すんなりわかるのに不思議なドラマ『あれからどうした』を生んだ「3人監督」の驚くべき手法
「あれからどうした?」――そう聞かれたとき、何かやましいことを隠すために嘘をつく人もいれば、たいした意味なくごまかしてしまう人も、無意識に話を盛ってしまう人もいるだろう。
日常の中でよくある場面、よく使われるフレーズなのに、そこにはなぜか嘘が混ざり込む。そうした、それぞれが語る昨夜の出来事(音声)が、それぞれが実際に体験した出来事(映像)となぜか大きく食い違う、音と映像の内容が大きく乖離しながら同時に提示される独特な映像手法によって、人間の「表と裏」を暴き出すドラマが放送される。
『あれからどうした』(12月26~28日夜11時~三夜連続/NHK総合)だ。
この新しい形の不思議なドラマを作ったのは、関友太郎、平瀬謙太朗、佐藤雅彦の3人の映像集団「5月(ごがつ)」。東京藝術大学大学院佐藤雅彦研究室から生まれた映画制作プロジェクト「c-project」(当時は5人)が前身という、元「教授と教え子」の3人組でもある。
「3人で1人」「脚本も撮影も演出も全て3人」という前代未聞のチームによる連続ドラマは、どのように作られたのか。「5月」の3人にインタビューした。
きっかけは1本の間違い電話から始まった
【本作企画の経緯】制作統括・土橋圭介氏
企画が始まったのは、2021年1月頃。佐藤さんが掛けてきた1本の電話からでした。佐藤さんとはEテレ『0655』『2355』を2010年に一緒に立ち上げた仲なのですが、異動もあったりして、ここ数年はすっかり御無沙汰しておりました。23時近かったと思いますが、こんな時間に珍しいなと思いつつ電話に出たら、何と別の人に掛けようとした間違い電話だったんです(笑)。僕だとわかると佐藤さんは『これは何かの運命かもしれない。実は近々企画の相談したかったんです。実写ドラマを考えていて、まとまったら連絡します』とおっしゃって。でも、しばらくしても連絡はなかったので、すっかり忘れていたら、その年の年末に打ち合わせをしましょうと突然メールが。あれは本気だったのかとびっくりしました。「c-project」の短編は見ていましたが、いずれも実験的で、大衆向けのそして尺も長めのテレビドラマを一体どう作るつもりなのかと思いました。そして、教授と教え子たちが同じ立場で一緒に監督することも具体的にはイメージできなくて、最初は、かなり興味本位で話を聞いてみたわけです。2022年お正月早々、いきなり初めてのミーティングで16本もの企画が出てきました。ただ、作品のテーマとか具体的なストーリーとかキャラクター像とか通常の企画書にあるはずの説明は一切なくて(笑)。その中の1本が『あれからどうした』だったわけです。
耳からの情報(音声)と映像が大きく食い違う45分の不思議な映像体験
――『あれからどうした』はどのように生まれたのでしょうか。
佐藤雅彦(以下 佐藤) 我々は「手法がテーマを担う」という言葉を標榜し、新しい映像手法によって新しい気持ち=表象を生むような映像体験の開拓をずっと目指してきました。なので、手法の開発ばかりに興味を持つ余り、映画やドラマに大切な「テーマ性」「物語性」を置き去りにしがちでした。そんな中、他の企画は漠然とした映像手法だったのに対し、『あれからどうした』は「面白さ」や「テーマ性」を明確に感じさせる手法だったので、手法が出た瞬間、3人が3人、作りたいとなりました。例えば、前の日、居酒屋で飲んだサラリーマンたちが翌日社員食堂でばったり会った時、「あれからどうした」と聞かれて、素直に言うかどうか。人間がなぜかちょっとずつ嘘をついていたり、正直にいくら言っても信じてもらえなかったりという物語に誰もが共感できるんじゃないか、と。面白いのは、喋っている内容(耳からの情報)と目で見ている回想の画が全然違っていること。それを45分間見せられるというのは、なかなかない映像体験ですが、視聴者の映像リテラシーが上がっている今、意外とすんなり理解されるのではないかと思います。
PC上で3人同時にデータを作るから、「最終的には誰が言ったのかわからない(笑)」
――脚本はどのように作られたのでしょうか。
関友太郎(以下 関) 全3話を全て3人で作っています。打ち合わせは毎回Zoomでやっていて、PC上の1つのデータをみんなで作っていくやり方です。
佐藤 Googleドキュメントに3つカーソルが走っていて、お互いに直していく形ですね。
関 第1話の登場人物は6人いて、それぞれ個別のエピソードを出したりしながら、3人が良いと思ったものだけが残って6個(6人分)の脚本になります。編集会議も独特で、編集画面をみんなで共有して、誰かが「こうした方がいいんじゃないか」というと、僕が編集して再生してみて、そこで「やっぱり違ったね」となると、また違うアイディアを出して、というように全部3人で進めています。
平瀬謙太朗(以下 平瀬) みんなで喋りながら、直しながら進めるので、誰がどのアイディアを出したかわからない(笑)。「これ、誰が言ったんだっけ?」とよく言っていますもんね。
佐藤 そう、最終的にはわかんない。それがすごく不思議です。これは、佐藤研で学んだやり方で、最初の作品『八芳園』も最初にものすごい数の案から100~200案にしぼったとき、関が最終的に「こういうアイディアはどうだろう」と言ったら、みんな一致した。文句がいっぱい出ても、良いものがあるとみんな「それ!」となるのが、ずっと続いています。
――『あれからどうした』はどなたのアイディアですか。「新しい映像手法」のプレゼン方法も気になります。
平瀬 アイディアは先生ですね。
佐藤 あるとき、ひょっと出たんですね。土橋さんにプレゼンで出したのは短い文字の資料です。
土橋 「構造とサスペンス。ドラマの新しい構造(手法)によって、サスペンド(宙ぶらりん)な状況を生み出すオムニバスシリーズ」と題して、冒頭で申し上げた16の企画説明がありました。いずれも短いシーンと、それを描写する手法はこうだということを3人が互いに補足しながら口頭でプレゼンしてくれました。『あれからどうした』は居酒屋を出た4、5人の会社員が翌日、会社の食堂で集まり、お互い別れた後にどうしたかを尋ね合う。その語りと回想される映像が一致しないところが出てきて、つい物事を大げさに言ってしまったり嘘をついたりしてしまっていることがわかる。そこから、人間の滑稽さや人間らしさが浮き彫りになる。そんな話を、何人かのあれからを具体的に描写しながら話してくれました。映像と音の乖離と言われても、なんとなくはわかるけど、最終形がどう見えるのかは、正直その時はさっぱりわからなかったですね(苦笑)。ただ、ついつい嘘をついちゃう人の性を描くのは面白そうだと思いましたし、いろんな職場を舞台にさまざまな人間模様を見せてくれそうだったので、本数もできるならテレビ向きかもということは感じました。
佐藤 今3人の中で話しているだけのアイディアでいうと、例えば、「短いAというシーンがあると、またAが繰り返される。次はBがあるとB、CがあるとC、AABBCCと全く同じシーンが繰り返される」という映像手法、見たことないですよね?どうですか?みたいなことを延々と話し合います。
関 ただ我々は、新しい映像手法を見つけた!と思っても、中身が空っぽなことが多いんです(笑)。昨夜も企画会議をしていたんですが、物語の中身が全く出てこない。映像手法だったら次々に出るのに、「物語はどうしよう」となると、3人ボーっとなっちゃって(笑)。
平瀬 無言のまま30分みたいな(笑)。
「連続ドラマ」という広い器だからできた新しい映像手法
――今まで作られた短編映画や長編映画と、連続ドラマでは要領が違うところもありましたか。
関 逆に言うと、『あれからどうした』の映像手法は、物語の舞台を入れ替えても成立する器だったから、連続ドラマとして選んでいただいたのかなと思っています。短編映画の場合、気持ち良いところでやりきって終わりみたいな緊張感で勝負する手法が多かったんですが、今回は舞台を変えていけばずっと作り続けられるタイプの器だったので、連続ドラマというフォーマットと手法がマッチしていたんだと思います。
佐藤 実はまだ作っていないんですけど、他の職種の人たちの物語ももうできているんですよ。色々な都合で今の3本になりました。我々は『刑事コロンボ』みたいに、最初に殺人事件が起こり、中盤以降にやっと主人公が出るようなドラマの作り方にー専門的には「倒叙」という手法ですがー非常に感銘を受けていまして。ああいう新しい手法作りを目指しているんですね。連続ドラマだからできる新しい手法はあると思っています。
――3人の演出はどのように進めるのでしょうか。
佐藤 最初は俳優の方々に3人バラバラに行っていたんですね。例えば2作目『どちらを』で主演された黒木華さんなど、許容量の大きい方は「今回はこの人が来た」などと言ってそれを楽しんでくれていたんですけど、さすがにそれは混乱を招くだろうということで、映画『宮松と山下』からは関が現場で俳優とのやりとりをし、私と平瀬はモニターの前に構えている感じです。
――3話を作る上で取材はされたのですか。
平瀬 証券会社と警察官は、その職業者が実際にどういう言葉遣いをするか、どんな問題が現場で起きるかといったことをかなり取材しました。例えば、警察官は私服の時でもケンカに遭遇したら止めに入るか、などは聞かないとわからない。各々の「あれから」のエピソードに関わることがいっぱいあるので。
関 45分間ずっと続く会話量が必要なので、その職業の人たちが普段話している言葉をなるべく取り入れたいなと。
佐藤 証券会社の場合、午前中電話をずっとかけていて、「ちょっと待ってて」とか「かけ直し」とか、そういう独特な身振り手振りをヒアリングするのも非常に面白かったですね。警察官だと交番の中で一番偉い人を「箱長」と呼ぶとか、そういう言葉も自然に入ってくるとリアリティが増すと思いました。
――手法から物語を作っていく流れの中でどういう困難がありましたか。
平瀬 まずどんな職業にしようかという議論で、動物園の飼育係やビールの売り子、小学校の先生など色々なアイディアを出した中で、全3話をどういうバランスでやったら面白いか、第1話に何が来たら面白いかを最初に話し合って決めました。そこから各話に登場する人たちが抱く悩みや、やりそうなことを考えていく流れです。例えば、第1話で最初に自分の「あれから」を語りだす人は、この映像手法を視聴者に理解してもらうための練習問題のような役割になるので、「あれから」であぶり出される嘘の中身も、なるべくひねらず、わかりやすい方がいいよね、典型的な浮気ぐらいがいいんじゃない?とか、ロジカルに組み立てています。あとは細かい嘘のアイディアの積み重ねで物語ができていきました。
佐藤 基本的に我々は長いストーリーを作るのが得意ではないので、短編をずっとやっていたわけですが、45分ぐらいのドラマも、実はすごくちっちゃなものが積み重なってできるとわかり、意外とスムーズに我々が入れる構造だったと思います。
関 僕らがいつも難しいなと感じているのは、映像手法という入れ物だけがあって、物語の中身がなく、どうすればいいのかわからないところで企画が止まってしまうことなんです。ところが『あれからどうした』は、音と画が食い違うという手法に、「人はなぜか嘘をつく」というテーマがくっついて出てきたんです。テーマが見つかった後は、どんな話が1番面白いか、ということに集中して物語のアイディアを探していくことができました。
――それぞれの個性が出ていたと感じるところはありますか。
平瀬 セリフ回しの癖とか。「関くん、倒置法好きだな。でも、ちょっと多すぎだから、ここは変えておこう」みたいな。
佐藤 ギャグのトーンでも、ギャハハという笑いなのか、知的なウィットに富む笑いなのかは違います。でも、トーン設定が3人ではうまく決まるんです。意外と平瀬の温度が低いんですよ。平瀬は知的だから、映画向き。僕はもうちょっとテレビドラマだとわかりやすい方がいいんじゃないかといって、最初設定するけど、「ちょっとここのトーン高いな」と思って直してみたら、それの元が自分だったりする(笑)。
平瀬 逆もありますよね。「ここ面白いね。誰が書いたの?」「先生ですよ」みたいな(笑)。
佐藤 もうすっかり忘れているから(笑)。
平瀬 今回は脚本の作業にすごく時間がかかったこともありますし。
45分×3話全てのカットを全部撮った試作映像の成果
佐藤 脚本を作って、佐藤研全員が出演して試作映像を作って、ダメなところをまた脚本で直すというやり方は佐藤研時代からずっとやっているんです。社会に出てからはなかなか試作というものはできないですが、今回は仮の役者さんたちで全3話各45分分を全て試作しています。しかも作った結果、1本ボツにして、新たに家族編を作ったんですよ。実際にどういう映像になるかわからないから、その手法の面白さを確かめるためと脚本を完成させるために試作します。台本には人間の表と裏を表すスペースが別々にあって、上下二段組で、例えば社員食堂で喋っているのが上で、下は回想になっています。
関 俳優の方々も実験的で、びっくりしていましたね。
佐藤 台本を読む人は普通1ページで1分のお芝居とか読めるんですが、この台本は二段組のところを何分に換算すればいいのかわからない。試作してみると、ショートしているとかオーバーしているとかがわかるんで。
関 最初に俳優の方々にお話ししたのは、演技的には2本のラインがあるということ。食事のシーンは会話劇のお芝居になりますが、回想シーンは仕上がりが音なしの映像になると思う、と。となると、画だけでシーンの内容を伝える必要がでてくる。例えば、「いますごくマズいことに気づいた」という場面では、その表情や身振りだけで表現しなきゃいけない。その2種類のモードを使い分けて芝居をやっていただくことになると思います、と。そこは難しいところでもあり、完成を想像しながらやっていただく面白さがあったんじゃないかと思います。
――試作から役者さんにやってもらう段階でどうブラッシュアップされていくのでしょうか。
平瀬 役者さんが演じられることで、自分のイメージよりずっと良くなっていることはいっぱいありますが、特に印象的だったのは、第1話の食堂シーンの山内役・飯豊まりえさん。お芝居の力でかなり面白くしていただいていました。
佐藤 凄いなと思ったのは、例えば第1話の斉藤役の中島歩さん。現場では「大丈夫かな」って思うくらい、ぼんやりしていたのに、カメラが回りだすとすごいんですよ。「どうしてこんなに違うんですか」と聞いたら、「エネルギーを節約している」「カメラが回ったときだけに集中していたから」と。
平瀬 しかも、中島さんは自分にカメラが来ている時だけなんですよね(笑)。
関 そう、その時は本当にすごい 。
佐藤 集中力が違うんだなと。
関 試作では、最終的に音だけになる箇所も含めて、食事中の喋る映像も全部のカットを撮ったんです。それで編集していくうちに、ずっと回想シーンが続く中、突然、画が食堂に戻って話を聞いている人のリアクションの顔を見せる方が面白い、という場所を見つけていきました。本番の撮影は、時間的にどうしても全部は撮れないので、こうした試作での発見を活かして、撮影箇所を絞って撮っていますが、中島さんのような「ここが芝居どころ」というポイントを自分たちが狙いをつけた状態で撮れたのは、試作で全体をぼんやり撮ることができた成果だと思います。
感性はバラバラ。それでも「3人監督」が成立する理由
――今は3人で1人の「5月」の皆さんですが、佐藤研で一緒にやり始めた頃はどんな感じだったのですか。関さん、平瀬さんは、最初から対等に先生に意見できましたか。
佐藤 ……(2人を見る)。
平瀬 (笑)映画監督というと、自分の個性で引っ張っていくイメージが、多くの人の中にあると思います。でも、我々は「映像手法から新しい表象を作ろう」という目的がはっきりしているので、自分の好みよりも、その目的に達成できるかが常に優先されるんです。
佐藤 例えば平瀬は、映像の温度が低く、企画性が高くて、じっと見ないとわからないということがあるんです。実は僕も本当はものすごく温度が低いんだけど、あのコマーシャルはここまで温度を上げないとダメだろうとか、自分としてはここまでコントはやらないけど、みんなはすごく喜ぶだろうなというのがあれば、それを優先します。だから3人でやっていても、これは関の方が正しいとか、これは平瀬の方が正しいっていうのは、すごくあるんです。例えば、映画だと真っ暗な中でじっと観るから、音も聞き漏らさないけど、テレビだとリビングでいろんなことが起こっている中で戦わなくちゃいけないので、ちょっと強い表現をしないといけないかな、と。
土橋 撮影現場やポスプロの作業中も、いつも3人で楽しそうに、思いついたアイディアを次々に披露してますよね。側から見ると、サークルの仲間同士みたいだなと。あと、好みよりも目的という話で言うと、企画のご相談いただいた時点では、長編の『宮松と山下』も完成する前でしたし、実験的な短編作品しか見てなかったので、テレビ向きのものが作れるのか心配もありました。それを見透かされていたのか、最初の打ち合わせで佐藤さんたちから「土橋さん、大丈夫ですよ。今回はテレビですから、テレビ向きに表現します」とおっしゃったんです。ストイックに作家性を追い求めるのではなく、メディアの特性に合わせて、自分たちの表現を柔軟に考えようとしていたことがとても印象的でした。
――10年以上3人で一緒にやってきた中で、近づきすぎてしまうデメリットはないですか。
佐藤 今のところはまだないですね。
関 感性はバラバラなんです。それはかえってすごく良いと思っていて。3人でやっている意味があるというか、1人じゃできない世界が作れるので。
佐藤 今回でいうと、関はやっぱり編集がすごいですね。ここでこのモノを出すんだという驚きがありました。例えば2話目の家庭の夕食で、エビフライをどんと真ん中に置いて、お刺身も置く、そういうモノの選び方がすごく良いなと。一方、平瀬の良いところは、やっぱり温度が低いところで、平瀬がやったか僕だったかわかんないこともあるんだよね。
平瀬 でも、僕は佐藤先生にはやっぱりユーモアのセンスで絶対敵わないなと思っています。ガハガハ笑うのではなく、面白さがわかった瞬間に、みんなが心から嬉しくなってしまうような知的で愉快なユーモアです。また、「5月」にとっては関の存在も非常に大きいです。関が現場をグイグイ回してくれているから、自分は、本来ならそこに使うはずの脳のメモリーを他のことに使える、落ち着いてモニターを見ながら、更に作品を面白くするために使えることがこの3人監督というスタイルの大きなメリットだと思っています。
関 僕が佐藤先生をすごいと思うのは、その姿勢。最初に作った『八芳園』がカンヌにノミネートされたことで、僕はずっと夢見心地だったんですけど、パルムドールは獲れず、「そりゃそうだろ」と思っていたところ、セレモニー後に先生は「気づいたことが色々あるから、日本に帰ったら編集し直しましょう」と言ったんですね。台本がない映像で、すごく苦労して編集して、その結晶でカンヌに行けたと思っていたのに、さらに直す、突き詰める姿勢には本当にビックリして。
佐藤 アッバス・キアロスタミがその時の審査委員長で、コメントくれたんですよ。「最初の何分か最高で、その後は冗長だった」と。なるほどと思いましたね。
関 今回も第二話の「久保家の隠し事」で最後にみんなが独白していくくだりを先生が思いついたんです。自分だったら嘘と本当の映像を重ねていく範疇でしか考えていなかったと思うのですが、その枠を崩して、飛び越えていくところまで考えるのが、すごいなと。また、そんな現場をいつも冷静で客観的に見ているのが平瀬君。僕自身は、自分の作った作品を3年後とかに観て、「ここは違ったな」「弱かったな」とか思うことがあるんですが、平瀬君は作っている最中にすでにそういう視点を持っているので、頼りにしています。
平瀬 議論して、ここは僕の好みじゃないけど、2人が言っていることの方が目的は達成できると思ったら、当然そっちの方が良いとなります。それはいつもみんなの中で起きていて、みんながそれぞれエゴをぶつけずに、どこかにある正解にたどり着く方法を探り、話し合いで決まっていくので、ケンカにならない。
佐藤 そこはありがたく、不思議なところでもあるんです。
(取材・文/田幸和歌子)
【監督集団「5月」】 関友太郎、平瀬謙太朗、佐藤雅彦の3人で構成された映像集団。2012年東京藝術大学大学院佐藤雅彦研究室5期生から生まれた映画制作プロジェクト「c-project」として活動を開始。初作品となる短編映画『八芳園』(14年)、『どちらを』(18年/黒木華)がカンヌ国際映画短編コンペティション部門から正式招待。20年、「5月」発足。短編映画『散髪』(21年/市川実日子)がクレルモン・フェラン短編映画祭から正式招待。初の長編映画『宮松と山下』(22年/香川照之)はサンセバスチャン国際映画祭に正式招待された。