【戦時の献立】子供たちが大喜びする、日中戦争時の『お子様ランチ①メンチボール編』昭和14年11月5日
「もし戦時中に料理ブログがあったら?」
日中戦争から太平洋戦争の“戦時中”と言われる時期も、出版され続けた婦人雑誌がありました。
そこに掲載されたレシピを忠実に調理し、ちょうどその頃に起きた出来事や些細な日常を交えながら、戦争中の食事について深掘りします。
料理を作るのは、暇な日曜日に夕めしを作ることにした「私」。
今日の献立はチキンライス、メンチボール、ゼリーサラダがワンプレートに乗った「お子様ランチ」です。
三品ともなかなか手がこんでいるので、3回に分けてお送りします。
第1回の今回は、メンチボールから。
(※最後に動画も掲載しています。そちらでは三品一気に作っています。)
ちなみに昭和14年11月頃の主な出来事は?
- 昭和14年10月下旬:空襲への警戒の高まりから、全国で防空演習が行われた。帝都(東京)では約一週間にわたって行われ、照空燈(サーチライト)や高射砲などの装備が用いられたほか、軍だけでなく一般人も参加した大規模な物だった。
- 昭和14年12月1日:米穀搗精等制限令(べいこくとうせいとう せいげんれい)施行。いわゆる白米禁止令。米の精米は七分づきまでと制限された。
米への制限が始まろうとしている時期ですが、まだ配給切符制が始まっていないこともあり、こうしたハイカラなお子様ランチも作ることができたのでしょう。
ではここから先は、昭和14年11月5日だと思って、ご覧ください。
昭和14年11月5日、日曜日。くもり。
今日も家内に代わって夕めしを作る。
今朝、ヨシコから手紙が届く。
かねてから姪たちを連れて東京へ遊びに来たいと言っていたが、ようやく実現しそうである。
さわ子とはな子はもう6歳と4歳。
うちに来た時にはちょっとした手料理で驚かせてやろうと思い至った。
家内の婦人雑誌を手に取ると、ちやうどお子様ランチの作り方が載っている。
うってつけなり。
事前訓練がてら、今夜はお子様ランチを作ることに決めた。
先週の日曜は料理どころではなかった。
訓練と分かっていてもあの空襲警報は落ち着かない。
けたたましい警笛にせきたてられ、部屋の明かりに覆いをしたり、バケツで水を運んだりと、たいそう骨が折れた。
これが五日も続くのだから、少し大袈裟ではないかと思う。
訓練の重要性を家内に説明しながら、その実、自分に言い聞かせている。
だからというわけでもないが、お子様ランチも事前訓練するに越したことはないのである。
ではメンチボールをこしらえていこう
材料(三人前)
- 牛豚7対3のあいびき肉 五十匁(約190g)
- 食パン 半斤の4分の1
- バタ
- トマト 2個
- メリケン粉
- 塩
まず食パンは半斤の四分の一。耳を切って使う。
パンは水に浸してから絞り、ひき肉五十匁(もんめ)と混ぜ合わせる。
ここへ塩を少々入れてよく混ぜたら、人数分に分け、薄い木の葉の形にする。
メンチボールなのに木の葉の形?
いや、そんな疑問は浅はかなのかもしれない。
今時、ただの丸いひき肉の塊を作ったって、子供は喜びはしないのである。
バタ小さじ二分の一を溶かし、両面に焦げ目が着くまで焼いていく。
焦げ目がついたら、湯をかぶるくらいまで入れて、5〜6分ほど静かに煮る。
煮ている間にソースをこしらえよう
まずトマトを2個、皮のまま薄切りにして空炒りする。
柔らかくなったら濾して、トマト汁を絞る。
フライパンに小さじ二分の一のバタを溶かし、メリケン粉を小さじ二分の一加え、茶色になるまで炒める。
茶色くなったら、先程のトマト汁を入れよう。
とろみが出たら、塩少々を加えて味をつける。
これでソースの出来上がりである。
そうこうしている間にメンチボールも頃合いである。
煮ているうちにぷっくりと膨らんで、ラグビーボールみたいになった。
これならボールという名前も合点がいくというものである。
皿に盛ってソースをかければメンチボールの完成である
しかし、他にもゼリーサラダとチキンライスが残っている。
子供じみた献立ながら、これは滅法界大変な献立だナァ。
ということで今回はここまでとしよう
次回はゼリーサラダをこしらえていくので、そちらもご覧いただけると有難し。
動画もある
他の二品の作り方をすぐに知りたい方、動画で見たいという方はコチラをご覧頂きたい。
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