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ウオッカの仔が英国で勝利。母の死も無関係ではないそこに至るまでの経緯とは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
イギリス、ニューマーケットにあるウオッカのお墓

ウオッカの子供達

 「ウオッカが命を落としたのは、桜が綺麗に咲いていた頃でした」

 今から3年前、2019年の出来事をそう述懐するのは園部花子。イギリス、ニューマーケットで開業するロジャー・ヴェリアン調教師夫人だ。

 2010年3月、ドバイでのレースを最後に引退したダービー馬ウオッカ。そのまま日本に戻る事無くアイルランドへ飛び、繁殖牝馬となった。

ウオッカ、ドバイでのラストラン。この後、帰国する事なくアイルランドで繁殖にあがった
ウオッカ、ドバイでのラストラン。この後、帰国する事なくアイルランドで繁殖にあがった

 翌春に生まれた初仔はボラーレと名付けられ、母親と同じ角居勝彦厩舎から14年にデビュー。2戦したが残念ながら未勝利に終わると、1つ下の妹ケースバイケースも未勝利。更に1つ下のタニノアーバンシーは勝ち上がり、重賞にも出走したものの、偉大過ぎる母には遠く及ばなかった。

 ここまでの3きょうだいはいずれも父がシーザスターズだったが、15年生まれでタニノフランケルと名付けられた牡馬はその名の通り種をフランケルに替え、4勝。19年には中山金杯(GⅢ)で3着すると続く小倉大賞典(GⅢ)では2着。以降、勝ちこそしなかったものの重賞戦線では常連の存在となった。

当歳時、アイルランドでのタニノフランケル
当歳時、アイルランドでのタニノフランケル

 そのタニノフランケルの2つ下の弟で、ウオッカの6番仔もまた、父はフランケルだった。

 このタニノフランケルの全弟は18年12月、イギリスでセリに出されたが主取り。ウオッカと同じ谷水雄三オーナーが所有する事になった。

ウオッカの死

 その翌春、事件は起きた。アイルランドから種付けのためイギリス入りしていたウオッカが、馬房の壁を蹴り、右後蹄骨を複雑骨折。オーナーたっての願いで何とか一命を取り留めようと、ニューマーケットにある馬の病院に入院した。

 そのニュースを耳にしたのが園部花子だった。彼女についての詳細は19年に記した記事に譲るが、この時の彼女は、何とかウオッカを助け、谷水オーナーの願いをかなえられないかと、良心に従って病院に駆けつけていた。

 「ボルトを2本入れて固定する大手術を行いました。その後、1ケ月近く病院にいたので、様子を見に行きつつ、面倒をみました」

 しかし、競馬の神様は時に非情。皆の願いはかなえられなかった。

 容態は良くならず、桜が綺麗に咲いている時期に「苦しみから解放してあげましょう」と最期の診断がなされた。

 「ウオッカは最後まで凛々しい態度で息を引き取りました。火葬した後は遺骨を谷水オーナーに届けました。また、分骨していただき、ニューマーケットの桜の木の下に作ったお墓に埋葬しました」

 個人の敷地内なので誰もが見舞えるお墓ではないが、以来、ウオッカの一部はイギリスでも眠る事となった。

桜の木の下、花びらで飾られたウオッカのお墓(園部花子氏提供写真)
桜の木の下、花びらで飾られたウオッカのお墓(園部花子氏提供写真)

体質が弱かった6番仔

 それから約1ケ月後の事だった。

 先出のタニノフランケルの全弟は、2歳になっていた事もあり「日本へは連れて行かず、イギリスでゆっくりやって行こうとオーナーが判断」(園部)。セヴンポケッツと名付けられ、R・ヴェリアン厩舎に入厩していた。

 「ウオッカが命を落として約1ケ月後、セヴンポケッツもお母さんと同じように馬房の壁を蹴り、全く同じ右後ろ脚の蹄骨を骨折しました」

2歳時に骨折し、休養していた頃のセヴンポケッツ
2歳時に骨折し、休養していた頃のセヴンポケッツ

 しかし、母と唯一違ったのはその症状。母ほど重症ではなく、蹄骨にボルトを入れる事で競走馬としてやっていける目処は立った。

 こうして20年10月、ついにセヴンポケッツはデビューを果たした。しかし、結果は14頭立ての6着。勝ち馬から2秒以上離されると、その後、歩様が乱れた。

 「トウ骨にヒビが入っていました。体は500キロくらいで、体高があるからヒョロっとした感じ。とにかく全体的に弱い馬でした」

 怪我をしていたからセリには出せない。いや、出せたとしてもダービー馬の子供に見合った対価は見込めない。つまり、このまま置いておいてもオーナーの負担ばかりが大きくなる。そう考えたロジャーと園部はオーナーに相談。結果、厩舎で引き取る事になった。

 その後、骨折も癒えた21年7月に復帰した。しかし、ここは落馬で競走中止。すると、またしても弱さが露呈。歩様が乱れた。結果、208日に及ぶ休養。再度戻って来たのが、先週末2月7日の競馬だった。

ジェファーソン・スミス騎手を背に調教されるセヴンポケッツ(園部花子氏提供写真)
ジェファーソン・スミス騎手を背に調教されるセヴンポケッツ(園部花子氏提供写真)

お墓に手を合わせて湧いた特別な感情

 「芝はシーズンオフなのでオールウェザーを使ったのですが、大きな馬だからウォルヴァーハンプトン競馬場が合うようには思えませんでした」

 こう語る園部に対し、ヴェリアンは次のように語った。

 「加齢してだいぶ良くなってきて、今までで最も良い仕上がりでした。見た目にも強くなっている感じだったし、好勝負出来ると思いました」

 その見解に誤りはなかった。1900メートルのこのレースでセヴンポケッツは1番人気に支持される。そして、コーナーは馬群の大外を回りながらも2着に2 3/4馬身の差をつける圧巻の走りで自身初勝利をマークしてみせた。

 「使われた後の気性も落ち着いているし、次はもっと良くなると思います。いきなり大きなところを狙うのではなく、調教をこなしながら小さなレースを使っていけば、半年後くらいにまた一段と成長してくれるでしょう」

 ヴェリアンは今後の期待をそう口にした。

セヴンポケッツを挟んでR・ヴェリアン調教師、園部花子夫妻(園部花子氏提供写真)
セヴンポケッツを挟んでR・ヴェリアン調教師、園部花子夫妻(園部花子氏提供写真)

 一方、園部はレース翌朝の逸話を語ってくれた。

 「ウオッカのお墓にはいつもお参りしているけど、このレースの翌朝には子供の勝利を報告しました。手を合わせている時、私の中で、いつもとは少し違う感情が湧くのが分かりました」

 あと2ケ月もすればウオッカが星になった時と同じようにお墓は満開の桜で覆われる。果たしてその時セヴンポケッツはまた一段と成長しているだろうか。海の向こうから再び朗報が届く事を期待したい。

アイルランドでの繁殖時代のウオッカ
アイルランドでの繁殖時代のウオッカ

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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