WHO(世界保健機関)のロゴにある蛇、あれは何?なぜヘビが?どういう意味?
今日もまた、テドロス事務局長の苦悩に満ちた顔が、テレビに映る。
そのたびに、背後にはWHO(世界保健機関)のロゴマーク。
そこには、国連のシンボルマークの上にヘビが描かれている。ときにはオレンジ色で強調されている物も。
あのヘビは一体何なのだろうか。
治療の神様
WHOの公式説明によると、あの杖と巻き付いたヘビは、ずっと昔から医学と医療職の象徴だったのだという。
この杖をもっていたのは、ギリシャ神話に登場するアスクレピオス。「治療の神」として、古代ギリシャ人に崇拝されていた。治療の神様と同様、ヘビが巻き付いた杖も信仰の対象となった。
WHOの公式サイト(英語版)によるとーー冥界(死者の世界)の神ハデスは、アスクレピオスが人間の命をあまりにも救うので、人間を不滅にしてしまうのではないかと恐れた。神々の主神ゼウスに訴えた結果、アスクレピオスはゼウスの雷で殺されてしまったーーと説明している。
一般には「アスクレピオスは死者をも蘇らせた。だから冥界の神ハデスが怒った」という内容となっている。
とはいうものの、じゃあなぜアスクレピオスが持っていた杖にはヘビが巻かれているのか、同サイトは説明していない。
薬にも毒にもなるヘビ
色々見た中で、ウィキペディア(英語版)の説明がとても面白かったので、これを中心に他も混じえて紹介したい。
ヘビの意味は、たくさんの解釈があるという。
ヘビは脱皮する(平均で、2、3カ月に1回とのこと)。これは再生と若返りを意味する。
また、医学は「生と死」「病気と健康」という、正反対の矛盾したものを扱う二面性がある。ヘビはこれを表現するシンボルとなった。
なぜなら、古代ギリシャ時代には既に、ヘビから取られたものは、命を救う薬にも、死に至らしめる毒にもなることが知られていたからだ。
古来よりヘビの体からは、薬が取られてきた。アジアでも「蛇酒」は数千年前から医薬品だった(毒蛇を漬けることが好まれる)。
ヘビの毒は、血流に入ると致死性があるが、飲んでも消化器系だから大丈夫であることが、広く知られていたわけだ(だから毒蛇にかまれると、毒を吸い出してペッと吐くが、飲んでも大丈夫である)。
さらに古代ギリシャの時代には、ヘビの毒が吸収されてしまう場合があることが、一部で認識されていた。まるで、治療の一形態として「処方された」ように見えることがあったという。
どういう意味かというとーー毒蛇にかまれて「大変だ!」と大騒ぎした。ところが、死ぬどころか、あら不思議、前からもっていた病気が治って元気になってしまったーーというシーンのことだろうと想像する。「毒をもって毒を制す」ということが起きたのに違いない。
現代では、ヘビなどから取れる毒性物質を基に、幅広い用途に向けた医薬品開発が盛んに行われている。毒の成分は、血栓の分解や癌(がん)細胞の増殖抑制など、幅広い病気に効く可能性を示しているという。
そもそも「毒をもって毒を制す」ということわざがあること自体、昔の人は経験からこの事実を知っていることを意味している。
死ばかりでもなく、生ばかりでもなく・・・こういったヘビのもつ曖昧さは、薬(ドラッグ)がもつ曖昧さともいえる。このために「生と死」「病気と健康」という両極をつかさどる医学のシンボルになったのだろう。
奥が深い。哲学的ですらあると感じる。
ところで、ヘビといえば、旧約聖書にある「青銅のヘビ」という話が有名だ。
エジプトを脱出したイスラエル人は、飢えと乾きに苦しんでいた。嘆きと不平を神とモーゼに訴えると、神は怒って炎のヘビ(毒蛇)を送った。
毒蛇にかまれて死者が出たので、人々は「神に逆らう罪を犯してすみませんでした。どうかヘビを取り除いてくださるよう、神に祈ってください」とモーゼに頼んだ。すると神は「燃えるヘビを作り、旗さおの上に付けよ。噛まれた者はそれを仰ぎ見れば、生きる」と告げた。
モーゼは青銅のヘビをつくって言われたとおりにしたら、人々は生きた――という内容だ。
ここでもヘビは、死と生の両方を与えている。
あちこちで使われるヘビの模様
この「アスクレピオスの杖」は、様々な医療機関でロゴマークに使われている。
ウィキペデイアには、世界中の80ものそうそうたる医療機関の名前が列挙されている。
特に有名なのは、「Star of the Life(生命の星)」と呼ばれるデザインである。
緊急救命機関のロゴマークになっていることが多く、アメリカや欧州で(日本でも)、救急車にこのマークが描かれているのを見かける(ヘビがなくなって、青い星だけになっているものも、フランスではよくみかける)。
ちなみに、このマークは、元々はアメリカ医師会が1963年にデザインしたものだという。
1970年には同会の救急医療サービス委員会が、「全国救急医療技術者登録(NREMT)」を組織したとき、このデザインをロゴとして採用した。
このデザインはアメリカ赤十字によって奨励されたことから、緊急医療のシンボルとして、世界中で急速に採用された。
当時アメリカの救急車は、オレンジ色の十字のマークを使っており、アメリカ赤十字は似ていることに不満だったことが背景にあった。
日本でも、このマークを使っている機関が複数ある。例えば横浜市救急救命士会は、1992年の設立当時から、シンボルマークとして使用している。
「Star of the Life(生命の星)」以外にも、様々なデザインがある。
太陽と夜の二面性
終わりに。
ギリシャ神話では、ゼウス神はアスクレピオスを雷で殺してしまったが、彼の才能を惜しんで、星座のへびつかい座にしたのだった(12星座ではなくて13星座を用いると、さそり座といて座の間に入ってくる)。
アスクレピオスの父親は太陽神アポロン。息子を殺されて、ゼウスに猛烈に抗議したからでもある。
これは、実は不思議なことなのだ。なぜなら太陽神アポロンは、ゼウスの息子。つまりゼウス→アポロン→アスクレピオスで、ゼウスは孫を殺したのだ。
死者の世界の神ハデスの力は、ゼウスを動かすくらい大きいという事なのだろうか。ちなみに全能の神ゼウスと、冥界の神ハデスは、兄弟である。
アスクレピオスは「死者をも蘇らせた」という、決定的なタブーを犯したからとも、この技を他の人間に教えてしまうのをゼウスが恐れたからとも言われている。そこには「人間が生きものの死を操るのはおこがましい。それは神の領域であり、世の秩序を乱す行為である」という考えがあるのだろうか。
でも、アスクレピオスは、へびつかい座となった。もう太陽のもとでは生きてはいないが、夜空で輝くことになった。ここに、太陽と夜の二面性が感じられる。
夏の星座なので、夜空を見上げるとアスクレピオスに出会えるに違いない。