だれが『VALU』を殺すのか?
KNNポール神田です。
815YouTuberヒカルの乱
2017年8月15日、終戦記念日のことだった。マティス米国防長官が「北朝鮮がグアムを攻撃すれば戦争が始まる」と発言し、そんな日もかかわらず、その日の午前の閣議終了後のぶら下がりで、麻生金融相は、異例のVALUでの資金調達「保護と育成の両方を考える必要」と発言した日だった。YouTuberヒカルの乱が発生したのは…。
事件の経緯はいろいろと類推され、インサイダー取引や詐欺、消費者保護問題などが叫ばれてはいるが、すべてはYouTube動画のネタであったと見るのが一番正しい見方だとボクは思う。『誰が一番、VALUで稼げるのか?』という、自身の影響力を活かした壮大な動画ネタに臨んだのだ。ネタ的にも金額が大きければその影響度が高くなることは織り込み済みだ。そこに株式のセオリーも何もなかった。本当に利益獲得が目的だったならば、最高値で5万VA(VAとはVALUにおける単位株のようなもの)を売り出せば良かったのだ。そうすれば、もっと派手に売れていたことだろう。または、損切り価格で売った人も救われた可能性がある。そう、つまりヒカル氏は株式のことをまったくわかっていないまま壮大なゲームに及んでしまったのがすべての諸悪の根源である。結局は、すべてを買い戻すということで落ち着きを見せるが、有名YouTuberのVALU参入で、キャピタルゲインを目論んで投資した人たちの期待は見事に裏切られた。そして、ヒカル氏は自分だけの評判だけでなく、YouTuberの評判とVALUの評判も落としてしまった。ヒカル氏はこの評判の枷を「無限責任」で今後も背負い続けなければならない。そう、ソーシャル・ネットワークの世界は「有限責任」で終わらないから実は大変なのだ。
ヒカル氏が落としたVALUの評判は、VALU市場全体にも影響を及ぼし、活性化しはじめたVALU市場全体に、結果として「冷やし玉(オーバーアロットメント)」を食わせたことになった。大半のVALUで投じた人の資金がヒカル氏らの個人の暴挙によることで「塩漬け」になっていることは大いに彼に猛省を促したい。
そして、VALUのシステムが未成熟なだけではなく、売り手のリテラシーの未熟さがこの混乱を招いたのことも付け加えておきたい。当然、VALUは早急に『消費者保護』の観点でルールを来週にも全面的に見直すことを強いられ、ダイナミックな仮想通貨での個人の資金調達スキームよりも、より安全で金融法の枠が広げられても対応できる骨抜きルールを早急に作らざるを得なくなった。VALU側がヒカル氏の事務所に「損害賠償」の内容証明を送った程度では、怒りが収まらない人も多いはずだ。ボクもその1人である。彼が与えた損害は間接的に多大に、今も広がっている。
VALUは株式クローンなのか?
1600年から、400余年にも及ぶ間にルールが完成された『株式相場』と、株式相場を模して、デビューからたった3ヶ月の『VALU』の相場とを比較して、未熟な部分を指摘するのは簡単だ。麻生金融相が言う、「保護と育成の両方を考える必要」があるだろう。
1600年、イギリスの東インド会社(EIC)や、オランダの東インド会社(VOC)がアジアの胡椒の交易から近代的な株式会社化が始まる。1602年にはアムステルダムに「アムステルダム証券取引所」が世界ではじめて設立される。何よりも、それは単一の航海での株主の出資ではなく21年間にもわたる契約にもとづいての継続性への担保と、株主の「有限責任」において株が流動化していき、現在の近代株式相場を形成する。すでに株式以外にも、商品、為替、保険、先物、信用、オプションなどの取引が発明されていた。しかし、「空売り」が禁止されたのは10年後の1612年であり、黎明期の相場は、相当に混乱していたことだったのだろう。株式相場ができてから34年後の1636年には、オランダで世界で最初のバブル「チューリップ・バブル」が発生する。チューリップの球根に人々の投機熱が群がったのだ。そう、いろんなシステムと金融リテラシーと社会情勢の中で株式相場は成長し、混乱し、学習し、経験し、テクノロジーに支えられて今日に至っている。
それらと単純比較するわけにはいかないが、VALUは、たった一人のウェブエンジニアが作り上げたシステムであり、それが400年もの歴史のある根本は同じ「株式相場」システムに、新たな金融商品として『個人』を発明した事、それを日本から生み出したことは、後世にも残る偉業であると思う。そして、ビットコイン(2009年)のプロトコルを発表したののもサトシ・ナカモトという日本人名である。
ブロックチェーン技術の中の「ビットコイン」はすでに浸透しており、革新的な変化を社会に金融社会にひろげてきた。しかし、日本では「マウントゴックス」という一取引所の2014年の経営破綻が「ビットコイン社長破綻」と大きく取り上げられ、ビットコインそのものを「鬼っ子」扱いしてきた黒歴史がある。いま、まさにVALUもワケのわからないものは怪しい論の一つとして「鬼っ子」扱いされ始めているようだ。
VALUはどうすべきなのか?
しかし、起きてしまった事については、議論しても元には戻らない。では、今後「VALU」はどうするべきなのか?VALUは、株式取引のシステムをクローンとしてきてはいるが、「株式」と同じではない。あくまでも、「個人」が資金調達し易い設計となり得ているからだ。あくまでも主体は発行する個人が主体者であるから、発行主側に立った仕組みであり、現在の株式ではありえないことができてしまうことが、指摘の大半である。今後は、これらが現在の株式同様に近くなることは避けられないだろう。むしろ「資金調達」だけで考えると、「クラウドファンディング」で良いのではという指摘も多いようだ。しかし、それはまったく違う。それは「クラウドファンディング」という仕組みが、単発のゴールに向けての、双方の利益が一致している取引であるところだ。VALUはあくまでも個人を個人が支援し続ける、いや証券化メタファーとして、個人の評価価値が存続する限り、流動化していくことによる支援である。継続支援が一番大事なのだ。そして発行する側はステークホルダーと付き合っていくことが求められている。これはまさに、オランダの東インド会社(VOC)と同様、継続的な支援を有限責任での株主が行い、たとえ株式が流動化してもそれらが価値を失わない構造であることに本来の意味がある。
VALUが今後、目指すべきは、ネット上の有名人が評価されるだけではない、個人のアクティビティによる再評価システムなどが重要だ。影響度は諸刃の剣となるのは今回の件でよく理解できた。そして、それがメディアを通じて社会に伝わる怖さも…。VALUをやったこともない人までが不安を感じるのは、ビットコインのメディアの悪癖だ。あえて、VALUの事業者が単に金儲けしたいだけならば、最初から有名人から手をつければよかったのだ。テレビなどでもおなじみの有名人のアカウントを発行していないこともその抑制手段だったと考えられる。有名YouTuberらの参入は彼らの動画の表現力に期待した上でのマーケティング上での認可だったと考えられる。
むしろ、一番重要なのは、アクテビティと呼ばれるVALU発行主とのコミュニケーションの場の強化である。ここがもっと使いやすい場になれば、facebookなどで行われているコミュニケーションよりも濃厚な価値を生むことになるだろう。無料でつながる人だけでなくわざわざ資金を投入してまで支援してくれる人だからだ。知人でもなく、単なるフォロワーでもなく、一歩踏み込んだステークホルダーを個人が抱えることができるからだ。本当はここのアクティビティの操作性の悪さや、エラーの回避、検索性、閲覧性の向上など。いろんな機能向上にリソースを割いてもらいたい矢先の事件であった。
そして、そのアクティビティの交流具合を評価し、それを発行数の分割評価とすると、たとえ100VAという少なさの発行数を、分割希望者が多ければ分割できるなどの自らの仕組みを構成することができるだろう。すると市井の一般VALU上場者が継続的に、信頼通貨や評価経済を標榜することも可能となる。
そして、最後に流動化したVAの売買手数料を1%ではなく、3%にし、1.5%は当初の発行主に還元するという仕組みにすれば流動化しているVAのすべて継続的な資金調達支援へとつながることとなる。このあたりの手数料の料率は、胴元であり、プラットフォーマーであるVALUが自由に調整できる立場にある。
「消費者保護」という認可された金融商品と同じ文脈のみで語られると、ブロックチェーン技術の破壊的なイノベーションがますます起きにくくなる。日本で生まれ、日本で育とうとしている、金本位制以来の「個人革命」ツールを国をあげてプロジェクトチームを作るくらいでサポートするくらいの気構えが必要なのではないだろうか?
2020年のオリンピック以降、どれだけのフィンテック革命が起きるのか?どれだけのシェアリングエコノミー革命が起きるのか?今の日本は、イノベーションこそ、喚起すべきであり、多少のリスクよりも可能性のあるチャンスにより積極的に分散投資すべきくらいであると思う。来週のVALUの新ルール改正に期待したい。