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2016年大統領選挙:「最有力候補」ヒラリー・クリントンの困難な現実

前嶋和弘上智大学総合グローバル学部教授
遊説するヒラリー・クリントン(写真:ロイター/アフロ)

(1)独り勝ち?

民主党内での大統領候補指名争いで、実際にクリントンは一人勝ちの状況を呈している。

「社会民主主義者」と自称するバーニー・サンダース上院議員が夏にかけて若者からの人気を集めていたが、最左翼でもあり、支援運動の広がりに限りが出ている。他の立候補者の支持率はいずれも全く振るわない。ジム・ウエブ前上院議員、リンカン・チェイフィー前ロードアイランド州知事は、選挙戦をすでに取りやめた。マーティン・オマーリー前メリーランド州知事も2015年12月上旬現在、脱落寸前といえる。

国務長官としての外交経験、上院議員としての実績、さらに、辣腕女性弁護士としての長年のキャリアなど、クリントンの場合、他を寄せ付けない素晴らしい経歴が光っている。いまだ民主党内では絶大な支持者を持つ夫・ビル・クリントン元大統領が最大の知恵袋として控えているのも大きい。

さらに、共和党側に目を向けてみると、2015年12月上旬現在、不動産王ドナルド・トランプと神経外科医ベン・カーソンといった、新参のアウトサイダー候補が支持率で上位を占めており、今後の動向は未知数だ。ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事や、既に選挙戦から脱落したウイスコンシン州知事のスコット・ウォーカーのような保守本流といえるような候補がパッとしない。40代半ばのマルコ・ルビオ、テッド・クルーズ両上院議員については、クリントンと比べると経験の差は明らかである。

こう見ると、いかにもクリントンが優位に立っているようにみえる。2015年12月の現時点では、実際の予備選が始まる前の「影の予備選(シャドー・プライマリー)」の段階だが、世論調査の支持率と選挙献金は直結し、クリントンは順調に献金を集めてきた。すでに時期大統領の座は手中に収めたとみる気の早い識者もいる。

(2)クリントンの経験が生み出す陥穽

しかし、話はそんなに単純ではない。民主党内の指名獲得の可能性は高いとしても、クリントンが本選挙を勝ち抜くには様々なハードルがある。2016年選挙の場合、クリントンの豊かな経験があだになる特殊性もある。

現在、アメリカ国民はかつてないほどの政治不信の状態にある。大統領の支持率は4割前後だが、連邦議会の支持率は10%前半と未曽有の低さである。共和党と民主党の政治的分極化で、合意が難しく、ここ数年でまとまった重要な政策はほんの少ししかない。株価や失業率の改善など、景気は確実に回復しているのに、各種世論調査では「アメリカの今後」を「良くなる」とみる国民は3割を割っている。

「動かない政治」に国民のイライラは極まっており、ワシントンでの政治を知り尽くした候補よりも新参の「おらがヒーロー」を希求する世論の胎動がある。この動きを追い風にしたのが、本来泡沫候補に過ぎないトランプである。「トランプ現象」には前にも書いた“メディアの論理”も影響しているものの、予想よりも長い期間、トランプに対する世論の支持が落ちていないのは、既存の政治家に対する明らかな反発があるためである。クリントンのような豊かな政治経験はむしろマイナスになりかねないのが2016年選挙の特殊性である。

(3)大きくない共和党各候補とクリントンの差

そもそも第二次大戦終了以降、3期続けて同じ政党から大統領が選ばれるケースは1992年の共和党ジョージ・H・W・ブッシュ以外はない。同じ政党から大統領を続けて選ばないというのが、アメリカ国民のバランス感覚でもある。もし、クリントンが「オバマの3期目」とみられた場合、最初から大きなハンディである。民主党候補指名をクリントンと見立て、共和党の現在の各候補者のどちらを支持するか、という1対1の世論調査の結果を見た場合、クリントンと共和党各候補者の差は大きくない。

実際、各州の党派性を考えると、本選挙では誰が共和党候補になっても、現時点ではクリントンとの接戦となると予想される。分極化で各州の党派性が明確になっている中、近年の大統領選挙は数週の激戦州だけが勝負となる。しかも、激戦州の中で重要なのは、選挙に行くかどうかわからない無党派がポイントである。その無党派の中で民主・共和いずれか寄りの層を各種データで割り出し、ボランティアを使った頻繁な戸別訪問で投票を促すのが、近年の大統領選挙の戦略である。この無党派層への投票促進運動(GOTV運動)が本選挙の雌雄を決める傾向があり、その前提にあるのは共和党と民主党がそれぞれの支持の差がそもそも僅差であるという事実である。

さらに、2月1日のアイオワ党員集会以降の予備選挙段階が始まった段階でのメディアの注目度がどうなるかも懸念される。共和党側の候補者争いが激化しているため、指名確実な数の代議員を固めるまで、かなり長期戦となるというみる見方もある。共和党側が混戦となり、メディアの注目を集めた場合、民主党側で無風のまま独走すると、報道の中のクリントンの影は一気にかすんでしまう。

(4)壮大な物語を描けるか

クリントンにとってさらに追い打ちをかけるのは、いまのところ、高齢もあって、アメリカの夢を託すような壮大な“物語”がどのように描けるのか、みえにくい点である。

アメリカ大統領選挙は予備選から本選挙までの1年、あるいは予備選前の「影の予備選」を合わせると2年から3年にわたる大きなマラソンである。そのマラソンの一挙手一投足が常にメディアによって詳細に伝えられる。その中で国民の心をつかむには、大きなストーリー性が必要となる。

例えば、過去3人の大統領の選挙を見ても、国民が共感できる物語が生み出された。2008年選挙はオバマという異質なバックグランドを持つ一人の男の壮大な自分探しの物語だった。1992年選挙も若さをアピールし、不倫や麻薬や徴兵逃れを経験した若いビル・クリントンの挑戦の物語だった。この二人に比べると、ややドラマに欠けかもしれないが、2000年選挙も、若いころは放蕩だった男が宗教で心を入れ替え、「思いやりの保守」という新しいスローガンとともに選挙戦を勝ち抜いたジョージ・W・ブッシュの「生まれ変わり(ボーンアゲイン)」の物語として保守派からの共感を呼んだ。就任時の年齢は、ビル・クリントン46歳、オバマ47歳、ブッシュは54歳であり、若い大統領の誕生もそれぞれの“物語”に花を添えた。

2016年選挙の場合、共和党の方に、大きな物語が生まれる予感もある。例えば、自分自身が司会をするテレビのリアリティショーのように、選挙戦でも破天荒であるトランプが今後の長い選挙戦で大統領にふさわしい人物にテレビの向こう側でみえるようになっていったとしたら、これこそ最高のヤラセなしの番組となる。貧困から世界的な名医となったカーソンの立志伝は、大統領となったらさらに完璧ものとして完結する。どことなく頼りないルビオが力強いリーダーに大化けしていったら、ヒスパニック系と共和党を結び付ける長期にわたる保守の新時代が生まれるかもしれない。

これに対し、ヒラリー・クリントンはすでに政治家として既に完成した存在である。年齢は2016年選挙でもし勝利し、2017年1月20日に就任するときには69歳86日となり、就任時最高齢のレーガンの69歳349日よりも日数は少ないが、年齢は同じである。ヒラリー・クリントンの場合、夫ビルとブッシュ前大統領よりも1歳下だけであり、時計が逆戻りする感もある。

しかし、高齢でも新しい変化を描けないわけではない。前述の最高齢のレーガンの1980年選挙の勝利も、長かったリベラル主導の時代から保守復興の時代へと舵を切った物語だった。ちょうど、カーター政権時代、イランのアメリカ大使館人質事件において人質となっていた大使館員らが、444日間ぶりに解放されたのがレーガンの大統領就任式だったのは、レーガンの性格のように明るい時代の幕開けの象徴だった。レーガンが描いた保守主義の時代精神は若々しく、今に至るその後の保守の台頭の原動力となっていった。

注意すべきなのは、それでもまだ予備選は始まっていないという点である。時間は十分ある。まだ何も始まっていない段階である。今後の1年間、クリントンはおそらく「最初の女性大統領」という壮大な物語を訴えていくであろう。それに国民がどれだけ共感するかがポイントとなる。高齢というのも逆手に取って経験の豊かさをアピールし、大統領当選後には成果を生み出していけば、アメリカに巣食う政治不信を打ち破ることも可能である。

共和党側の動きとともに今後のクリントンの生み出す物語に注目したい。

上智大学総合グローバル学部教授

専門はアメリカ現代政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。主要著作は『アメリカ政治とメディア:政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』(北樹出版,2011年)、『キャンセルカルチャー:アメリカ、貶めあう社会』(小学館、2022年)、『アメリカ政治』(共著、有斐閣、2023年)、『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』(共編著,東信堂,2020年)、『現代アメリカ政治とメディア』(共編著,東洋経済新報社,2019年)等。

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