病気克服の学生ラガー、浦安SH小西泰聖がリーグワン・デビュー一番乗り「すごく楽しい」
闘病生活があったからこそ、ラグビーができる喜びを実感できるのだろう。まだ早大4年生。リーグワンで早くもデビューした22歳の言葉には充実感があふれていた。声も弾む。
「すごく楽しくラグビーができました」
11日。雲ひとつない青空の下の東京・駒沢オリンピック公園陸上競技場。観客が3765人。リーグワン2部の浦安D-Rocks(浦安=旧NTTコム)のSH小西泰聖が釜石シーウェイブス戦の後半18分から途中出場し、大学最終学年の選手が卒業前に公式戦に出場できる新制度「アーリーエントリー」でデビュー1番乗りを果たした。
試合は64―26でノーサイド。小西は、チームの開幕5連勝に貢献した。最初、緊張からか動きが硬かったが、徐々に本領を発揮した。テンポよく球を散らし、タックルでもからだを張った。
大学と違って、リーグワンの試合はスピードがあるし、コンタクトプレーも激しい。小西の述懐。
「思い切って、いけたので、そこはよかったです。やっぱり、チームを代表する23人の一人ですから、ファーストキャップ(初出場)とか、年齢とか、関係なく、15分の1のスピリットで当たり前にプレーしただけです」
ヨハン・アッカーマンヘッドコーチは、こう評価した。「スピードあるゲームを見せてくれました。才能は見ての通りです。性格もいいので、チームにすぐ、フィットしてくれています」と。
試合後、小西はスタンドに手を振りながら、ゆっくり歩いた。日差しに目を細めながら、両親の姿を懸命に探した。よく見れば、左手首の白いテーピングテープには黒マジックで「スマイルマーク」が描かれていた。かつて流行った黄色のスマイルバッジの図柄のごとく。
記者と交わるミックスゾーン。なぜ、スマイルマーク。そう聞けば、小西は白いマスクを揺らしながら笑った。
「再び、ラグビーを始めようとなった時、母親から“もう一回、ラグビーを楽しむことを思い出しな”って。“これからラグビーをする時は、楽しむことと笑顔と感謝を忘れずにやったらいいよ”って言われて。それで、自分でスマイルマークを描いたんです」
ちょうど1年前、闘病生活とリハビリの約2年間を経て、グラウンドに復帰したから、小西にとっては、この日がいわば、ラグビー復帰記念日だった。「すごく感慨深いものがあります」としみじみと漏らした。
「復帰して、365日目。まあ、復帰した当初は大学でラグビーをやり切るという気持ちが当然、あったと思います。でも1年経ってみたら、こうして、日本最高峰の舞台でラグビーができているというのは、すごく幸せなことで、これまでサポートしてくれた人たちに感謝したいです。あの2年間を過ごしたからこそ、いまがすごく楽しいというのが正直、あります」
早大スポーツ科学部4年の小西は、山あり谷ありのラグビー人生を歩んできた。神奈川・桐蔭学園高では主将として全国高校大会で準優勝し、高校日本代表にも選ばれた。早大では、1年生から公式戦に出場し、2年生でも活躍したが、体には異変が起きていた。その後、2カ月間の入院生活を余儀なくされた。体重は入院時から10数キロも落ち、一度はラグビーをあきらめかけた。
でも、結局、ラグビーへの情熱は消えなかった。つらいリハビリ生活に取り組み、徐々に体力を戻した。今季は関東大学の公式戦に何試合かは出場した。終盤の全国大学選手権の試合には出場できなかったが、練習では最後まで、チームの勝利のため最善を尽くした。
1月8日の大学選手権決勝が終わると、残された大学生活をエンジョイすることなく、2週間後には浦安の練習に参加した。ラグビーを休みたくなかったの? と聞けば、小西は真顔で言った。
「僕は、遊ぶことより、ラグビーをしている方が幸せだったんで」
浦安の同じポジションには、元スコットランド代表のグレイグ・レイドローや、早明戦で対戦したことがある1学年上の飯沼蓮キャプテンがいる。日々、精進。学ぶことは多い。
23歳の飯沼キャプテンは言った。
「(小西は)いいプレーヤーだと思うし、本当に努力する性格で、すごくいい刺激になっています。ふたりで切磋琢磨しながら成長し、チームが強くなればいいと思います」
確かに、小西の新たなラグビー人生は始まったばかりである。パスやキックのスキル、精度、判断のはやさ、フィジカルの強さなど課題は多々、ある。だが、ラグビー選手にとって大事な、勇気、気概、意欲、そして周りへの感謝を持っている。
リーグワン・デビューの22歳は言った。いつも、素直、実直、誠実だ。
「試合に出るチャンスをつかんでいきたい。1試合でも多く、試合に出たい。毎日、100%の情熱でトレーニングしていきたい」
もうじき卒業シーズン。歩みを止めない若者のまっすぐな覇気は、観客や取材者をも、幸せな気分に浸らせてくれるのである。