指示しない上司、仕事を選ぶ部下。社内通貨が実現した徹底的なボトムアップ組織
「社員にはコスト意識を持って働いて欲しい」
「仕事を与えられるのを待つのではなく、自分から動いて欲しい」
「既存のやり方にとらわれず、業務改善や新しいことに取り組んで欲しい」
多くの経営者は社員にこんな期待をするが、この手のことは上から命じれば実現するものではない。どれも社員の自発性が必要で、それを命令によって実現しようとする時点で矛盾しているからだ。
命じることはできないが、自発性を発揮しやすい環境や仕組みをデザインすることはできる。それに成功しているのが、今回紹介する株式会社ディスコである。社内で流通する「Will」という社内通貨を媒介に、働き方を大転換した企業だ。
クラウドソーシングやクラウドファンディングなど、最先端の経済システムを社内市場に取り込む
ディスコは、半導体などの精密加工装置で高いシェアを誇るメーカーである。2017年に創業80周年を迎えた歴史ある会社だが、その経営手法は極めて斬新だ。クラウドソーシング、クラウドファンディングとも捉えられる新しい経済のあり方をうまく社内に取り込み、独自のシステムを作り上げている。
その中心となるのが社内通貨「Will」。初期の形が導入されたのは2003年で、それまで運用していた「アメーバ会計」(京セラで考案された管理会計手法)が自社に合わなくなってきたことから独自の管理会計の制度を模索し始めた。当初は部門ごとの収支を可視化するために「Will」が使われ、それによりマネージャー層の採算意識が高まった。それをメンバーのレベルにまで徹底させようと、2011年に個人毎の採算を管理する「個人Will」の仕組みをスタートさせて今に至る。
社内通貨〜「個人Will」とは〜
1Willは1円の価値を持ち、すべての社員が自分の「Will」を管理する口座を持っている。そして、社内で何らかの活動をするたびに、「Will」の出入りが発生する。
例えば営業担当者は、製品を売ればその売価に相当する「Will」を得るが、そこから自分の人件費や諸々の経費の他、製造部門に支払う仕入れ代金などが差し引かれた残りが利益になる。製造部門は営業に製品を販売して「Will」を稼ぎ、製造にかかる人件費や材料費、研究開発部門に支払う技術のロイヤリティなどを支払った残りが利益になる……、といった具合に、個々人が仕事をするときにどんなリソースを活用し、どれだけの価値を生み出しているかが可視化されることになる。また、半期毎のWill収支の成績は賞与の一部に反映する。
可視化とインセンティブの存在が、ひとりひとりに利益の最大化を促し、自ずと部門、ひいては会社全体の利益の増大にも向かい得るという仕組みだ。
Will経営推進室長の内藤敏雄さんは、この仕組を機能させるのに不可欠なのが、「誰もが自分の意志で仕事を選べる」というルールだと言う。あらかじめ決められた仕事しかできないのであれば、各自が「Will」を最大化させるためにできることは限られるし、仕事によって「Will」の稼ぎやすさの差もあるので不公平が生じてしまう。だから、上司であっても「あなたは●●を担当しなさい」とか「◯◯について提案するように」といった“命令”をすることはできない。「●●の仕事が××Willであるが、やってみる人はいないか」と案件を提示して、それを受けるかを決めるのは部下なのだ。
社内クラウドソーシング〜他部門の仕事にも手を挙げられる社内オークション〜
仕事を選ぶ範囲は、自部門内にとどまらない。自分のスキルや時間を使って他部門の仕事に手を挙げるのも自由だ。その動きを後押しするのが「社内オークション」のしくみで、全社員が見られるイントラネット上に様々な仕事が出品され、誰でも入札に参加できる。社内に限定したクラウドソーシングのようなものだ。
Will経営推進室の門野航さんは、こんな事例を挙げた。
「顧客満足度の向上のため、お客様からいただいたコメントを取りまとめている部署があります。コメントの内容を海外拠点にも共有するために英語や中国語など、各種言語に翻訳する必要があるのですが、以前は担当者が直接、社内で翻訳ができる人を探して依頼していたんですね。場合によってはその相手が忙しかったりしてスケジュールが遅れてしまうようなことがありましたが、現在は翻訳業務を社内オークションに出品しています。
何百件もあるコメントを出品しても、翻訳の担当ではないけれどできる、やってみたい、という人が勝手に落札してやってくれるようになったんです。
忙しい人に無理にお願いするのに比べて速いだけでなく、外国語ができる人のスキマ時間が有効に活用されたり、外国語を勉強していて、いずれ翻訳の仕事をしてみたいと思っているような人がチャレンジする機会ができたり、という効果もあります」
社内クラウドファンディング〜賛同者を集めてプロジェクトを開始できるインベストメントボックス〜
クラウドファンディングのような形で「Will」の出資を募り、新規プロジェクトを始めたり、仕事に使うソフトや機器を購入したりできる制度が、インベストメントボックスだ。
通常の会社では、投資案件はその内容や投資額の大きさによって決裁ルートが決まっており、大型の案件ほど経営会議などを経てトップの意向を反映したものになりやすい。しかしディスコでは、新製品の開発などの重要案件もインベストメントボックスで決まる。誰でも発案ができ、他の社員の賛同を得て必要な出資が集まれば始められるため、投資判断がボトムアップでスピーディになされているのだ。もちろん、一定の金額を超える案件は、コンプライアンス的に然るべき決裁を別途得る必要があるが、インベストメントボックスで必要資金が集まった案件は、経営陣といえども相応の理由がないと覆すことはしないという。
Willによるマネジメントの効果
門野さんは「個人Will」導入の効果として次の5つを挙げる。
- 社員のパフォーマンス向上
- 業務の洗練
- コスト意識の向上
- リソースの最適配分
- イノベーションの活性化
ひとつずつ見ていこう。
1.社員のパフォーマンス向上
「Will」導入によって、社員のマインドが「上司から指示されたことをやり遂げる」ということから「利益を出すこと」に切り替わり、価値の向上に向けて自発的に動くようになった。
例えば製品のアフターサービスを担当するカスタマーエンジニアは、以前であれば、製品トラブルが発生したら、その解決をするのが自分の仕事という意識を持っていた。「Will」導入後は、製品が売れた時点でその担当のカスタマーエンジニアに一定額の「Will」を支給し、トラブル対応する場合にはその「Will」から必要経費を支払う。トラブルがなければ支給された「Will」がそのまま担当者の利益として残るという仕組みにした。すると、トラブルを未然に防ぐという発想に変わったという。例えば、何か外出する用事があった際に近くの客先にトラブルが無くても訪問し、機器の状態をチェックするといった行動に繋がり、それが顧客満足度の向上にも、会社の利益にも寄与するというわけだ。
2.業務の洗練
すべての仕事が「Will」を媒介して行われると、個々の仕事が誰のために行われているのかが明確になり、それが不明確な仕事はなくなっていく方向になる。
昔から定期的に作成している報告書があるが誰が見ているのか不明、といったことは多くの会社であるだろう。ディスコでは、その報告書を必要とする人が「Will」を支払うため、誰も支払う人がいなければ廃止の判断ができる。また、以前は全社員、あるいは全部門に向けて平等に提供していた設備やサービスなども、より必要とする相手には多くの「Will」と引き換えに手厚く、必要ない相手には簡素化する、といったメリハリも付けられるようになったという。
3.コスト意識の向上
「Will」によって、何をするにもリソースがいるということが可視化され、自然に社員のコスト意識が高まった。
例えば今回の取材では、同社の広報部門を通じてWill経営推進室の方にインタビューをさせてもらった。このとき、広報の担当者は取材に使う会議室の使用料、取材に応じる社員の協力費を支払う必要がある。後日それが記事になれば成果として「Will」を得ることができるというが、取材対応ひとつとっても、それに意味があるのかどうかを冷静に考えることになるだろう。
4.リソースの最適配分
部門や職種を越えて仕事を選ぶことができるということは、本人がより得意なこと、やりたいことに集中できる。さらには、自分で仕事を作り出すこともできる。例えば、知識や経験を活かして社内セミナーを開いたり、若手社員から毎月一定額の「Will」を受け取ってメンターを務めたりする人もいる。決められた役割だからと、苦手なこと、やりたくないことをやっているのと比べ、生産性が上がるのは明らかだろう。
5.イノベーションの活性化
インベストメントボックスの仕組みによってボトムアップでの発案が増え、投資判断もスピーディであることは前述の通りだ。その他に業務改善活動にも「Will」を活用して活性化に繋げている。
同社では業務改善活動の成果発表を、部門対抗のプレゼン大会で行っている。ふたつの部門が改善活動の成果をプレゼンし、観戦する社員は専用のアプリを使って対戦者のどちらかに「Will」を賭ける。この賭け金が多い方が勝者となり、勝者に賭けた観戦者に賭け金が配分されるというものだ。国内だけで年間500回以上の対戦が行われ、大きな大会では1日で億単位の「Will」が動くそう。「Will」が掛かることで出場者は真剣に取り組み、観戦者も自分のWillを賭けるので、より真剣にプレゼン内容を吟味するようになる。その結果、発表部門は自然と改善活動に力が入り、観戦者は改善の目利き力も養われる。良い活動内容が他部門にも伝搬するという効果があがっているという。
誰もやりたくない仕事はどうなる?社内の雰囲気はギスギスしない?
ここまで「Will」の様々な効果を見てきたが、多くの人は「そんなこと本当にできるの?」と感じているのではないだろうか。
自身もマネージャーとして部下を率いる内藤さんは、「個人Will」の導入によってそれまでとやり方を変える必要があったと語る。
「それまでは、上司が言えば部下が動いてくれていたわけですが、今度はメンバーが納得の上で満足して働けるように環境を整え、仕事の配分をすることが上司の仕事になりました。それができないと、メンバーはいなくなってしまうのです」
「いなくなる」というのは比喩ではなく、異動してしまうということだ。同社では、社員が異動を希望した先の部署に受け入れの意志があれば、今の上司の許可を得ずとも異動することができるのだ。
命じた仕事をやってくれないどころか、去ってしまう可能性もある中で、マネージャー達はどうやって仕事を配分しているのだろうか。
「例えば『会議の効率化の方法を考える』といった企画業務については、誰も手を挙げないのであれば、みんなの総意として今はそこにリソースを割くべきではないと判断ができます。
月次で会計を締めるといった、どうしてもやらなければいけないことに関しては、部下と話し合ったり、状況に応じて価格を変えたりしてやる人を募ります。人気がない仕事や繁忙期でできる人がいないといったときは、どんどん価格が上がっていくんです。『この金額だったらやるよ』という人が出てきたら良いですが、最終的にやる人がいなければ上司が自分でやることもありますね」
上司に相談なく異動を決めて良い、金額に納得がいかなければ仕事を断っても良い――、そう聞くと、同じ部署にいてもとてもドライな関係になりそうだが、ギスギスすることはないのだろうか。
これに関して内藤さんは、「むしろ信頼関係が大事になってくる」と言う。
「例えば、仕事の内容に対して不当に高いWillを取るようなことをすると、あいつに仕事を頼むのはやめよう、ということになります。信頼を損なうと、仕事がなくなり、やっていけなくなってしまうのです」
確かに、世間一般のクラウドソーシングが匿名でやり取りできるのとは異なり、ディスコの「Will会計」は「顔が見える関係」の中での取り引きだ。今後も付き合いが続くであろう相手と、他の社員の目もある中でおかしなことはできない。特定の上司に評価されればよいというわけでもないので、むしろ誰もが納得できる誠実な仕事の仕方が求められるのかもしれない。
また、同社には「DISCO VALUES」という企業理念があり、社員はこれに反しない限りは自由だという。そこには、目指すべきこととして「お客さま・従業員・サプライヤー・株主などすべてのステークホルダーとの価値交換が充実し、お互いの満足度が高まること」や、「仕事そのものを楽しむこと」などが挙げられ、協力しあって良い仕事をすることを善しとする同社の雰囲気が伺われる。そういった風土が、個人の採算意識と協力意識の両立に役立っているのではないかと感じた。
社員の行動を変えるのは一貫した仕組みのデザイン
冒頭に、命令によって社員の自発性を発揮させることはできないが、環境や仕組みのデザインによってそれを促すことはできる、と書いた。
ディスコの取り組みを見ると、「Will」を活用したそれぞれの仕組みが、社員があるべき行動を自然に取るようなしかけになっていることが分かる。社員に直接「◯◯しなさい」と命じるのに比べ、うまくいく仕組みを作るのは難しいし手間もかかる。というのは、全体として一貫していなければ、効果を発揮しづらいからだ。ある仕組みにおいては社員の自発性が評価されるが、ある仕組みにおいては上司に従順であることが評価される、ということだと、互いに打ち消しあって、社員の行動はどっちつかずになってしまう。
一貫した仕組みを成り立たせるのは、やはり明確なビジョンだ。ディスコの場合、個々人が枠組みにとらわれず、自由に利益を増やす努力をすれば、それが積み重なって会社全体の利益につながるはずだ――、そんな考え方がコアにある。その信念に従って、世間で常識とされている上司・部下関係や決裁のルールを捨てることを厭わず独自の仕組みを作ったところに、「Will」がうまく機能するポイントがあると感じた。