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都市水害の東海豪雨から20年、当時から何が変わったか?

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
新川の破堤、名古屋市消防局防災部防災室「東海豪雨水害に関する記録」より

リアルタイムで気象情報が届かなかった時代の都市豪雨

 20年前の2000年9月11日の午後、私は愛知県豊田市役所で講演をしていました。市役所近くの病院に入院していた叔父が当日深夜に亡くなりましたので、当日のことを鮮明に覚えています。講演会場は、市の防災対策課の隣にある大きな会議室でした。それにもかかわらず、講演終了後、受講者に対して帰宅時の注意喚起はありませんでした。おそらく、豪雨の情報が届いていなかったのだと思います。

 私は講演終了後、自家用車で自宅に戻りましたが、道中、余りの豪雨で、ワイパーが効かず前も見えないため、身の危険を感じつつ徐行しながら帰りました。車中のラジオでも、気象情報はなかったと記憶しています。まさにこの時間に、名古屋地方気象台が記録的短時間大雨情報を出していました。

 当時は、マスコミの記者は気象台に出向いて情報収集し、それをテレビやラジオで流していました。しかし、全国放送の時間帯だったためか、地域への情報提供は十分ではありませんでした。スマホは無く、前年にiモードが始まり、東海豪雨とほぼ同時に日本でGoogleの検索サービスが始まった時期です。このため、一般の人は、テレビやラジオでしか災害情報を得ることができませんでした。

東海豪雨での降雨の状況

 東海豪雨は通称です。岐阜県南部の被害が甚大だったことから恵南豪雨と呼ばれることもあります。今ではよく聞く「線状降水帯」状の集中豪雨によって、名古屋周辺の地域が、局地的に長時間猛烈な雨に見舞われました。本州に前線が停滞していて、西側に台風が位置し、東側に高気圧があるときに、その間で南北に線状降水帯ができやすいようです。

 9月11日当日も、本州上に秋雨前線があり、日本の西南を台風14号が沖縄方面に進み、東側に高気圧がありました。このため台風の東側の縁に沿って、南から温かく湿った空気が前線に次々と流入して名古屋を狙い撃ちするように線状降水帯ができました。このため、愛知県西部から三重県北中部にかけて局地的な豪雨となりました。名古屋市では1時間降水量97mm、1日降水量428mmを記録し、観測史上最大の降雨になりました。

 実は、先週にも、台風9号や10号の影響もあって、線状降水帯による集中豪雨で、私が勤務する名古屋大学減災館が浸水被害を受けてしまいました。久しぶりに経験する猛烈な雨でした。

東海豪雨の主な被害

 名古屋では、新川が破堤して多数の家屋が浸水し、天白川も越水して窪地になった場所で浸水被害が発生するなどし、新川流域、庄内川流域、天白川流域、境川・逢妻川流域で多数の浸水被害が生じました。竜巻も発生しました。岐阜県でも、矢作川上流の恵南地域で土砂災害などが起きました。

 東海豪雨後にもこれを上回る降水量の豪雨が各地で発生していますが、大都市・名古屋を含んだ災害のため、浸水被害や経済的影響は甚大でした。消防庁(2000年10月2日付)によると、愛知・岐阜・三重・静岡で死者10人、全半壊住家104棟、床上浸水27180棟、床下浸水44111に上ります。1959年伊勢湾台風以来の甚大な被害にもかかわらず、気象庁はこの災害を命名していませんが、その理由は良く分かりません。家屋や家財道具の被害は約 2775 億円、事業所等の被害は約 4771 億円で、一般資産被害額は合計で約 8400 億円にも上りました。

 名古屋市の地下鉄 4 駅が浸水して不通になり、東海道新幹線や東海道本線も運行停止しました。東名高速や国道1号が通行止めになるなどしたため、大量の帰宅困難者が発生しました。また、電気、ガス、電話などのライフライン被害も甚大でした。

 また、ナゴヤドームの浸水、免震建物の免震ピットへの浸水、水に浸かった大量の自動車の処理などが話題になりました。

東海豪雨後の防災対策

 豪雨後には、愛知県社会福祉協議会や日本赤十字社愛知県支部、ボランティア団体によって愛知・名古屋水害ボランティア本部が設置され、各地にボランティアセンターを開設して様々な活動が行われました。阪神・淡路大震災以降に始めた愛知県防災ボランティアコーディネータ養成講座で育ったボランティアなど、延べ5000人のボランティアが様々な活動をしました。これが愛知県におけるボランティア元年とも言えます。

 東海豪雨を受けて、様々なハード対策が進みました。名古屋市では、1時間60mmの降雨に対処できる下水道を整備すると共に、庄内川、新川、天白川を対象に、緊急的な治水対策を実施する「河川激甚災害対策特別緊急事業」が行われました。そのおかげか、東海豪雨を超える降水量のあった平成20年8月末豪雨では、名古屋市内の被害を軽減することはできました。ですが、岡崎市を中心に大きな被害を出し、避難に関わるソフト面の新たな課題も現れました。

 東海豪雨以降の、気象情報の進化には著しいものがあります。雨雲をとらえるレーダーの性能は大いに向上し、スマホやPCを使えば、だれでも簡単にリアルタイムで雨雲の様子を見ることができます。テレビではL字放送で災害情報が随時提供されるようにもなりました。気象情報や災害情報も整理されて分かりやすくなり、気象庁と国土交通省が共同で記者会見を行い、具体的な防災行動上の注意を喚起されるようにもなりました。そのおかげもあって、この日曜日に日本列島を襲った台風10号では、過去にない強烈な台風だったにもかかわらず、被害を最小限に留めることができました。

 一方で、心配なこともあります。災害から20年が経ち、当時の教訓が失われつつあること、様々な対策が進んだ結果、市民一人ひとりの災害対策の当事者意識が薄れつつあること、災害危険度の高いところに住家が増えたこと、市民の公への依存度が高まったことなどです。いざというときには個人一人一人の生きる力が命を左右します。東海豪雨から20年の節目に、改めて教訓を噛みしめ、当事者意識をもって対策を進めたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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