「昭和おじさんの栄光」をアップデートせよ【八代充史×倉重公太朗】第2回
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戦後以降の日本の労働市場は、解雇規制が強く、従業員もなかなか辞めない状況が続いています。そのため、企業は中間層のモチベーションを重視せざるを得ませんでした。昇進・昇格の道が閉ざされた従業員が、やる気を失ったまま会社に残ると、周囲に悪影響を与えるからです。出世競争の勝ち、負けの線引きを曖昧にすることで、従業員のモチベーションを保ってきた一方、社員が転職するタイミングを逸してしまうというリスクも指摘されています。日本の雇用慣行の問題点や改善点について、八代充史先生に聞きました。
<ポイント>
・日本とアメリカの出世競争の違い
・日本人に欠けているのは「自己責任」という概念
・学生は学生時代にしか読めない本を読む
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■成績考課は適正に行うのが難しい
倉重:日本企業では、本来毎年きちんと成績考課を付けることになっているのに、定年までなぜか毎年標準以上の評価を付けたり、ずっと下げられないような慣行になっているところがります。60歳以降の定年になって、極端に下げることが多いようです。本来は毎年適正に評価していればいい話なのに「あの人に悪く付けるのは申し訳ない」というような理由で下げられないことが問題だと思います。
八代:日本の場合はどうしても人事考課で差をつけるのが難しいようです。新卒採用の結果として、年次というものがあって、その中で徐々に差をつけていくという慣行があります。昔、日経連で『新時代の日本的経営』という報告書を出したのですが、私達の調査チームは当時専務理事であられた福岡道生さんやその当時の関係者の人たちに、オーラルヒストリー(当事者へのインタビュー)を行いました。その時に、今の評価の話が出たのです。
今の倉重さんのお話は、要するに「微分値管理」ということです。毎年査定をしているけれども、その結果が20年たった時に、その人の仕事と給料が見合うような形で積み上げられているのかというと、そうではありません。日本の場合はそういった乖離が生じてしまうのではないでしょうか。
倉重:1年単位で見てみると整合性がとれていても、蓄積するとズレが大きくなっていくということですね。
八代:決して人事考課をしていないわけではないですし、ポジションは上のほうに行けば行くほど少なくなっていますから、当然ピラミッドの中でふるい落としは行われるわけです。
倉重:結局どこかの段階で、働かないおじさんではないですが、処遇とポジションに見合った責任が乖離していくのですね。
八代:ピラミッド型でポジションを与えられた人は、きちんと給料に見合った貢献をします。やはり人はポジションを与えられないと、なかなか活躍の場がありません。もちろんお客さんなどをしっかり獲得している人は、専任部長という形でも仕事ができると思います。私は、実際に自分がサラリーマンをしていないので分からないのですが、やはりポジションがあったり、肩書きがあったり、「会社を背負って仕事をする」という側面が多いのではないかと思います。
そのポジションや、ピラミッド型の昇進競争から外れた人は、どうしても活躍するのが難しくなります。逆に言えば、早い段階から昇進の勝者と敗者を分けると、敗者はやる気がなくなってしまいます。以前私が参画した調査の結果では、40半ばぐらいまでは、同期の半分くらいの人にまだ昇進するチャンスが残されており、同期の中で勝ち組と負け組があらわになる時期が、かなりキャリアの遅い時期に設定されています。
アメリカだと10年弱、ドイツでも12~13年で同期の半分くらいの人が「キャリア・プラトー」、昇進の平原状態に到達してしまいます。アメリカやドイツでは日本の半分ぐらいの時期にもう勝者と敗者がはっきりしているのです。
倉重:日本は出世できるかできないか、明確にわかるタイミングが遅いのですよね。
八代:よく昇進のスピードを早くしろという議論があります。そのとおりだと思う一方で、20代の半分がやる気を失い、寝転がって退職もしないということになると、人事担当者は頭が痛いと思います。昇進スピードというのは、労働市場の流動性と絡んでいます。
例えば昇進できなかった人は、「この会社は自分のことを評価してくれないのだ。では、もっと自分を評価してくれる所に移動しよう」というふうに転職していけば、倉重さんのおっしゃる人材の流動性が確保されると思います。しかし、「差を大きくしたけど、辞めさせられない」という可能性が少しでもあると会社としては大変なので、なるべく昇進競争は長期にゆっくりと行わざるを得ないのです。
そこで、「私はこの会社では評価されなかったが、私を評価してくれる会社はあるはずだ」と転職していければ、また全然状況が違うと思います。
倉重:例えば、リクルートさんのように、「40代を過ぎたら会社を出るものだよね」というようなカルチャーをつくっている会社もありますね。あのような環境は、すごく新陳代謝を促して、いい循環を生じているかなと思います。
八代:私は今そのようなことに少し関心があって調べています。典型的な日本の企業は、転職も少ないし、中途採用もあまり受け入れていませんが、その対極にあるのがゼネラル・エレクトリックの様な企業です。新卒採用はあまり行わず、転職も頻繁に行い、中途採用は当たり前です。リクルートや野村證券といった会社は、新卒採用はしっかり行い、いい人材がどんどん卒業していくのだけれども、意外に中途採用はしていません。
ですから、人材を抱え込む「日本的経営型企業」、「人材還流型企業」、「人材輩出型企業」、というふうに、日本の人材マーケットはいろいろなタイプの企業に分かれています。いわゆる「日本的経営型」というのはその一部なのではないかと思います。
GEで転職が多い理由は、やはりジョブ型であることが非常に大きいと思います。ジョブ型だと上のポジションが空かない限り昇進できません。
倉重:上が詰まっていますからね。
八代:日本のように経理部にいたけれども、人事部の課長が空いているから取りあえず人事の課長にして、後日ヨコヨコで異動などということはありません。経理なら経理、人事な人事とそれぞれ畑が決まっていますから、人事で自分の上のポジションが空きそうにない、10年先まで空くかどうか分からないということであれば、ヘッドハンターさんに相談して、別の会社で自分が活躍できる所に行くという発想が強いです。自分の会社の天井とよその会社での活躍可能性を両にらみで仕事をしているような人が多いです。
倉重:それが入社した時から当たり前という感覚なのですか。
八代:そうなのかもしれません。GEは新卒を採用せずに、リーダーシップ・プログラムで、比較的若い人を幹部候補生として採用します。若い段階から自分もそのような環境に置かれるし、先輩や上司もそれが当たり前なのです。
倉重:キャリア自立というのは、そのようなことですよね。
八代:逆にジョブ型の企業だと、上司と部下との相性や関係性などが非常に重要です。多分、日本の企業だと少し我慢していればどちらかが異動します。
倉重:確かに2~3年たてばいなくなりますね。
八代:「人事さま」がどこかに異動させてくれますから。ジョブ型はそれがないので、上司と部下との関係性においては、「この上司に仕えるのはもう耐えられない」ということも、あるのではないかと思います。
ジョブ型であることと、定期異動がないために、上司と部下との関係性の相性が非常に重要であるということも転職に影響しているでしょう。いい悪いは別として、人事部というものはないので、上司と相対でいろいろなことを交渉しなければいけません。本来の仕事とは別に、自分の評価を巡って上司と交渉するわけです。
倉重:きちんと声(voice)を上げるということですね。
八代:アメリカの社会は、例えば自分のテストの成績でも、先生と交渉して変えさせることがありますよね。
倉重:日本ではそのようなことはなかなかないですね。
八代:「この成績では博士課程に行けないから、何とかしてくれ」と言って、偉い先生はそのようなことを自分でやるのは面倒なので、大学院の学生に押し付けて、胃が痛くなったという話を聞いたことがあります。
倉重:確かに学生時代を振り替えれば、単位を下さいと先生に頼み込みに行ったことは私にもあります。だから、交渉ができないわけではないですが、会社に入ってから給与交渉を個人でやるようなことをした人は相当限られているのと思います。
八代:ジョブ型企業に行く人にとっては、そのような交渉能力が非常に重要だと思います。それが満たされなければ転職するしかありません。日本の企業のように「悪いようにはしないから」というような、長い目で見た貸し借りの関係は期待できないのです。
倉重:要するに「我慢していたら将来いいことがあるぞ」という話ですよね。退職金もたくさんもらって老後も過ごせると。
八代:その期待が裏切られてしまうと、「一体どういうことよ?」となります。
倉重:そのようなキャリアプランが、今時通用するのかどうかです。もちろんずっと同じ会社にいる人もいるとは思うのですが、やはりトヨタさんですら、将来に対してすごく危機感があると、社長自らがおっしゃるではないですか。実際に電気自動車になるのか、水素自動車になるのかによって、雇用のあり方も相当変わってくると思います。
そんな中で自分がどのようなキャリアを積み上げるのかは、最終的には自分で考えていかないといけません。全部会社に任せたままだと、リスクが大きくなりますよね。
八代:日本の雇用制度が今後どうなるかは別にして、従来型の雇用制度も一定程度は残るけれど、そうではないところも増えていくと思います。仮に1社にとどまるとしても、あるいは転職するとしても、その会社の中で自分がどのように職業人生を送るのかというのは、やはり自分で考えないといけないと思います。
倉重:外資系企業では、新入社員研修で、「われわれは君たちに魚をあげることはしません。魚の取り方を教えるのです」と話すそうです。何かを期待して待っているだけではなくて、きちんと自分で考えるところから教えるということです。キャリアに対して、人事異動や研修も含めて、割と受け身になってしまいがちなのが日本的雇用の特徴だと思います。これからは、自分の身を守るために、自分で主体的に考えざるを得ないのではないかと思っています。
■日本の組織に欠けている意識
八代:当然重要だと思います。そのようなキャリア自立ということもありますし、若い方にメッセージを送るということで言えば、今のお話と少しずれるかもしれませんけれども、日本の組織に欠けているのは、「自己責任」という概念だと思います。
倉重:アカウンタビリティですね。
八代:はい。何かあると「国が悪い」「企業が悪い」「学校が悪い」など言います。でも、「それを選んだのはあなたでしょう」ということです。ネット上に授業掲示板というのがあるので、私も時々エゴサーチをするのです。そうすると、「8回のうち5回出レポートを出さないと試験を受けられないし、持ち込み可だと思って教科書を持ってきたら写してはいけないと言われて、こんなにコスパの悪い授業ならとらなければよかった」という書き込みがありました。
倉重:授業がコスパが悪いと言われるのですか。大変ですね。
八代:でも、その授業を履修したのは自分自身なのです。昔学生部の人が言っていたことで、名言だと思うのは「大学は、学生に対して説明責任を負っているけれども、学生は大学に対して履修責任を負っている」ということです。
倉重:きちんと受けろということですね。
八代:20年位前でしょうか。よく「これからは自己責任社会だ」などといわれていました。当時職種別採用や社内公募なども、制度としては導入されたのですが、残念ながら肝心の自己責任ということが薄れてきました。学生さんもその会社を選んだのは自分自身なのだという意識がないから、すぐに転職して、どうしたのだと聞いたら「ミスマッチ」だなどと言います。
倉重:先生は学生にどのように向き合っていますか。私も息子と娘に対して、どのように教育しようかと悩んでいるのです。やはりいい大学に入って、いい企業に入りなさいというのが、伝統的な教育方針だったわけですけれども、これからの世の中果たして本当にそれでいいのだろうかと思っています。ゼミ生などに対して、就職はどのような心構えで行けというお話をされていますか。
八代:いや、学生さんの選択を尊重しています。強いて言うと、高等な教育機関に進学するのは、自分の選択肢を広げることだと思っています。
よく「早い段階から自分の専門性を決めて、大学も職業職種別労働市場の一翼を担うような形にして、大学で勉強したことと、企業での仕事が密接に関係するべきだ」というような議論があります。
倉重:大学を職業訓練校にするということですね。
八代:正に今倉重さんが言われた様に、それは大学が職業訓練校化することです。しかし、それでよいのか。むしろ大学の4年間は、勉学を通じて、自分がどのような方向に向かうかを決めるためにあるのではないかと考えています。選択の時期が早いから成功するというのは間違いではないでしょうか。
よく「大学レジャーランド」などと言いますけれども、将来に向けてのモラトリアム期間の中で、何をやりたいかを模索するという意味では、別にレジャーランドではないいかと思います。
倉重さんからお尋ねのありました「学生にどのように向き合うか」ということで言えば、「社会に出てからできるようなことをするのはやめなさい。学生時代にしかできないことをやりなさい。それが学生生活の意義です」という話をしています。私も学生時代に先生に「社会に出てから、つり革につかまって読めるような本は今読むな。学生は学生時代にしか読めない本を読め」と言われたのです。多分それは永遠の真理ではないかと思います。
(つづく)
対談協力:八 代 充 史(やしろ・あつし)
慶應義塾大学商学部教授。博士(商学)。
1982年3月慶應義塾大学経済学部卒業。
1987年3月慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学。
1987年5月~1996年3月まで日本労働研究機構(旧・雇用職業総合研究所)に勤務。
1996年4月~慶應義塾大学商学部助教授。
2003年4月~現職。
主要著書
『大企業ホワイトカラーのキャリア-異動と昇進の実証分析』日本労働研究機構、1995年。
『管理職層の人的資源管理―労働市場論的アプローチ』有斐閣、2002年
『ライブ講義 はじめての人事管理(第2版)』(共著)、泉文堂、2015年。
『日本的雇用制度はどこへ向かうのか―金融・自動車業界の資本国籍を越えた人材獲得競争』中央経済社、2017年。
『人的資源管理論―理論と制度(第3版)』中央経済社、2019年。
その他、
管理職層の人的資源管理―労働市場論的アプローチ』により2004年度慶應義塾賞受賞、、日本生産性本部経営アカデミー人事革新コースコーディネーター。東京労働大学講座運営委員。日本労使関係研究協会常任理事。