「安倍政権にカメラマン生命断たれた」杉本祐一さんの裁判が結審―旅券強制返納事件
2015年2月、シリアでの取材を計画していたフリーカメラマンの杉本祐一さんが、外務省にパスポートを強制返納させられた件で、処分取り消しを求めた裁判が、昨日22日に東京地裁で結審した。戦後初、異例中の異例で、憲法で保障された「海外渡航の自由」、「報道の自由・取材の自由」への重大な侵害ともみられる、メディア関係者に対するパスポート強制返納。その問題点、この間の裁判での争点をまとめた。
○パスポート強制返納と主な論点
シリアなどの紛争地で取材するフリーカメラマン・杉本祐一さんの自宅に当然、外務省職員と警察官らが押しかけ、逮捕をちらつかせながら、杉本さんからパスポートを強制返納させたのは、2年前の2月7日の晩のこと。安倍政権によるジャーナリストへの弾圧として、国内だけでなく海外でも主要メディアが続々と取り上げた。同年4月、外務省は新たなパスポートを杉本さんに発給するが、それはシリアとイラクへの渡航が禁止された、制限付きのパスポートであった。同年7月、杉本さんはパスポート返納と渡航制限の取り消しを求め、東京地方裁判所に提訴。そして今月22日、結審を迎えた。この間の杉本さん及びその弁護人の主張をまとめると、外務省によるパスポート強制返納及び渡航制限には、
・シリア情勢や杉本さんの行動への事実誤認
・処分の目的や動機に疑問、政権の保身のための処分
・外務省のずさんな対応、法律上必要な手続きの不備
・外務省の裁量権の濫用
などの問題があるとしている。
○ISから解放されプレスツアーも行われていた取材地
外務省側は、杉本さんにパスポートを強制返納させた根拠として、旅券法19条1項「旅券の名義人の生命、身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合」にあたるものだと主張している。しかし、杉本さん側は、彼のパスポートの強制返納させたことは、事実誤認に基づく、裁量権の濫用であり、行政法上、違法なものだとしている。では、その事実の認識の違いとは何か。当時、杉本さんが取材地としていたシリア北部のコバニはIS(いわゆる「イスラム国」)から、クルド人部隊により奪還されており、朝日新聞含む複数のメディアがクルド人部隊による、プレスツアーを行うなど、安全確保は十分可能だった。それにもかかわらず、一部報道により、杉本さんのシリア渡航を知った外務省が焦って強制返納に動いた、ということだ。杉本さんや筆者のように紛争地取材をしている者にとっては常識であるが、同じ国であっても、地域やその時期によって、危険度はまるで違う。シリアだからだと言って、どこもかしこも同じように危険だというのは、現場を知らない素人の発想だ。つまり、クルド人部隊により掌握されたコバニへの取材が、「杉本さんの生命を保護する」ためにパスポートを強制返納させないといけない程、危険なものではなかったのでは、強制返納はやりすぎではないか、ということなのだ。
○杉本さんの命ではなく、安倍政権の保身のため
的確な状況判断、リスク評価もできない程、外務省が焦っていた背景には、安倍政権からの圧力があった。外務省及び警察庁からの福島瑞穂参議院議員の聞き取りで明らかになったように、杉田和博・内閣官房副長官が2015年2月6日の午前中、外務省に説明を求め、その日の夕方には、三好真理・領事局長が官邸へと出向き、政権の意向をふまえ、その場でパスポート返納命令を行うことが決定された。当時、安倍政権は、ISによる後藤健二さんと湯川遥菜さんの拘束・殺害事件への対応について、批判を浴びていた。つまり、万が一、杉本さんがシリアで拘束された際に、再び政権への批判が高まることを嫌っての、強制返納であったことが疑われる。裁判では、杉本さん側はこうした経緯についての事実確認を何度も求めたが、外務省側は終始、この問題からは避け続けていた。
○手続き不備の処分は違法
旅券法に限らず、行政処分というものは、法律に定められた手続きを経なければ、それは違法で無効なものとなる。杉本さんの裁判での大きな争点の一つとして、聴聞が行われたかどうか、ということがある。聴聞とは、行政手続法13条に定められたもので、個人の権利を制限する処分(不利益処分)を行う際、権利を制限される側の言い分をしっかり聞きなさいというもの。また、旅券法19条1項にも、「旅券の名義者に対して、期限をつけて、旅券の返納を命ずることができる」とある。つまり、パスポート返納によって海外渡航の自由を奪うという、重大な権利の制限を行う場合、まず当人に熟慮検討する期間を与えるべき、というものだ。その点、杉本さんへの外務省の対応は異常なものだったといえる。外務省の職員らは、複数の警察官とともに、突然、杉本さんの自宅に半ば強引に押しかけ、旅券返納の命令書を提示した、わずか10分後ほどで逮捕をちらつかせながら、パスポート返納を迫ったのだ。これでは、聴聞が適切に行われたとは言い難い。外務省側は、「杉本さんが逃亡する危険があった」と、行政手続法13条2項1号の「公益上、緊急に」処分を行うべき状況だったとして聴聞の省略を正当化しているが、それも詭弁だろう。杉本さんは逮捕されることを避けるために、旅券を返納したのである。逃亡などを図れば、逮捕されてしまう。パスポートのデータが電子化されている昨今、警察をかいくぐってシリアへ渡航しようにも、空港などの出入国管理でひっかかる。杉本さん自身、「逃亡するという発想はなかった」と語る。そもそも、杉本さんがシリアに向かうべく出国する日は、パスポート返納命令が出された2015年2月7日から、3週間ほど後だった。これについては外務省側も把握しており、聴聞を行う十分な時間があったはず。それにもかかわらず、聴聞を検討すらしないで、逮捕の脅しとともにパスポートを強制返納させたのは、上記したような、安倍政権の強い意向があったからだろう。
○安倍政権に仕事と生きがいを奪われた―杉本さんの訴え
動画:国連の人権問題専門家もパスポート強制返納に懸念
パスポート強制返納後、上記したように杉本さんには、新たなパスポートが外務省により発給されたが、それはシリアとイラクへの渡航制限つきのものだった。20年あまりにわたって中東の紛争地で取材を行ってきた杉本さんにとって、それは戦場カメラマン生命を絶たれたも同然のことだ。筆者の取材に対し、杉本さんは「安倍政権は、私の仕事、生きがいを奪った」と言う。「ショックが大きくて、あれ以来、精神的にも不安定になっています。収入も激減し、バイトでかろうじて食いつないでいる状態です」(杉本さん)。
既に述べたように、パスポート強制返納事件の背景にあるのは、政府の都合により、個人の人権を制限するという、自民党改憲案にも通じる発想だ。安倍政権が改憲へと前のめりになっている中、本事件は杉本さん個人だけの問題ではなく、自民党改憲案での日本の将来を暗示するものでもある。昨年4月、国連人権理事会の任命する「意見及び表現の自由」特別報告者として、日本の表現の自由や人々の知る権利について、調査に来たデビット・ケイさんも、本事件について、「非常に大きな問題」「日本政府の行動は不適切だった」と懸念を表明した。本事件は、表現の自由にかかわる国際的な人権問題に発展しているとも言えるのだ。
注目の判決は今年4月19日に下される。筆者としても、本事件の動向を今後も注視していきたい。
(了)