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羽生結弦が打ち明けたジレンマ。「いつかは終わる夢」と「期待に応えたい」。覚悟を伝える単独アイスショー

野口美恵スポーツライター
新ナンバー「いつかは終わる夢」でジレンマを演じた(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 プロ転向後初となる単独アイスショー「プロローグ」が11月4日、横浜市で開幕した。初日の夜、約90分間の公演を滑り抜いた羽生結弦は、いつもより少し落ち着いたテンションでインタビューに現れた。アドレナリン全開のまま満面の笑みを見せるのかと思っていたが、予想とは逆の表情だった。

「プロとしての目標が具体的に見えていない。僕の人生史上初めてのこと」

 新しい物語の第一歩を記すという緊張感か、それとも全8曲をたった一人で滑りぬき体力的に出し切ったということなのか。いや違う。緊張した時も、疲れ切った時も、羽生はむしろ興奮するタイプだったはず。すると、「これから始まる物語はどんな物語になりそう?」という問いに、即答せずに、慎重に言葉を口にした。

「正直たぶん……。プロだからこその目標みたいなものって具体的に見えていないんですよね。こういったことって、僕の人生史上初めてのことなんです。今まで僕、4歳の頃から、五輪で金を獲るという目標があった上で生活してきたので。ちょっといま宙ぶらりんな感じではあります」

 話す口調はかなりソフトで、溜め込んでいたものを吐き出したというよりは、これが今の自然体という印象。実はこのインタビュー中に、涙をこらえるような場面もあった。

 何の前情報もないまま初日公演を温かい気持ちで見て、そしてインタビューで複雑な思いを知る。彼は、プロとして変化していく自分の葛藤に気づき、そのままをショーに投影して伝えようとしていた。それを知った上で初演を思い返すと、そのメッセージ1つ1つが心に染み込んできた。

写真:長田洋平/アフロスポーツ

平昌五輪に時間が戻るような6分間練習、試合さながらの緊張感

 ショーは定刻を5分過ぎた18時5分にスタートした。

「演技の順番でどこに何を入れようか考えたときに、自分としては、まず記者会見があって。ちょっと過去に戻り平昌五輪があって、さらに改めて今までの全部の自分の人生を振り返って、最終的に北京五輪のエキシビ、今に至るみたいなことをしたかったんです」

 セットリストについて羽生はそう語る。7月19日のプロ転向会見の映像が流れ、暗転。まさに「平昌五輪の時間に戻る」体験が訪れた。競技会と同様に会場の照明が全灯になると「これから6分間練習を開始します」とアナウンスが流れたのだ。

 淡々とした様子でウォーミングアップをすると、トリプルアクセルや4回転を練習し始めた。ジャンプの入りのフォームを真剣な表情で確認する。その場を「試合」という世界観に変えてしまうだけの緊張感を、全身から放っていた。「練習時間終了です」の声も、クマのティッシュケースを触りながら屈伸をする姿も、「1番、羽生結弦さん」と名前を呼ばれてリンクに出ていく時のトレースも、すべてが試合と同じ。観客も、息を潜め、居住まいを正し、祈るように演技の開始を見守った。

 羽生自身が声を吹き込んだという曲冒頭の「シューッ」という息の音が会場に響き、『SEIMEI』がスタート。普段の試合会場よりも音響効果の高いホールのせいか、吐息の残響が耳に残る。そして冒頭で4回転サルコウ、トウループ、トリプルアクセルをあざやかに決め、演技後半では「トリプルアクセル+3回転トウループ」「トリプルアクセル+1回転+3回転サルコウ」を降りた。

「あえてプロになったからこそ出来る、トリプルアクセル3発みたいなことをやってみました。大勢のお客様が目の前の目線にいるのは『すごく試されているな』と思いました」

 初となる試合形式の演出。未知の世界を切り開いていくのは、選手時代と同じ冒険心があるからこそだ。

「6分間練習も、アイスショーでは考えられない全部の照明でやるのも、自分で考えたんですけれど。正直どういう反応をしていただけるのか、僕自身も試合ではない場所で6分間練習にちゃんと集中できるのか不安で仕方なかったです。でも皆さんの充実した表情や反応を頂けて、ある意味成功したかなと思います」

6分間練習の途中でジャージを脱ぎ、SEIMEIの衣装が見えると歓声がおきた
6分間練習の途中でジャージを脱ぎ、SEIMEIの衣装が見えると歓声がおきた写真:長田洋平/アフロスポーツ

生の津軽三味線での『CHANGE』、そしてリクエストナンバーも

 続いては、幼少期に戻り、だんだん現在へと近づいていくコンセプト。4歳からジュニア時代までの懐かしい写真や映像のあと、中村滉己の津軽三味線生演奏とともにジュニア時代のエキシビ曲『CHANGE』を演じた。2曲フルに演じたところでマイクを握る。

「プロローグ初日、ご覧いただきまして誠にありがとうございます」

 息を切らしながら声を絞り出す姿に、会場が笑いと拍手で応える。事前応募した質問に応えるトークショーでは27000通の中から「今後も選手と呼んでいいですか」の問いにこう答えた。

「選手時代よりもかなり体力をつけてきましたし、色々な表現を出来るようになったつもり。そういう意味では、これからも選手と呼んでいただけたら僕は嬉しいです」

 そのあとは、会場から4択で曲を選んでもらい「Let’s Go Crazy」のステップを演じる。さらに自身のYou Tubeチャンネルで希望曲を募った中から「スパルタカス」のステップも披露した。

「皆さんの記憶に残っているものでは無いと思うのですが、(ジュニアに上がって)初めてのショートです。6.0点満点方式の時のステップなので、今だとちょっと見られないような面白いステップです」。

 後半は、シニア以降のシーズンを振り返る。東日本大震災、神戸のチャリティーアイスショーの映像に続き、2012年ニースの世界選手権での『ロミオ+ジュリエット』。冒頭3本のジャンプが終わったところで、本人が当時と同じ白い衣装でリンクに登場した。トリプルアクセルで映像から演技をつなぐと、決死のステップの再現を演じきった。

ジュニア時代の「CHANGE」を演じた
ジュニア時代の「CHANGE」を演じた写真:長田洋平/アフロスポーツ

「いつか終わる夢」に投影した、自らの夢と葛藤

 そして、ソチから平昌五輪時代の映像のあと、今回のショーのクライマックスが訪れた。自らが振付を考え、昔から滑りたかったという曲。「ファイナルファンタジー10」のテーマソングの1つ「いつか終わる夢」だ。白い布を体にまとい現れると、川が流れるようなプロジェクションマッピングの幻想的な世界を、たおやかに滑りぬいた。ただただ美しく、異世界へと溶け込んでいくようなひとときだった。

 このショーで唯一となる、新演目。選曲の思いを聞くと、昔話を語るかのように宙を見つめながら話し始めた。

「最初にこの曲に振付をつけたいと思ったのは、クールダウンの動きをやってピタリとハマったときなんです。皆さんそういえばクールダウンを見たいと言って下さっていたなと。そしてタイトルや、ファイナルファンタジー10の曲であることも、色々考えながら作っていきました」

 目線をさらに遠くに向ける。

「僕自身の夢って、もともとは五輪2連覇でした。そのあとに4回転アクセルという夢をまた改めて設定して追い求めてきました。アマチュアという競技のレベルでは僕は達成することができなかったし、ISU公認の初めての4回転アクセルの成功者には、もうなれませんでした。そういう意味では終わってしまった夢かも知れません。そういった意味で、いつかは終わる夢……」

 溢れ出る感情を抑え込むように、一度、つばを飲み込んだ。

「皆さんに期待していただいているのに出来ない。だけど…」。

鼻をすすって、続ける。

「やりたいと願う。だけどもう疲れてやりたくない。皆さんに応援していただければいただくほど、自分の気持ちがおろそかになって行って、壊れていって、何も聞きたくなくなって。でもやっぱり皆さんの期待に応えたい。そんな自分の心の中のジレンマみたいなものを表現したつもりです」

五輪連覇の夢をがむしゃらに追ってきた若い時代とは違う、平昌五輪以降の葛藤は、いまもなお彼の心の中にある。

「今回のプログラムは、皆さんの思いと一緒に滑っている、でも自分はもう見たくないとか、でもまた最終的には皆さんの思いを集めて滑り続けるんだ、みたいなものを表現しました」

4回転アクセルと向き合ってきた時間も、理不尽さも、そして希望も。すべてを消化しきれていないまま、それでも呑みこんで前に進むんだという、プロの決意が、そこにあった。

葛藤、そして決意。彼の心の進化を投影した。
葛藤、そして決意。彼の心の進化を投影した。写真:長田洋平/アフロスポーツ

「羽生結弦という新たなステージにつながっていく」

 最後の演目は「春よ、来い」。そしてアンコールで「パリの散歩道」。羽生の魅力が詰まった2つのプログラムを演じて、初演を締めた。

「まずはプロローグを成功させるために毎日努力して、今日は今日で1つ1つのジャンプや演技に集中していったことが積み重なって、新たな羽生結弦というステージ、新たな自分の基盤が出来ていくと思います。今できることを目一杯やって、フィギュアスケートというものの限界を超えていきたいです。それが、これからの僕の物語としてあったら良いなと思います」

 プロローグの公演は、横浜が2公演、12月に八戸で3公演。まずは全力で演じることで、その先にある何かをつかむ。

「フィギュアスケートって同じ演技が何一つとして存在しないんですけれど。リアルタイムで羽生結弦というドキュメントを見ていただきたいなと思っています」

 毎公演、そこにはリアルな羽生結弦が、その瞬間にしか見せられない輝きを放つ。6分間でのウォーミングアップや1回転や2回転のジャンプを跳ぶ姿すらも見てほしい。夢と現実の2つを背負っている、そのままの自分を見て欲しい。だからこそ「演技」ではなく「ドキュメント」――。

そう振り返ると羽生の伝えたいことが浮き彫りになってくる。「プロローグ」は、羽生というアスリートの単独ドキュメントの場。彼がまさに今、前を向いて生きている姿を伝えることが、プロとしての第一歩となった。

羽生結弦のドキュメントを届けたいという
羽生結弦のドキュメントを届けたいという写真:長田洋平/アフロスポーツ

スポーツライター

元毎日新聞記者。自身のフィギュアスケート経験を生かし、ルールや技術、選手心理に詳しい記事を執筆している。日本オリンピック委員会広報としてバンクーバーオリンピックに帯同。ソチ、平昌オリンピックを取材した。主な著書に『羽生結弦 王者のメソッド』『チームブライアン』シリーズ、『伊藤みどりトリプルアクセルの先へ』など。自身はアダルトスケーターとして樋口豊氏に師事。11年国際アダルト競技会ブロンズⅠ部門優勝、20年冬季マスターゲームズ・シルバー部門11位。

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