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【九州三国志】阿蘇四代の興亡記:乱世に翻弄された運命の系譜!その壮絶な軌跡と名残を訪ねて

華盛頓Webライター
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阿蘇惟豊から始まる四代にわたる阿蘇氏の物語は、まるで乱世の波に浮かぶ舟のように波乱万丈でございました。

明応2年(1493年)に生を受けた惟豊は、兄・惟長との抗争の末に一度は日向国へ落ち延びるも、甲斐親宣の支援を得て矢部を奪還

さらに30年に及ぶ内紛に終止符を打ち、朝廷からも重んじられる名君となりました。しかし、彼の跡を継いだ惟将の時代には、周辺勢力の圧迫により独立維持に苦心することとなります

甲斐宗運の助力を得て巧みに外交を操ったものの、天正11年(1583年)に波乱の生涯を閉じます。

その後、惟種が短期間の当主となるも、天正12年(1584年)の急逝により、幼き惟光が僅か2歳で家督を継ぐこととなりました。

しかし、惟光の運命はさらに過酷でございました。

幼少期より島津氏の侵攻や豊臣秀吉の九州平定に翻弄され、わずか12歳で花岡山にてその短い生涯を終えることとなります。

この事件を最後に、戦国大名としての阿蘇氏は歴史の表舞台から姿を消すこととなりました

とはいえ、惟光の弟・惟善が加藤清正の庇護のもと阿蘇大宮司職を復活させ、阿蘇氏の血脈は辛うじて保たれることとなりました。

現在でも、熊本県山都町に残る「おたっちょさん」として親しまれる墓地には、阿蘇四代の軌跡がしっかりと刻まれております。

その石碑が語る物語に耳を傾けるとき、阿蘇氏がいかにして乱世を生き抜いたか、その息吹を感じずにはいられません。

Webライター

華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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