「ブラック・ウィドウ」をめぐる、ディズニーと映画館の「冷戦」の勝者は誰なのか
マーベルの最新映画「ブラック・ウィドウ」が7月8日に公開され、米国ではコロナ禍での映画公開における最高額を記録するなど、世界的に注目されています。
特に今回「ブラック・ウィドウ」では、映画館と動画配信サービスDisney+の同時公開というハイブリッド配信が業界でも注目されていましたが、結果的に、映画館で8000万ドル、Disney+でも6000万ドルという記録を達成。
ディズニーとしては、大成功と言ってよい結果になっていると言えます。
今回はディズニーとしては珍しく、報道関係者に初週の興行成績に関するメールを送ってきたという逸話からも、ディズニーサイドの安堵や喜びが垣間見えると言えるでしょう。
参考:マーベル映画『ブラック・ウィドウ』が、初週にネット配信だけで記録した興収「60億円超」の意味
ただ、実はこの世界的な「ブラック・ウィドウ」公開フィーバーが、今のところ意外に盛り上がっていないのが日本です。
大手シネコンが上映を見送り
実は、現在日本では映画としては大作であるはずの「ブラック・ウィドウ」を、日本の大手シネコンが上映していないようです。
参考:「ブラック・ウィドウ」を上映しない大手シネコンの2つの誤り
その結果、日本での「ブラック・ウィドウ」は公開初週にもかかわらず国内映画ランキングで3位。興行収入でも、2億1900万円に留まってしまいました。
もちろん、そもそも日本ではマーベルの映画が、海外ほどは人気が高くはないという実態はありますが、それにしても海外での大ヒットに比べると、あまりに低い数値です。
この大手シネコンの上映見送りには、日本の映画館業界とディズニーが、コロナ禍における映画公開の方針で揉めた結果、「冷戦」とも言える状態に突入していることが影響しているようです。
参考:「ラーヤと龍の王国」。ディズニーと映画館の関係が激変!一体何が起こっているのか?
詳細は上記の記事を読んでいただくのが分かりやすいと思いますが、簡単にまとめると、コロナ禍におけるディズニー側の映画の公開方針に振り回された結果、日本の映画館業界の中で、Disney+での独占配信や同時公開に対しての不満や不信感が募っていたようです。
最終的に、日本の映画館業界がディズニー側に「これまで通りの形式で劇場公開をしない作品については上映しない」という趣旨の文書を今年の1月に送付。
それにディズニー側が譲歩しなかったようで、「ラーヤと龍の王国」や「ブラック・ウィドウ」などのディズニー映画が大手シネコンで上映されないという、コロナ以前であればあり得ない異常事態に突入していたようです。
日本と米国の映画館の状況の違い
ディズニー映画の公開方針変更に対する映画館主の怒りの表明といえば、昨年のムーランのDisney+での独占配信決定時に話題になった、この動画が象徴的でした。
参考:『ムーラン』配信リリースに世界の映画館が猛反発「劇場への侮辱行為」 ─ 仏映画館主、広報展示物を破壊
昨年、私が大手シネコンに映画を見に行く度に「ブラック・ウィドウ」の広告が流れていたことを考えると、日本の映画館関係者の方々も、この動画の人物ほど荒れ狂わないにしても、似たような感情をディズニーに対して抱いていても不思議ではありません。
特に、アメリカと日本のコロナ禍における映画館の状況の違いが、今回の結果に影響してしまった可能性は高いでしょう。
昨年、アメリカはコロナ禍が悪化したことにより映画館も閉鎖してしまい、ほとんどの映画が公開できず延期に追い込まれてしまいました。
そのため、ある意味ディズニー側からすると、この状況で配信を優先するのは当然という感覚もあったはずです。
実際に、現在Amazon Primeビデオで公開されている「トゥモロー・ウォー」はもともとはパラマウント映画によって2020年12月25日に劇場公開予定だったものが、コロナ禍の悪化により公開が断念され、配給権がAmazonに売却された経緯があります。
この規模の映画が、映画館での上映を断念するぐらい、アメリカの映画館はコロナ禍で深刻な状態に追い込まれていたことが分かります。
一方で、日本の映画館はコロナ禍においても、劇場版「鬼滅の刃」が興行収入の記録を更新するなど、ある程度営業を継続できていました。
そんな日本において、ディズニー側がここまで配信優先の姿勢を取るとは考えていなかった映画関係者が少なくないのは、想像に難くありません。
その結果、両社のすれ違いが大きくなり、映画館にとっても稼ぎ頭の1つであるはずのディズニー映画が、大手シネコンで公開されないという異常事態が継続しているように感じます。
一体誰が勝者になるのか
ここで気になるのは、この両社の「冷戦」は、はたして誰が勝者で誰が敗者になっているのかという点です。
ディズニー側は、映画館で「ブラック・ウィドウ」が公開されないことで、当然話題性や、ビジネスチャンスを失っていることになります。
Disney+ 契約者数は、世界では1億を超えているものの、日本での契約者数は公開されていません。
何しろ日本はNetflixが契約者500万人を越えて話題になっている程度の、有料動画配信サービスの後進国。
各種のリサーチ調査を見る限り、Disney+は国内の動画配信サービスのトップ5にも入っていない状況のようですから、おそらくまだそれほど契約者数は多くないでしょう。
参考:Netflix、SVOD市場2年連続No.1 動画配信市場今後も拡大予定
そういう意味では、国内でのプレミアアクセスでの収益はそれほど大きくないと思われます。
また、映画館の公開においても、本来であれば、初週のランキングで1位を獲得して話題が拡がるべき所を、3位に終わってしまい、残念ながらメディアで取り上げられる機会を失っている印象があります。
グローバルでは成功を収めていますから、ディズニー全体としては気にしていないかもしれませんが、日本市場の視点からするとディズニーは勝者とはいえない状態と言えるでしょう。
では、ディズニー映画の公開を見送った大手シネコンが勝者かというと、当然それも違います。
なにしろディズニー映画といえば、毎年のようにヒット作が生まれる映画業界の中心の1つ。
このままディズニーの映画を配信しないままであれば、ディズニー映画による収入をそのまま失うことになりかねません。
さらに、近くの映画館で「ブラック・ウィドウ」が見れないことによって、マーベルファンがDisney+を契約し、プレミアアクセスで映画を視聴する体験に慣れてしまったら、長い目で映画館に足を運ぶ映画ファンを失うリスクすら負っていることになります。
短期的にはディズニー側に傷を負わせることができているとはいっても、実は自分達の収益機会も傷ついているわけですから、勝者と言える状態ではないでしょう。
日本の映画館もディズニーも、お互いに傷つけ合っている構造と言えるのです。
最大の敗者は、日本の映画ファン
そういう意味では、この両社の「冷戦」において数少ない勝者と言えるのは、日本の映画ファンが動画配信サービスで自宅で新作映画を観ることに慣れることで恩恵を被る、NetflixやAmazon Primeビデオのような動画配信サービスかもしれません。
ある意味、ディズニーと日本の映画館は、お互いが争うことによってライバル企業に塩を送るような構造になっているわけです。
一方で、今回の両社の「冷戦」における最大の問題は、この騒動によって日本の映画ファンが、映画の視聴方法の選択肢を奪われてしまっているという点です。
実際にツイッターで「ブラック・ウィドウ」について検索してみると、大手シネコンで上映してないことに気づいて、驚いたり悲しんでいる人の声を多数見つけることができます。
人によっては他の映画館で見るという選択をしているようですが、騒動の話を聞いて映画を観ること自体をやめてしまった人も散見されますし、いつもの映画館で見かけなかったために「ブラック・ウィドウ」が映画館で公開されたことに気づいてない方もいたようです。
ある意味、日本の映画ファンが今回の「冷戦」の最大の敗者と言えるでしょう。
今回、グローバルでは「ブラック・ウィドウ」が記録的な興行収入を叩き出したことにより、ディズニーとしてはハイブリッド配信への移行に手応えを感じているでしょうから、日本の現状に対して何らかの譲歩をしてくるかは分かりません。
日本の映画館業界も、振り上げた拳を簡単に下げることは難しい状況にあるのかもしれません。
ただ、映画とテレビの境界線が溶け始めたのは、Netflixなどの動画配信サービスがリードしてきたコロナ禍以前からの現象であり、コロナ禍が落ち着いてもこの流れが止まることはないでしょう。
参考:ディズニーMCUと鬼滅の刃の選択から学ぶ、映画とテレビの境界線が消える日
私自身、いつも映画を観ているシネコンの映画館で「ブラック・ウィドウ」が公開されていないので、なんとなくDisney+のプレミアアクセスで観てみたものの、やっぱりこういう大作映画は映画館で観たかったなと感じたのが正直なところ。
選択肢が減るというのは、実に残念なことだなと感じています。
是非、ディズニーと日本の映画館業界には、早く良い形での落とし所を見つけていただくことを期待したいです。