慰安婦問題を扱った映画「主戦場」が映画祭で上映中止になり再び復活した騒動の深刻な背景
「しんゆり映画祭」最終日に「主戦場」上映が決定
川崎市で10月27日~11月4日に開催された「KAWASAKIしんゆり映画祭」で、一度は上映中止になった映画「主戦場」の11月4日の上映が決定したという告知が11月2日午後になされた。上映再開へ向けた動きがあるのは聞いていたが、ぎりぎりになっての決定にホッとした。「主戦場」上映中止に抗議してボイコットした若松プロダクションの作品「止められるか、俺たちを」も復活が決まったという。「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が中止になりながら最終段階で再開にこぎつけたのと似た展開になったわけだ。
ちなみに「主戦場」は、同映画で歴史修正主義者と批判的に扱われた出演者の一部が上映中止を求めて裁判を起こしている。何が争点かなどについては下記記事を参照してほしい。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190709-00133486/
映画『主戦場』上映中止求める訴訟で争点となるドキュメンタリーをめぐる様々な問題
一時は上映中止と発表された「主戦場」が上映できることになったことで、関係者や市民を含む多くの人が安堵したと思う。ただ10月30日に開催され、大激論となったオープンマイクイベント「しんゆり映画祭で表現の自由を問う」にも参加して、この騒動の経緯に、ちょっと深刻な思いになったのも確かだ。「あいちトリエンナーレ」をめぐる騒動がいろいろなところに爪痕を残していることが改めてわかったからだ。
しんゆり映画祭で「主戦場」の上映が中止になったのは、8月上旬、「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」が激しい攻撃を受けて中止に追い込まれたのを見て、同じようなことが「しんゆり映画祭」でも起きた場合、対応不能になると関係者が考えたからだ。
10月30日の上記イベントで上映中止に至る詳細な経緯が明らかにされたのだが、そこでは8月5日、川崎市が上映に懸念を表明したのがきっかけだったことや、市側と折衝を行った末に、8月17日に中山代表が全体会で上映見送りの方針を説明したことが明らかにされた。
そのイベントで中山代表は「あいちトリエンナーレに比べれば、しんゆり映画祭は100分の1の規模です。でも市民のボランティアで運営しているこの映画祭に、あの100分の1の抗議がなされたとしても我々は対応できないと思う」と語った。
要するに「あいちトリエンナーレ」の騒動がそんなふうに「萎縮」をもたらしたということだ。
是枝裕和監督や白石和彌監督らが相次いで抗議
「しんゆり映画祭」は10月27日、公式ホームページに「『主戦場』上映見送りについて」という中山周治・映画祭代表署名の見解を発表。映画関係者に大きな波紋を投げた。
それが多くの人に知られるようになったのは10月25日の朝日新聞が「『提訴された作品』上映中止に」という記事を掲載したのがきっかけだった。26日に中山代表は関係者向けに「KAWASAKIしんゆり映画祭とお付き合いいただいているみなさまへ」という文書を作成、27日に同趣旨の見解をホームペ―ジに公開したのだった。
共催である川崎市が、係争中の映画「主戦場」の上映に懸念を表明したことを受けて運営委員会で検討した結果、上映を見送らざるをえないと判断した、という趣旨だった。
それに対して、映画製作配給会社「若松プロダクション」が28日、「主戦場」上映中止に抗議して、同映画祭で予定していた映画2本「11・25自決の日~三島由紀夫と若者たち」「止められるか、俺たちを」の上映を取りやめると発表した。抗議声明には映画監督の白石和彌さんと脚本家の井上淳一さんの名前が書かれていた。
また上映予定の「沈没家族 劇場版」の配給会社「ノンデライコ」の大沢一生代表は、映画のボイコットはしないとしながらも抗議を表明。30日にこの問題をオープンな場で議論するためのオープンマイクイベントを開くよう提案した。
そして29日、映画祭の特集のひとつ「役者・井浦新の軌跡」で是枝裕和監督の「ワンダフルライフ」が上映されたが、「主戦場」上映中止に危機感を抱いた是枝監督と出演者の井浦さんが登壇して発言した。是枝さんは「共催者の“懸念”を真に受けて主催者側が作品を取り下げるというのは、『映画祭の死』を意味します」と強く抗議した。
10月30日夜「しんゆり映画祭で表現の自由を問う」
そうした経緯を経て、10月30日夜、映画祭の会場になっている川崎市アートセンターで、オープンマイクイベント「しんゆり映画祭で表現の自由を問う」が開催されたのだった。当日は170名ほどが集まり、会場に入りきれない人は別のフロアでモニターを見ることになった。新聞・テレビなどのマスコミも各社が取材に訪れた。会場には「報道特集」の金平茂紀さんや、フリーライターの江川紹子さんらも取材に訪れた。
大勢の市民らが見守る中、前方のテーブルに中山代表ら運営側と、「沈没家族」の大沢プロデューサー、同じく上映予定の「ある精肉店のはなし」の纐纈(はなぶさ)あや監督が席を構えた。纐纈さんもボイコットはしないが「主戦場」上映中止に反対で、それを上映復活してもらうために来た、と最初に発言した。
その後、まず運営側から詳細な経緯説明がなされた。それを受けて会場から質問ないし発言を聞いたのだが、手をあげる人が多くて全員発言する時間はとれそうになかった。指名されていないのに会場から強い抗議の意思表示を行う人も多く、中山代表に対して「代表をやめろ」と怒りをぶつける人もいた。
「主戦場」のミキ・デザキ監督も会場で訴え
サプライズは途中、会場後方に来ていた「主戦場」の配給会社・東風の代表らが上映再開を訴える発言を行った後、同映画の監督ミキ・デザキさんが通訳を通じて発言をしたことだ。監督は「まだ起こってもいない嫌がらせに屈して上映しないのは『主戦場』だけの問題にとどまらない。表現の自由を守るためにぜひ一緒に行動してほしい」と訴えた。会場から金平さんも「今回のやり方は表現に対するリスペクトが感じられない」などと上映中止に抗議する発言をした。
会場に来ていた川崎市民たちも次々と発言、「主戦場」上映再開を求めた。ところがそうした発言を受けてマイクを渡された中山代表は「この場で上映を決定するというのは個人の判断でできるものではない」「万が一のことを回避するために上映は難しいと判断したのに、もし上映を行って万が一のことが起きてしまったらどうするのだ」などと発言。会場が紛糾した。
19時から始まった意見交換は終了予定時間の21時を過ぎても結論が出ないまま。もう時間がないので終了という時になって私も発言し、「主戦場」に対して「あいちトリエンナーレ」のような激しい攻撃が起こるとは予想しがたい、今のスタッフだけで対応しようと考えずに、市民に呼び掛けて対応のためのボランティアを募ったらよいと述べた。
これまで上映中止騒動が起きた映画「ザ・コーヴ」などでは、市民の間に「守る会」のような運動が立ち上がり、大きな役割を果たしたし、最近でも映画「沈黙」の上映妨害に対してボランティアスタッフが警備に当たるなどしている。そういう事例を参考にすれば心配する必要はない、と話した。時間がないとせかされて慌ててしまってわかりにくい話になってしまったが、本当はその場に集まった市民にそこで「守る会」を立ち上げようと呼びかけるべきだった、と後で思った。
会場で配布された10月26日付の文書には「上映時に起こりうる最悪の事態を想定し、私たちができうる対策を運営委員会で何度も検討した結果、今回は上映を見送らざるを得ないと判断させていただきました」と書かれていた。映画や舞台などお客を入れて興行を行ううえで「最悪の事態を想定」するのは必要なことだが、同時にそのリスクが実際にどの程度起こり得るか「蓋然性」も考えなければいけない。「危険性」と「蓋然性」を天秤にかけたうえで判断せずに、「最悪の事態」だけ想定して行動すると、限りない「萎縮」と「自粛」の連鎖に陥っていくからだ。
でもその紛糾した議論の中で、一部のスタッフから「主戦場」はどうしても上映したい、自分が責任をもってやると名乗りもあがり、終了後、他のスタッフからも「自分も何とかしたい」という意見も聞いた。中山代表とも終了後名刺交換したが、上映再開にどうあっても反対するという考えではないように思えた。
実際、その後スタッフの間で話しあいが続けられ、最終日4日しか上映のチャンスがないというその前日3日ギリギリになって、「主戦場」上映が決まったのだった。
ただ一方で、「主戦場」を提訴した出演者らは、別途に会見を開いて、上映反対を改めて表明するなどしているし、最初に懸念を表明した共催の川崎市がどう対処するかという問題も残っており、実際に上映されるまで予断を許さない。
また共催の川崎市は映画祭に600万円を提供することになっているのだが、自分たちが反対する映画や展示に公金が使われるのは許せないというのが、この間、「あいちトリエンナーレ」や「沈黙」などの抗議でなされてきた主張だから、「しんゆり映画祭」でもそれがなされる恐れはある。まだ最終決着とはいかないわけだ。
拡大する文化庁の補助金不交付
補助金交付については周知のように「あいちトリエンナーレ」に対して文化庁の7800万円の補助金が不交付になっている。国の意向にそわないような芸術祭は認めないという安倍政権の意向が働いているのは確かだが、その後も例えば映画「宮本から君へ」に対して文化庁が補助金不交付を決めるという出来事があった。直接の理由は、薬物で逮捕されたピエール瀧さんが出演しているからだが、こういう理由で不交付が頻発していくと、映画や美術に対して国家がとめどなく検閲できるようになってしまう。
しかもややうがった見方をすれば、その「宮本から君へ」の河村光庸プロデューサーは、政権批判の映画「新聞記者」や、11月15日公開の森達也監督が望月衣塑子記者を撮ったドキュメンタリー映画「i」を企画製作した人だ。その政権批判の映画に対して意趣返しを「宮本から君へ」でやったというのは考えすぎかもしれないが、何となく嫌な感じは拭えない。「あいちトリエンナーレ」にしても「表現の不自由展・その後」再開が発表された翌日に補助金不交付決定だからどう考えても圧力をかけたのだが、表向きの理由は「手続きの不備」とされている。
あいちトリエンナーレの騒動は、「表現の不自由展・その後」の再開ということで落着したが、深刻な後遺症はそのほかにもいろいろなところに見られる。例えば10月から来年の「ひろしまトリエンナーレ」のプレイベントとして、尾道市百島町で美術展と連続シンポが開催されているのだが、そこに「あいトレ」と同じ右派からの電凸がかけられているという。「百代の過客」と題するその美術展にも大浦信行さんの昭和天皇をモチーフにした「遠近を抱えて」が、全作品展示されるなどしており、ネトウヨが「次は広島だ」という呼びかけをしているらしい。
http://artbasemomoshima.jp/hyakudai/
アートベース百島2019 公式ホームページ
11月17日には、「表現の不自由展・その後」の出展者だった大浦さんと小泉明郎さんらのシンポジウムが開かれるのだが、既に締め切った予約者の中に地元の右翼団体が含まれていると言われている。
一度は封印された天皇めぐる「遠近を抱えてPart2」
「表現の不自由展・その後」では平和の少女像と「遠近を抱えてPart2」という20分の動画が標的になったのだが、その騒動が飛び火しているようなのだ。
ついでながら、その「遠近を抱えてPart2」は一度封印されながら再開されたのだが、逆に「表現の自由」について考えるためにその上映をやろうという動きも広がっている。
「あいちトリエンナーレ」騒動は「表現の自由」をめぐる大きな問題を提起したが、その後遺症は広がっており、もしかすると「表現の不自由」がさらに拡大しかねない状況だ。きちんと議論していかないと「萎縮」や「自粛」がさらに広がっていきそうな気配なのが気になるところだ。