【富田林市】甘南備にかつて存在した楠母神社跡の現在は?倒れていた像が綺麗に並べられていました。
富田林の最南の地にある甘南備では、楠妣庵観音寺が有名ですが、かつてその観音寺から道路を挟んだ反対側に楠母(なんぼ)神社というのがありました。神社そのものはすでに廃社になっていますが、現状どうなっているのか?様子を見てきました。
甘南備バス停です。道路を挟んだ反対方向に楠妣庵観音寺が見えますね。今回は反対方向に行ってみます。
楠母神社をおさらいすると、楠木正成の妻、久子を祀った神社として1940(昭和15)年に建てられたそうです。当時は戦時中ということもあり、楠木正成の存在が非常に持ち上げられていたころ。その妻である久子も「日本女性の鑑」として捉えられていました。
そこで久子を顕彰しようと楠母会が結成され、この組織が中心となって「若楠寮(婦人のための修養道場)」が建てられるのですが、その裏に楠母神社が創建されました。ちなみに西暦1940年は皇紀 2600年に当たります。
佐備川支流の中津原川を渡って反対側の坂を上っていきます。
やがて戦争が終わると、若楠寮は若楠学園と名前が変わり、戦争孤児を保護する施設となります。その後1971(昭和46)年に、羽曳野市の高鷲学園(外部リンク)内に移転となり、若楠学園はその役目を終えました。
楠母神社も、その役目を終えるかのように廃社式が昭和50年ごろに行われ、御霊も市内にある他の神社に移されます。
残された狛犬や像は放置され、荒れ放題となっていましたが、21世紀に入ったころになって地元住民たちが「このまま放って置くのは良くない」となって草刈りや竹の伐採を続け、やがて市の協力を得るようになったそうです。
2018年に本格的な整備が行われ、神社跡までの坂道がコンクリート舗装されます。社殿前の石碑はそのまま残され、倒されていた石像などをフェンスで囲むなどの対策が行われました。
坂を上っていくと柵が設けられている道が現れました。このあたりから整備されているようです。
本当に急な坂ですが頑張って登ってみましょう。
登っていくと、石碑のようなものが見えてきました。
ここにかつて楠母神社があったことを偲ばせる石碑ですね。
石碑には次のように刻まれていました。
石碑から更にのぼり道が続きます。この辺りが新しく整備されたのがよくわかります。
やがて見えてきました。過去の楠母神社跡の画像を見ると、狛犬や燈籠が倒された状態で放置されているものが多かったのですが、2022年の夏の時点でそれらもしっかりと直されていました。
こちらにも別の石碑があります。
こちらの像の上は読めなかったのですが、下は次のようなことが書かれていました。
ここには現在の跡地としての説明版があります。草刈りなどをしてずいぶん整備されていたと聞きましたが、やはり夏の暑さは草の生育にとても良いらしく、周りは青々とした草に覆われていました。
草をかき分けて正面の拝殿跡に行きました。
綺麗に整備された狛犬像の真ん中には帽子をかぶった久子夫人と三人の子どもたちと思われる石像が立っていました。
目の前には休憩できるベンチがあったので、坂を上って息が切れてもここで一休みできます。
久子夫人の生誕の地とされ、かつての小字・矢佐利の場所に残された神社跡、戦時中に建てられたものなので今見ると若干の違和感はありますが、歴史の足跡として見学してみる価値は高そうです。
楠母神社跡
住所:大阪府富田林市甘南備1769
アクセス:近鉄富田林駅からバス 甘南備バス停下車から徒歩10分
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