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50年目の、新しいパルコ。場と人を"インキュベーション"してきたその原点とは

河尻亨一編集者(銀河ライター主宰)
「50年目の、新しいパルコ。」キャンペーンサイトより

"新生"渋谷パルコは50周年の目玉

11月22日、新生渋谷パルコがオープンした。

渋谷パルコは2016年に一時休館し、ビルの建て替え工事などグランドオープンの準備を進めてきたのだが、このたび地上10階、地下1階の新施設がお披露目となった。

新施設の各フロアは、「ファッション」「アート&カルチャー」「エンタテイメント」「フード」「テクノロジー」の5つのコンセプトをミックスし編集されており、190を超える店舗が入るという。各種オープニングイベントや展示も盛りだくさんで話題を集めそうだ。

新生渋谷パルコのオープンは、50周年を迎えたパルコの目玉プロジェクトでもある。

ファッションビルとして半世紀の歴史を持つパルコは今年、錦糸町(東京)や浦添(沖縄)などにも商業施設をオープンしており、"聖地・渋谷"での復活は、同社の50周年プロジェクトの掉尾を飾るものだ。

パルコはこの節目に合わせて、キャンペーン「50年目の、新しいパルコ。」を展開してきた。全国の"オール・パルコ"で記念イヤーを盛り上げようというものだが、このキャンペーンのクリエイティブ・ディレクターを務めるのが箭内道彦氏(風とロック)である。

箭内氏はキャンペーンの意図をこう語る。

「2020年を迎えようとするいま、東京のいたるところに変化が起こっています。そんな時代の節目にパルコが50周年を迎えることに運命的なものを感じますね。

『50年目の、新しいパルコ』はこのタイミングで、パルコとはいったい何なのか? を企業自身が問い直す試み。その上で、これからの時代に求められる新しいパルコ像を提示しようとしているんです」

新聞広告や特設サイトなどで展開されたキャンペーンのキービジュアルでは、工事中の渋谷パルコ施設の全体像を横から捉えた写真を用いている。2018年8月に撮影されたものだ(冒頭写真。キャンペーンサイトより)。

"未完成"の状態をあえて見せることで、新しいパルコの姿を想像してもらおうとしているのかもしれない。「We are PARCO.」と題されたムービーも制作された。

全国にある各店舗から一人ずつ、若手を中心としたスタッフが出演し、それぞれの仕事シーンやインタビューを収録したドキュメント動画だ。派手な映像ではないが、そこではたらく人の実直な思いや人柄が伝わってくる。

箭内氏は「頼もしい若手社員たちの姿の向こうに、これからのパルコが見えてきた」と話す。

時代のエネルギーを生み出す"空っぽの器"

50年の歴史を通じてパルコ広告の"主人公"はずっと若者だった。時代への感度が高い若者たちに向けて先端のカルチャーを発信し、若手クリエイターも育ててきた。

創成期である1970年代には、小池一子氏(コピー)や山口はるみ氏(イラスト)ら、女性クリエイターを積極的に起用。山口氏がエアブラシを用いて描いた女性たちは、"はるみギャルズ"と呼ばれて一世を風靡した。

なかでもこの時代、石岡瑛子氏のアートディレクションによって生み出されたビジュアルは圧倒的だった。筆者は現在、彼女の伝記を執筆しているが、この頃のパルコのキャンペーンは、世間に「女の時代」到来を強烈に印象づけ、いまや伝説となっている。

石岡瑛子氏がディレクションしたパルコのキャンペーン。左から「モデルだって顔だけじゃダメなんだ。」「裸を見るな裸になれ。」(ともに1975年)
石岡瑛子氏がディレクションしたパルコのキャンペーン。左から「モデルだって顔だけじゃダメなんだ。」「裸を見るな裸になれ。」(ともに1975年)

1980年代には、糸井重里氏(コピー)や井上嗣也氏(アートディレクション)らが、それ以前とはまた異なる新しいパルコ広告の世界を切り拓く。ほかにもここに書ききれないほど多くの人気クリエイターたちが、広告やイベント、出版などの領域で、パルコという"チャンネル"を通じて新しい文化を発信してきた。

現在にいたるまで、その文化発信のスタンスは変わっていないように思える。

箭内氏も2001年から約20年にわたって数々のパルコのキャンペーンを手がけてきたが、最初の頃は気負いのようなものがあったという。

「呪縛を感じてましたね。それまでのパルコの広告がすごすぎて、先輩たちを意識せずに、のびのびと"いま"を表現することが難しくて。

『先輩たちに負けない新しいことをやらなきゃ!』という意気込みで臨むのですが、『PARCO』のロゴを入れるだけで、どんなビジュアルでもパルコの広告になってしまうというかね、表現が自由なだけに逆に縛られてしまうんです。魔法の5文字と呼んでいたんですけど(笑)」

箭内氏はパルコを"空っぽの器"という言い方で表現する。旬の若いクリエイターに表現のための白いキャンバスを提供し、広告などの形で様々なコンテンツを発信することで成長してきた会社なのだ。

ある時期には、パルコのポスターの片隅に小さな文字で「not for sale」のクレジットが入っていたという。「非売品」ではあるが、広告も"商品"のひとつと捉えていたのだろう。

実際にはパルコは"商品"を持たない会社だ。

衣服などをみずから仕入れて販売するのではなく、テナントの選定・招致も含めた「場づくり(街づくり)」と、集客のための「情報発信」が事業の柱である。いつの時代も"空っぽの器"を満たす店や人をキュレーションしてきた。

イタリア語で公園を意味する「PARCO」という名称が、この商業施設のコアを言い表している。この公園に人を集めるための"遊具づくり"がテナントを含む「クリエイター」の仕事だ。

箭内氏は次のように語る。

「どの広告をつくるときもパルコと一緒につくっている感覚があって、僕のほうでもだんだんよけいな力が抜けていきました。それぞれの宣伝担当の方とも意気投合できたことも大きくて。

何かつかめた気がしたのは、木村カエラさんを起用した『PARCO SAYS,』(2005年)というキャンペーンあたりからですかね? テクニックではなく、気持ちを大事にした広告表現にシフトしていきました。

その後は広告をつくるだけでなく、僕が主宰する『風とロック』のイベントを3年連続でやらせてもらったり、パルコ出版から本をリリースしたり、僕自身の動きとパルコがすっぽり重なっていた時期がありましたね」

箭内道彦氏
箭内道彦氏

東日本大震災から2020へ。その後のクリエイティブに求められるもの

だが、2010年代に入ると、東日本大震災を機にまた時代の空気が変わった。2012年にパルコは、Jフロント リテイリングの連結子会社となり経営体制にも変化が訪れた。

箭内氏は当時展開されていた「LOVE HUMAN.」というキャンペーンを引き継ぐことになる。

「僕が引き継ぐことになって、仙台パルコでロケをしたんです。まだ東北新幹線が全面復旧していない頃で、飛行機で仙台に入ったことを覚えています。

従業員さんたちが、仙台駅前のパルコの前にずらっと並んでいるところを撮りましたが、駅の外壁が崩れ落ちていて、それを補修してるクレーンが仙台パルコを斜めに遮ってる構図の写真なんです」

これは震災から立ち上がろうとする人たちを応援する広告だったが、キャンペーンを続けていくうちに「昔のパルコらしさがいい意味で薄れていく」ように感じたという。

その後、2014年から「SPECIAL IN YOU.」というキャンペーンを引き続き担当し、若者層に向けて「君も、特別。」な才能を持っている、というメッセージを打ち出す中で、今回の50周年広告につながる新しいパルコへの道筋が見えてきた。

箭内道彦氏がディレクションしたパルコのキャンペーン。左から「LOVE HUMAN.」(2011年)「SPECIAL IN YOU.」(2014年)
箭内道彦氏がディレクションしたパルコのキャンペーン。左から「LOVE HUMAN.」(2011年)「SPECIAL IN YOU.」(2014年)

その道筋の向こうに浮かび上がったのは、50年の歴史の中で場と人を"インキュベーション"してきたパルコの原点でもあった。

2016年に渋谷パルコが休館する前に「一度、さよなら」を伝えるためのキャンペーン「LAST DANCE_」で箭内氏は、彼自身がリスペクトするアートディレクターであり、80年代パルコ広告のスターでもある井上嗣也氏とコラボする。

「2016年におやすみをいただくときに、パルコさんが井上さんの燦然と輝く歴史と、僕の持っている要素を掛け合わせて、『どういう現在形にするか?』というケミストリーを考えてくれたんじゃないかと思います。

それで気づかされたのは、パルコで大事なのはある種の"編集感覚"なんですよね。お店とお店、人と人の掛け合わせによる化学反応から新しいものが生まれてくるというか。

クリエイティブの先輩方から見たら、パルコの広告も昔と違っちゃったなと思っていたかもしれませんが、長い時間をかけてもう一度、新しい形で強いパルコが戻ってきたというか、このタイミングで新生渋谷パルコがオープンしたというのは、純粋にうれしいですね」(箭内氏)

その「うれしさ」の裏側には、広告業界も含めたいまの社会に対する危機感もある。

「2020年のオリンピック・パラリンピックが終わった後、多くの人が『日本どうなっちゃうんだろう?』って不安を感じている気がするんです。自分と異なる人たちとの対話がどうしても上手にできなくて、互いにただ否定し合うような現状もありますよね。

僕はこの状況をアートやクリエイティブが変えると本気で考えています。いまほど社会にそれが求められている時代は、滅多にないんじゃないかと。

『答えは赤なのか黄なのか?』というときに、ちょうどあいだのオレンジ色にするのがいままでの物事の解決の仕方だったり、赤に決まったら黄の立場の人は我慢するか、怒るしかなかったわけだけど、『いやいや、水色もあるかもよ?』みたいな提案ができるのが、クリエイティブの役割だと思うんです。

クリエイティブは、常識や固定概念とはまるで異なる角度から答えを提示できますし、立場が異なる人や意見を大きく包みこむ力もあります。その意味でも、僕はパルコの存在は重要だと思っているんです」

編集者(銀河ライター主宰)

編集者、銀河ライター。1974年生まれ。取材・執筆からイベント、企業コンテンツの企画制作ほか、広告とジャーナリズムをつなぐ活動を行う。カンヌライオンズ国際クリエイティビティフェスティバルを毎年取材。訳書に『CREATIVE SUPERPOWERS』がある。『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』で第75回毎日出版文化賞受賞(文学・芸術部門)。

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