。

 お互いにこのようなことが起こったことを受け入れることも難しかったし、自分たちの未来像といいますか。

 わたしぐらいの年代(1970年生まれ)に入ってくると、なんとなく自分の今後の生き方や、パートナーがいれば彼との将来を思い描くと思うんですけど……。

 思い描ていたものとは違うものになることを受け入れるのもとても難しいことでした。

 こういうことがあって、わたしは今後どうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまったんです。

 それで、わたしは何か困難があると両親に相談するんです。

 わたしにとって父と母は人生の大先輩で信頼しているので、いつも実家に帰って、二人に意見を聞いてみるんです。

 このときも、帰郷して両親に自分の身に起きていることを洗いざらい話しました。

 すると父は『山を少し歩いてみよう』とトレッキングに誘ってくれたんです。

 そして、父はこう語りかけてくれました。『自然に触れながら山を一緒に歩いていくうちに、自分の心も少しずつ整理されて、自身の中にある疑問や悩みの答えが自然と浮かんでくるのではないか』と。

 映画をみていただくと、父はひじょうに物静かで穏やかな人であることがわかると思います。

 ふだんからあんな感じで、このときも優しく穏やかにわたしの話に耳を傾けてくれて、自然の中に行くことで心が落ち着いて、自分なりの答えが見つかるのではないかとアドバイスしてくれたんです。

 で、実際に父とトレッキングに行って、いろいろと心の整理がつきました。

 このことも今回の作品の制作に踏み出す大きな要因になりました。

 それから、同じころ、世界がコロナ禍に入ってしまいました。

 わたしは南アフリカに行ってフィクション映画を撮るプロジェクトが動いていたんですけど、ノルウェーがロックダウンになって海外に行くことは不可能になってしまった。南アフリカへ行くことができなくなってしまった。

 ならば、家族について自然についての映画を撮ろうという決心につながっていきました」

「SONG OF EARTH/ソング・オブ・アース」より
「SONG OF EARTH/ソング・オブ・アース」より

当時、父はすでに84歳。

あの険しい山を歩ける時間はさほど残されていないとわたしは感じていた

 おそらくご両親に、二人を撮りたいと伝えたと思うが、そのときどのような反応だったろうか?

「二人のこと、オルデダーレンのことについての映画を作りたいんだけれどもと、両親に打ち明けたら、『いいよ』と快く同意してくれました。

 それですぐにでもカメラを回し始めようと思いました。

 というのも、当時、父はすでに84歳。あの険しい山を歩ける時間はさほど残されていないとわたしは感じていたんです。

 なので、撮影に同意してもらってすぐ、『次はカメラマンを連れてくるから、山歩きに同行したい』と父にお願いしました。

 こうして撮影が始まりました」

(※第三回に続く)

【「ソング・オブ・アース」マルグレート・オリン監督インタビュー第一回】

「SONG OF EARTH/ソング・オブ・アース」より
「SONG OF EARTH/ソング・オブ・アース」より

「SONG OF EARTH/ソング・オブ・アース」

監督:マルグレート・オリン

製作総指揮:リヴ・ウルマン、ヴィム・ヴェンダース

出演:ヨルゲン・ミクローエン、マグンヒルド・ミクローエン

公式サイト: https://transformer.co.jp/m/songofearth/

TOHO シネマズ シャンテ、シネマート新宿ほか全国公開中

場面写真はすべて(C)2023 Speranza Film AS

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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