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【深掘り「どうする家康」】地味に存在感がある榊原康政は、どういう人物だったのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
徳川家康。(提供:アフロ)

 大河ドラマ「どうする家康」では、榊原康政が出陣していた。「徳川四天王」の一人の榊原康政は何者なのか、その点を深掘りすることにしよう。

 榊原氏の来歴は不明な点が多く、一説によると仁木義長の後胤で、伊勢国一志郡榊原(三重県津市)を名字の地としたという。伊勢から三河に移ったのは、榊原康政の祖父の清長だった。清長が亡くなったのは、天文14年(1545)のことである。

 榊原氏の先祖は、松平氏の家臣だった酒井氏に仕えていたので、決して有力な存在とは言えなかったという。康政の父・長政は、三河上野上村城(愛知県豊田市)主の酒井忠尚に仕えていた。

 康政が長政の次男として三河国上野郷(愛知県豊田市)で誕生したのは、天文17年(1548)のことである。康政は父が酒井家に仕えていたこともあって、忠尚の小姓を務めていたという。

 康政が松平元康に仕えたのは、永禄3年(1560)のことである。ときに、康政は13歳の少年だった。元康が康政を配下に加えたのには、もちろんいくつかの理由があった。

 康政は子供の頃から学問好きで、書物に親しんでいたという。また、能書家だったともいわれている。元康もまた学問を好んでいたので、大いに気があったのかもしれない。同時に康政は、元康に見込まれるほどの才覚があったのだろう。

 そのような事情もあったのか、康政は兄の清政がいるにもかかわらず、榊原家の家督を継ぐことになった。一説によると、清政が病弱だったためともいわれているが、詳細は明らかではない。

 康政には、おもしろいエピソードが伝わっている。康政が元康に仕えた際、水野信元の家人が具足をプレゼントしてくれた。その具足を着て出陣したところ、大いに軍功を挙げたという。以来、康政が出陣する際は、その具足を着用したという。

 ところで、ドラマの中での康政は、お手製のぼろぼろの具足(?)を身につけていた。あり得ないと思われるが、康政は本多忠勝に武勇でこそ劣るが、指揮能力は井伊直政と並ぶほどで、忠勝より上だったという。今後の活躍を期待したい。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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