『はじめてのおつかい』に潜む日テレイズム
「大家族もの」「行列のできる店」「取材拒否の店」……。
現在、様々な情報番組でこうした企画や特番がつくられているが、その共通点はなにかご存じだろうか。
それはいずれも、かつて日本テレビで放送された『追跡』で生まれた企画だということだ。
『追跡』は、青島幸男、高見知佳が司会の情報番組。
88年から94年まで、夜7時からの30分、月曜から金曜の帯で放送されていた。
いまでこそ、ゴールデンタイムは情報番組全盛だが当時は「情報番組」という枠組みすらなかったという。
それを生み出したのは、この番組で「総監督」をつとめた佐藤孝吉だった。
佐藤は長嶋茂雄の引退セレモニーの中継やビートルズ来日公演特番の伝説的オープニングなどを手がけた後、『アメリカ横断ウルトラクイズ』を立ち上げ、「カルガモ一家」に密着し、大ブームを巻き起こした伝説的ディレクターである。
その功績が認められ、当時の社長である氏家齊一郎にディレクターのまま、取締役に任命された。
テレビ局では通常、ディレクターがそのまま役員になることは、ほとんどあり得ない。
プロデューサーなど管理職に昇格した後に出世していくのが常識だ。
それを覆しての抜擢だった。
クリエイターを重用する氏家ならではの人事だった。
そんな佐藤に『追跡』立ち上げを進言したのは、佐藤が若いときからコンビを組んでいた先輩プロデューサー・石川一彦だった。
こうして始まった『追跡』だが、佐藤自身が撮った初回こそ視聴率10%を超えたが、その後は1桁台に低迷。
約7ヶ月間、泥沼をもがき続けた。
そんな中、初めてのヒット企画が生まれる。
それは佐藤には思いもよらぬ「イカ」特集だった。当たるわけがない。
やけくそ気味に佐藤は新聞のラ・テ欄にこう書き殴った。
「イカはいかが? イカ刺イカ飯イカ寿司イカしゃぶ……以下、イカ大全集」
それが視聴率16%という好成績。びっくりした。なにが受けたんだろう。
佐藤は改めてイカについて調べると、実は日本人が一番好きな魚類なのではないかという推論に達した。
石川が言う「なんかがある」の「なんか」は「日本」あるいは「日本人」ということだったのだ。
166本目の奇跡
現在も人気特番として続いている『はじめてのおつかい』もまたもともとは『追跡』が生んだ企画だった。
幼い子供だけで「おつかい」に行く姿を映したドキュメントだ。
だが、放送できるのは何100組ロケをして1本あるかないか。
あるときなど、リミットまで1週間しかない状況で半分も放送できるVTRができていなかった。
それでも絶対にヤラセはしなかった。
1年かけて3本しか撮れなかった「おつかい」が、タイムリミットまでの1週間で放送に必要な残りの4本を撮ることができたのだ。まさに執念だった。
佐藤に強い影響を受け『進め!電波少年』を制作した土屋敏男は言う。
このイズムは、日本テレビに脈々と受け継がれている。
『全部やれ。』で多くの日テレのクリエイターたちに取材し気づいたことがある。
それは、日テレの社員は、自らのことを「テレビ屋」と自称することが多いということだ。
そこには「テレビマン」のような呼称と比べて「所詮、自分はテレビ屋なんで……」といった若干自分を下げる意識がうかがえる。それは裏を返せば、クリエイター意識よりも、視聴者を第一にするという考え方だ。時に「視聴率至上主義」などと批判されても、視聴者の望んでいるものをえげつないほど追究している。
そして、そこに手間と労力を惜しまない。
日テレのバラエティは「ダーツの旅」や『イッテQ』などを筆頭に、膨大な撮影素材の中から“奇跡”が起きた瞬間を丁寧に切り取って見せている。
そうした時間と金のかけ方は、まだテレビにしか出来ないことだろう。
その偏執的ともいえる執念こそ、日本テレビのDNAであり、強さの要因のひとつなのだ。