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韓国サッカー界の「斎藤知事」 チョン・モンギュKFA会長っていったい何者?

(写真:REX/アフロ)

2022年2月から7月まで5か月間の代表監督不在、パリ五輪予選での男子サッカー予選敗退に、最近報じられる「ホン・ミョンボ監督の不当な就任説」。これによって代表監督と協会会長である本人も9月24日に国会に呼び出されるという事態に――。


最近の韓国サッカー界の混迷ぶりを語るのに、この人物は”外せない”。


チョン・モンギュ大韓サッカー協会会長。


2013年から10年以上、3期に渡り現職にある。2025年に再選挙があるが、これを控え、各方面から総スカンを食らっている。まるで「斎藤知事」。

・大韓サッカー協会労組から「再選を支持しない。無能」と公式発表される。

・政府の文化体育観光部のユ・インチョン長官からは「サッカー協会から4選の報告が来ても承認しない」と宣言された。

・9月24日に韓国国会に招集された際、国会議員からはっきりと「辞めますか?」と追及される。

・サポーターの間で「出ていけチョン・モンギュ」というキャンペーンが始まる。

いったいこの人物、何者なのか。

HYUNDAI自動車で34歳にして会長に

HYUNDAIグループの御曹司だ。レジェンドの創設者チョン・ジュヨンの弟、セヨンの長男。02年W杯でベスト4の実績を残した当時の会長、チョン・モンジュン氏のいとこにもあたる。2013年の大韓サッカー協会会長就任時には「HYUNDAI系の別の人物がまた会長になったんだな」という程度の認識だった(その後これほどまでに批判されるとは)。

高麗大学経営学科在籍時にはスキー部を自ら創設し、選手としても活躍した。高麗大学卒業後、イギリスに渡り、1988年にオックスフォード大学で哲学・政治・経済の修士課程を修了した。

この後のストーリーは、韓国社会で妬まれる要素が多く含まれている。9月24日に国会に召集された際には、参考人として同席した国内有数のサッカー解説者、パク・ムンソン氏に「生来、一般人とは違う世界を生きている」と酷評された。

大学院卒業後に入社した現代自動車では異例の速さで昇進。入社2年後の1990年には理事に、1991年には常務理事、1992年には専務、1993年には副社長へと急速に昇進。そして1996年1月、わずか34歳で会長に就任した。

しかし、彼の経営手腕には疑問符が付いたという。現地メディアには「チョン・モンギュ氏が会長として在任していた時期に発売された車両は、車体の腐食が特に酷くて多くの非難を浴びた」という記事も掲載されたことがある。

1999年3月、チョン・モンギュ氏は現代自動車副会長を退任し、現代産業開発の会長に就任。しかし、ここでも彼の経営能力は疑問視された。

「過去のチョン・ジュヨン会長時代の現代建設はもちろん、韓国の主要建設会社らは海外に進出して各種の大型インフラ事業受注で多くの外貨を稼いできたが、現代産業開発はひたすら国内事業にのみ専念し、海外進出を全くしなかったんです」(現地経済紙元デスク)

さらに、2006年には突如として英昌(ヨンチャン)楽器を買収。「日曜時事」は「建設企業のHDCと何の関連性もない買収合併だったので皆が不思議がった」と記している。この買収も成功とは言えず、HDC英昌は現在まで赤字を記録し続けているという。

写真:ロイター/アフロ


サッカー界への進出

チョン・モンギュ氏のサッカー界での活動は、2000年に釜山をホームタウンとした強豪・大宇ロイヤルズを買収し、釜山アイコンスに改名したことから本格的に始まる。

しかし「名門サッカーチームを買収した後、チョン・モンギュはチームに努力と情熱だけを強要し、肝心の財布を開くことには消極的な姿を見せた」とささやかれた。その結果、かつての名門チームは中下位に低迷することになった。

その後、2011年から2年間のKリーグ総裁を経て、2013年に大韓サッカー協会会長に就任。

筆者自身はこの年8月に韓国で開催されたE-1選手権を取材していて、直接チョン・モンギュ会長を目にする機会があった。

ソウルから車で約1時間のパジュのナショナルトレーニングセンターで「ブリーフィングがある」と両国のメディアを呼んだ。そこで「日韓定期戦の復活」を宣言。しかしこれは実行されなかった。

しかもこの時、近年に韓国代表監督を退いた韓国人指導者を2人集め、当時も監督だったホン・ミョンボ監督を応援するという「謎の企画」を実施。メディアの前で対談をしてみせたが、その際に日韓サッカーの活性化論を展開。そこでこんな発言が飛び出した。

「オールスターゲームを、JリーグとKリーグで合わせてやったらいいんですよ。どう思います?」

これはすでに2008年、09年などに施行され、その後継続はされなかった企画だった。「HYUNDAI財閥の御曹司」が口にしたオトボケ発言に、周囲がツッコめない。微妙な空気を感じたものだ。

カタールW杯後の「失速」

その後、2022年カタールW杯では韓国代表はベスト16入りの結果を残したが、翌23年から評価を下げる出来事が続いた。

2023年3月28日には、突如2011年のKリーグ八百長事件で永久除名された48人を含む100人の選手を突如として「W杯ベスト16による恩赦により復権させる」と発表。これはメディアからもサポーターからも総スカン。結局撤回せざるを得なくなった。これにより、判断力と倫理観を疑わせるものとなった。またこれを反対しきれない協会の理事、副会長らにも批判の矛先が向いた。

実は2011年のKリーグ八百長事件は、自身がKリーグ総裁時代に起きた出来事でもあった
実は2011年のKリーグ八百長事件は、自身がKリーグ総裁時代に起きた出来事でもあった写真:ロイター/アフロ


2024年2月にはカタールアジアカップでベスト4止まりだったA代表のユルゲン・クリンスマン監督を解雇。「チョン監督の一存で招聘された」というクリンスマンだったが、実態は韓国滞在期間すら短く、多くの会議を自宅のあるアメリカからオンラインで参加するという「勤務態度」が問題になるレベルだった。しかもこの違約金として100億ウォン(約10億円)を浪費するという事態となった。

また5月、6月にも失態が続いた。パリ五輪アジア最終予選を1ヵ月後に控えたファン・ソンホンU-23代表を、監督不在のフル代表のW杯予選の臨時監督に起用するという「ミラクル采配」。結局U-23代表では準備期間の重要な時期のテストマッチ2試合を指揮できず。最終的にはインドネシアに拙戦の末にPK戦で敗北脱落(5位)し、40年ぶりにオリンピック予選敗退を喫することになった。

さらに批判が最高潮に達したのは、ホン・ミョンボ現代表監督の選考課程だ。その後、実に5ヶ月間監督を決められない状況にあって、10度もの戦力強化委員会が行われた。外国人監督を選定する方針が決められていたが、条件が合わず。最終的にはデイビット・ワグナー(2023-24シーズンはノーリッジ監督)、グスタポ・ポジェ(元ギリシャ代表監督)と当時、Kリーグで先頭を走る蔚山HDの監督だったホン・ミョンボの3人が候補に。

しかし残りの2人の外国人監督についてはまともに議論がなされず、11回めの強化委員会の会議を経て決まったのは「ホン・ミョンボ」だった。本来は面接から議決、就任という流れであるべきところ、協会技術総括理事のイ・イムセンがホン・ミョンボに対して「先に就任オファー」という本来の手続きを無視したやり方で仕事を進行した。このやり方に政府関係者から「看過できない」と言われ、ついぞ9月24日に国会に呼び出され、委員会の「懸案事項質疑」の場で証人として発言する羽目に。

そこで見せた態度も…質問する国会議員がYES、NOで聞いているのに、YES、NOで答えない。時々作り笑いを見せ、厳粛な雰囲気をはぐらかそうとする、質問に対して「議員の先生は〇〇という映画は観ましたか?」と聞き返すなど、まるで現実を認知していないかのような様子だった。

ちなみに大韓サッカー協会会長と兼任する建設会社HDCでも「おイタ」が目立つ。2019年に突如としてアシアナ航空の買収に乗り出したが、結局2020年に買収を断念。契約金2,500億ウォンを失っただけでなく、買収過程でHDCの借入金が約5,000億ウォン増加したという。2022年1月17日には自社の建設中のマンションの崩落事故により、現代産業開発の会長職を辞任したが、その上にあるホールディングスの会長職には留まるという責任の取り方に批判が集まった。

これでいて、この夏に刊行した自叙伝「サッカーの時代」では、自らの協会会長としての点数を「10点満点で8点」としているという… 

吉崎エイジーニョ ニュースコラム&ノンフィクション。専門は「朝鮮半島地域研究」。よって時事問題からK-POP、スポーツまで幅広く書きます。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。20代より日韓両国の媒体で「日韓サッカーニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりも正面衝突する日韓関係」を見てきました。サッカー専門のつもりが人生ままならず。ペンネームはそのままでやっています。本名英治。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。仕事ご依頼はXのDMまでお願いいたします。

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