自殺は不名誉ではない:世界自殺予防デー・自殺予防週間に考える私たちにとっての自殺問題
■WHO世界自殺予防デー・自殺予防週間
毎年9月10日は、WHO世界保健機関が定めた「世界自殺予防デー」です。今年2013年のテーマ、国際標語は″Stigma:A major Barrier to Suicide Prevention″「スティグマ:不名誉のそしりこそが自殺予防の大きな妨げ」です。「スティグマ」とは、恥辱。汚名。悪い意味での烙印です。
また日本では、9月10日からの1週間を自殺予防デーにちなんで自殺予防週間としています。各地域でも、自殺予防団体の地域活動やネット活動でも、様々なイベントや、相談活動が実施されています(あまり大きなニュースにはなっていませんが)。
■自殺は悪いことか
自殺を予防しようというのですから、自殺は良いことではありません。では、自殺は殺人や泥棒のような悪いことなのでしょうか。実は、歴史の中では様々な人が自殺に対して肯定的な発言をしています。
キリスト教思想では、自殺は「罪」とされてきました。でもそれは、犯罪的という意味ではありません。現在のカトリックもプロテスタントも自殺を断罪したりはしません。
先日、アメリカの著名な牧師の息子が自殺したとき、この牧師夫妻はアメリカ中からのメッセージを受けて、語っています。「私たちは、みなさんの愛と祈りと心からのことばに包まれ、圧倒されそうです」。
自殺は、残念なこと、悲しいこと、避けたいことです。けれども、恥辱ではなく、断罪されるべきものでもありません。
誤解を恐れずに言えば、人間には、自分で自分の命を絶つ選択権があると思います。しかし、私たちはその権利を自殺という形では行使しません。
自殺した人のことも、自死ご遺族のことも責めません。しかし同時に、自殺は、避けられる死ですし、避けるべき死です。
■自殺は追い詰められた末の死・「誰も自殺に追い込まれることのない社会に」(内閣府)
自殺は、心理的、身体的、社会的、経済的に、追い詰められた末の死です。うつ病にかかっている人もたくさんいます。自殺は、健康的に、自由にのびのびと、自己決定されたものではありません。だから、自殺は避けるべき死であり、避けられる死です。
自殺を考える人は、命を粗末にする自己中心的な人ではありません。むしろ、まじめで一生懸命な人が自殺を考えることがあります。追い詰められた心で、死ぬしかないと思い込みます。自分が死ぬことこそが、自分にとっても、みんなにとっても、唯一の解決策だと感じてしまうのです。
ともかく、今日は死ぬのをやめましょう。自殺予防デーですから。今週は、死ぬのをやめましょう。自殺予防週間です。あまちゃんや半沢直樹の最終回はどうなるか。気になりますよね。2020年は、東京オリンピック。一緒にオリンピック見ましょうよ。
理由は何でもかまいません。自殺を一日伸ばしにすることができれば、また生きる意欲がわいてきます。
■自殺のサイン
死にたい、消えたい、遠くに行きたいといった言葉、成績低下、業績低下、乱暴な運転、暴飲暴食など無茶な生活などへの変化も、自殺のサインになります。時には、自殺を決めたことで、明るくなる人もいます。ともかく、「おや?」と思ったときには、一声かけましょう。
■死にたいと言われたら
こんな話聞きたくありません。だから、人はこんな暗い話を聞くと、はぐらかしたり、説教をしたくなったり、逃げ出したくなったりします。でも、自殺したいと言われたときに大切なことは、話を聴くことです。お説教や、感動的な話など、追いつめっれた人の心には、届きません。
「話を聴くこと」は、簡単なことではありません。でも、ひとまずあなたが話しを聴きましょう。その上で、問題を共有することを私はお勧めします。一人で背負うには重過ぎます。時には、友情や約束よりも、命のほうが大切です。
それに、話をするということは、心の底では生きたいと願っているのだと思います。
相手にメッセージを伝えるとしたら、命の大切さといった正論ではなく、「あなたが死んだら私は悲しい」という自分の気持ちを伝えることこそが大切でしょう。
■自殺予防を妨げるもの
世界自殺予防デー2013の標語「スティグマ:不名誉のそしりこそが自殺予防の大きな妨げ」は、「自殺についての誤解や偏見こそが自殺予防を妨げている」という考えから生まれました。
ほんの数年前まで、日本では自殺予防の話すらタブー視されていました。2006年に自殺対策基本法ができてから、自殺予防に関してはだいぶ変わってはきたものの、それでもやはり、現状では自殺は恥辱です。
重い病気になることは、避けたいことですが、でも恥ずかしいことではないはずです。けれども、自殺は今もまだきちんと語ることがはばかれることがらです。
家族の自殺で非難を受け、あるいは自責の念に駆られ、静かに悲しむことすらできない葬儀、非難が渦巻く修羅場と化した葬儀を、見聞きしてきました。
もしも、ガンがスティグマ(恥辱、汚名)であり、ガンの問題を扱うことすらはばかれるといった社会だったら、ガンの予防や治療が進むでしょうか。避けたいからこそ、きちんと向き合わなくてはなりません。
自殺をスティグマと感じてしまうと、死にたい悩みを人に話せません。死にたい人の話を聞けません。
■マスメディアにおける自殺報道
有名人が自殺したとき、大きな報道がなされますが、日本ではまだまだ多くの問題が指摘されます。「藤圭子さんの自殺 テレビのニュース報道は、国際的な「ルール違反」だらけ」といった指摘もされています。
視聴率や売り上げを考えると、世間の関心事は大きく具体的に取り上げてしまうのでしょう。今すぐWHOのルールどおりにやれといっても、なかなか難しいでしょうが、もちろん徐々に改善すべきだと思います。
そして今すぐにでも、せめて大きな自殺報道をするときには自殺予防に関する情報も載せて欲しいと思います。これなら、視聴率や売り上げに大きくは響かないはずです。しかし実際はなかなか実行されていません。
それは、なぜでしょうか。私も有名人の自殺に関連して、ネット上で記事を書くことがあります(たとえば「歌手藤圭子さん(宇多田ヒカルさんの母親)自殺報道から考える自殺予防」)。そこでは、自殺予防の話をもちろん書きます。すると、しばしばファンの人から、クレームが来ます。
大好きで信奉する有名人が亡くなったことに関連して、「自殺予防」の話をすることが、とても不愉快に感じられるようです。それが、ファン心理かもしれません。マスメディアは、この反発を恐れているのかもしれません。
しかし、この思いも、自殺をスティグマ、恥辱とすることから来ているのではないかと思います。その亡くなられた有名人だって、自殺が増えることなど望んでいないはずですから。
■インターネットと自殺予防
ヤフーニュースでは、ニューストピックスの見出しに「自殺」を使わないなど、以前から抑制の利いた自殺報道が行われていたと思います。自殺予防関連のサイトへのリンクもいつも張られていました。
しかし、日本の現状を考えると、単にネットニュースの扱いを地味にすればよいとは思いません。世間では、大報道がなされています。それに対抗できるような、正しくて、魅力的なコンテンツが必要ではないでしょうか。
私が、自分のサイト「心理学総合案内こころの散歩道」で「自殺予防」をテーマにし始めた1997年のころ、「自殺」のキーワードで検索をかけると、「自殺のやり方」といったページばかりが上位に並びました。
私は、何とか、自殺予防のページが上に来るように努力をしました。現在は、検索サイト側の配慮や、「いのちの電話」のサイトなど多くの自殺予防サイトができたおかげで、だいぶ改善されています。
望ましくない情報が出てきたとき、それを批判し、禁止したり排除しようとしたりするだけでは、不十分ではないでしょうか。有用で、かつ魅力的なコンテンツを、もっと全面的に出すことが、大切だと思うのです。
死にたい人が集まる、いわゆる自殺系サイトは、死にたい思いを語り続けているときには、自殺予防の効果もあるかと思います。しかし、管理者が自殺予防の立場に立たず、参加者の自殺に関する具体的な相談をはじめてしまうと、非常に危険です。ネット集団自殺の可能性もあります。
■私たちみんながゲートキーパーに
自殺の危険性は、誰にでもあります。最も自殺しそうにない人がしてしまうのが、自殺です。すべての人に、自殺の可能性があります。だから、私たちみんなが、自殺予防に関わる必要があります。
悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る人として、「ゲートキーパー」になりましょう。家庭でも、学校でも、職場でも、地域でも、インターネットでも。
私たちの命は、私たちが守るのです。
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いのちの電話:毎月10日はフリーダイヤルの日
自殺したいと言われたとき:自殺予防のために(こころの散歩道)
大統領就任式に登場した牧師の息子が自殺:自死遺族へのアメリカ社会の成熟した態度「泣く者と共に泣く」(Yahoo!「心理学でお散歩」
世界自殺予防デー2013「スティグマ:不名誉のそしりこそが自殺予防の大きな妨げ」
世界自殺予防デー 2013年 9月 10日国際標語「不名誉のそしりこそが自殺予防の大きな妨げ」 日本自殺予防学会理事長 齋藤友紀雄氏
日本自殺予防学会:学術団体であると同時に、社会的な活動もしています。
『あなたが死んだら私は悲しい:心理学者からのいのちのメッセージ』 碓井真史著 いのちのことば社
『自殺機器とそのケア』 齋藤友紀雄著 キリスト新聞社
『自殺といじめの仏教カウンセリング』 スマナサーラ著 宝島社新書